2011年9月24日土曜日

もったいない / Mottainai

おはようございます。

前回は予定のない文章を長々と書き連ねましたが、今日はいつも通りに。

数年前、ワンガリ・マータイさんという女性がノーベル平和賞を受賞したことをご存知でしょうか?

日本でもたびたび取り上げられたその理由は、彼女が「もったいない」という日本語を国際語として使用したからに違いなく、私が今覚えているのも受賞理由がいかなるものであるか、ということではなく、その一事であることからも確かでしょう。

この言葉、今でも日常に根づいていますね。砂糖を瓶に入れ替える際にこぼしてしまい、「もったいない」。少しばかりくたびれた衣類を処分するか迷って、「もったいない」。一生懸命稼いだお金をギャンブルその他で一夜にしてすってしまい、「もったいない」…使う場面は多々あります。

マータイさんの素晴らしいところは、日本語の「もったいない」を国際語の「Mottainai」に変換する際に、より肯定的な方向付けをしたことでしょう。日本語の「もったいない」にはどうしても、貧乏くさい響きがあるのですが、そうした貧乏臭さを取り払った潔い雰囲気を「Mottainai」には感じます。
そこに地球環境にやさしい云々の色付けをするのが昨今の「エコ」の風潮、発想なのですが、これを話すとなると、喧嘩腰になってしまいそうなので、またいつか別の機会に。

さて、「もったいない」の肝は「長く大事に使う」ことです。

身の回りに十年、二十年使い続けたものがどれくらいありますか?また、これからそれだけの時間使い続けようと思うものがどれだけありますか?

そう考えたときに、自分を取り巻き呑み込んでいる資本主義の大きなうねりを感じます。そのうねりの中、如何に多くのものが「使い捨て」で「交換可能な」ものとして使われているか、そして我々がそのことに慣れきっているかも。

長く使われることを前提に愛される製品を作る、それに答えるようにしてモノを愛する、モノとひととの関係がこのような時代もあったし、これからやってくることもあると思います。

かつて「重さ」や「歴史」に価値を置く時代が存在し、対して現代が「軽さ」や「速さ」の時代であることは体感としてあります。いづれ掌に世界の全てが収まるような時代が来た時、再び価値観の転倒がなされるのでしょうか。この時代が推し進めるこの速さの中で、それは意外にも早く到来する未来なのかもしれません。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!

フランス高速鉄道、TGV


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