2013年4月20日土曜日

ライ・ミュージック

フアン・ゴイティソーロ。なんとも呼びにくいこの名前を最初に知ったのは、小説『戦いの後の風景』の作者として。その中で彼は、パリ移民地区の朝、パリっ子はわが目を疑った。町の看板や標識が見慣れない文字に書き替わっている、そんなポストコロニアルな風景を見事に描き出している。

ポストコロニアルで複視的。もちろんこのスタンスは彼のルポルタージュ作品群にも共通してみられる。私が読んだのは『パレスチナ日記』『嵐の中のアルジェリア』の2作。有名な『サラエヴォ・ノート』の著者でもある彼は、これらの作品中で西欧文明に蹂躙された苦い記憶・歴史を持つ地域に寄り添いながら巡る。

フアン・ゴイティソーロ(1931 - ) Wiki より
西欧文明の中にありながらも長い内戦とフランコ政権下の独裁を経験した国、スペインを出生の地とし、異邦人としてパリに居を定める作者の視点が、西欧文明(その拡大を主導した帝国主義)に批判的なものでありながら、民主主義に何よりの信頼を置く、コスモポリタンの典型であるのも、ごく自然なことだろう。

『嵐の中のアルジェリア』は、1991年に始まったアルジェリア内戦を取材したルポだ。暗黒の10年 / La décennie noire」とも、「テロルの10年 / La décennie du terrorisme」、「残り火の時代 / L'années de braise」とも呼ばれるこの時代、誰が敵で誰が味方かもわからず、亡くなった死者の数すら正確に把握されていない混乱の中で、ライ・ミュージックは人々にとっての希望であり続けた。

起源を1920年代のオラン地方に発するこの音楽は、「自由で教義に囚われない素材の寄せ集め」にとどまらない。先祖代々の生活様式の解体によって生まれ、あるいは壊されたさまざまな現実、移民、故郷喪失、都市の磁力、文化の衝突、そういったものすべてを表現する言葉なのである。

ゴイティソーロはモノローグ的世界をよしとしない。アルジェリアの本質だと筆者の考える文化の混交と、それを成り立たせている雑多な色彩を持つ少数派がすべて抹殺され、浄化された世界よりはむしろ、豊かなスーフィーの精神世界を基盤とした、新たな折衷文化の誕生を望む。文化の多様性を尊び、混交してこそ文化は豊かになるのだという確信が、著者をライ・ミュージックへの傾倒へと向かわせる。

この本の中、意外な箇所で「日本」という単語が出てくる。イスラムと言っても、決して画一的なイスラムがあるわけではない、と述べた後にこう続ける、

一般に「保守派」は、技術・物質・科学の進歩を擁護しながら、だからと言って、西欧的なものに一切汚染されていない宗教・文化アイデンティティーへの回帰を忘れるな、という立場をとる。そしてこの一見すると相反するように見える両者を調和させている例として、しばしば引用されるのが日本である。(p.69)

西欧的なものに一切汚染されていないかどうかは疑問が残るとはいえ、確かに日本は西欧文明の良い点と自国文化の良い点を両立させることにある程度成功した国だといえるかもしれない。

その一方で、日本列島も本来は多民族の住む地域であるにもかかわらず、単一民族国家だと自称している。大多数を占める人々が、少数派の意見を抹殺し、浄化する。民主主義の原則に多数決がある。なるほど確かにそうだ。だがそれは決して、少数意見を抹殺することもよしとするわけではない。
清潔を第一とするこの国で、ポリフォニックな音楽が街頭から聞こえてくることはあるだろうか。

1,2,3 Soleils - Abdel Kader 1998年、パリでのライ・ミュージックコンサート
 
参考書籍:嵐の中のアルジェリア / フアン・ゴイティソーロ みすず書房 1999年初版


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