2013年4月19日金曜日

印象派の誕生

雨の日のパリ、薄暗い室内にはモネ、ルノワール、シスレー、ドガ、ピサロ、セザンヌ…錚々たる面々の165の絵画が、サイズごとに展示され、訪問者を待っている。

Capucine 大通り35番地にある展示場は、今日も人の気配はない。部屋の隅っこでは髭面の男が、不ぞろいな脚の椅子にふらふらしながら、新聞を手に座っている。

広げられた新聞を肩越しに覗くと、1874年当時、パリのブルジョワや画壇の反応を見ることができる。

" l'ecole des impressionnistes / 印象主義者たち"
 
今や敬意を含んで語られるこの言葉も、風景画家兼ジャーナリストの Louis Leroy が初めて用いた時には軽蔑的な意味合いが強かった。「印象だけで物事を語り、真実を表していない」。これが彼の論旨だった。
 
この論評、というより酷評が一番こたえたのは、髭面の男、ほかならぬクロード・モネその人だったろう。画壇の他の主流派の面々もほとんどが彼らの絵を嘲り、一笑にふしていたが、とりわけこの批評は、自らの作品『印象 日の出』を名指しで批判しているのだからそれも当然だろう。
 
加えて、嘲るように付けられた「印象派」のレッテルが、彼自身の創意ではなく、オーギュスト・ルノワールの弟、エドモンドによって付け加えられたものであるだけになおさらだ。ルノワールの作品が一定以上の評価を得ていただけに…。
 
複雑な思いを抱きながら、モネは窓の外を見る。ショーウィンドーの向こう側では、雨に煙ったパリの街角を、急ぎ足に行き過ぎる人々の姿がある。その一瞬の動き、瞬間の風景を瞼をシャッター代わりに切り取って、頭に残った印象を描きとめようと、急いで鉛筆を紙の上に走らせる…。瞬間の芸術がカメラの発明と時を同じくして生まれたのは、決して偶然ではない。
 
1874年4月15日に開催された第一回印象派展は3500人の人を集めただけに終わった。一世紀後の今日、同様の展覧会がグラン・パレで開催されようものなら、入場者数は100万人をくだらないだろう。だが当時、彼らは未だ著名でなく、地盤も固まっていなかった。公的なサロン展から締め出された彼らにあるのは、自分たちの手法に対する信念と、若さだけだった。
 
その後の彼らの活躍はもはや語るまでもない。絵画を日常の場に持ち込んだその功績は、今も色あせることなく、作品を鑑賞する人々に強烈な印象を残し続けている。
 
Au revoir et a bientot !
更新が遅くなってスイマセンでしたー!!



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