2011年9月4日日曜日

アジアはどこまで広がるか?

おはようございます。

台風の影響で三日ほど雨が降り続いています。みなさんの家は大丈夫でしょうか?我が家では網戸が強風で飛ばされた以外は無事です。

さて、先日サッカーワールドカップの3次予選が行われ、日本は対北朝鮮戦に1-0で勝利しました。

で、いつも気になるのが、サッカー界における「アジア」枠。どう考えても広すぎるでしょ!?

なにしろ、東は日本、韓国から西はサウジアラビア、シリアまで、果てはオセアニアブロックからやって来た南のオーストラリアまで、地球上の1/3くらいの面積はあるんではなかろうかという勢い。アジア広すぎだろ!と、突っ込みどころ満載です。

たかがスポーツのブロック分けにそんな目くじら立てるなよ、と言われればその通りなのですが、ヨーロッパやアフリカなんかはきちんと地理的・文化的にも整合した分け方がされているわけですよ、なんか釈然としない。ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカと分けた後、残りは全部アジア的な、FIFAのアジア軽視の臭いがぷんぷんします。考えすぎでしょうか。

もちろん、サッカーのレベルではヨーロッパ、南アメリカが先進国なわけで、その地域が優遇されるのは、サッカーファンとしては文句はないのだと思います。そのほうがレベルの高い試合がたくさん見られるわけですから。

しかし、ですよ。やっぱりアジア予選でオーストラリアと戦ったり、中東のチームと戦ったりするのは私の感覚としては異和感があるわけです。それは私の「アジア人」という意識に関係あると思います。

どういうことかと言えば、ヨーロッパ、私の場合はフランスに行ったときに、どこまでを「同胞」感覚で見るか、ということです。あくまで個人的な意見であることを断わっておきますが、私の中では東アジア、東南アジアあたりまでの人はなんとなく仲間意識を感じますが、インドあたりではやや微妙で、中東の人々に関してはもはや完全に異国の民といった感じです。イスラム教圏の人々はどうしても遠くに感じてしまいますね。キリスト教・ヨーロッパ文化の日本への流入量に較べると明らかに少ないことも影響しているでしょう。

この「分類する」という行為に関しては、良い点、悪い点をきちんと理解しながらしていくことが大切だと痛感します。特に文化といった扱いのデリケートな問題に関しては特に。ある地域を一つの文化に閉じ込めてしまうと、特長は明らかになるかもしれませんが、マージナルなものが見失われるということが多々見られると思います。

そんなことを考えていたのは、家の本を整理していたからなんです。ジャンルごとにわけるか、著者ごとにわけるか、大きさで分けるか・・・。本の整理は悩みが尽きません。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
民博にて。今一番興味のある地域=オセアニアの帆船

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