2013年4月7日日曜日

神格化される父とその暗殺者

分厚い強化ガラスの向こうにいたのは、どこにでもいそうなごく普通の男だった。

他の受刑者と同様に頭を丸め、、囚人服をまとっているが、むしろそれゆえに男の平凡さは際立って見えた。他の面会者たちが向かい合っているのは、いかにも屈強で凶悪そうな男たちばかりで、そのせいか面会者たちの顔つきもいわくありげに見えてくる。

それに較べて目の前にいるこの男、ジェームズ・アール・レイ / James Earl Ray はどこか寂しげで、弱々しく見えた。このときすでにC型肝炎を患っており、翌年の1998年に腎不全で亡くなるにしても、その姿はあまりに凡庸で、精気が感じられなかった。テネシー州刑務所の、この場所だけがまるで銀行のカウンターでもあるかのようで、ひょっとして自分は、数年前に預けていた定期預金の満期に伴い、新たな投資先を相談しにきているのではないか、そんな錯覚に襲われる。

こんな男が父を殺したはずがない、とデクスター・キングは一人ごちた。そんな考えは父の偉大さに対する冒涜にすら感じられた。偉大なる人物には英雄的な死が、あるいは少なくとも悲劇的な死が用意されるべきだ。

だが現実には、死はこの世でもっともありふれた事象だ。

デクスター・キングは疲れた頭で想像しようと努める、銀行マンの容姿をしたこの男が、スーツを着てホテルの一室にいる姿を。小さな部屋には書き物机とその前にある大きな鏡、机の上に置かれている灰皿は空っぽだ。セミダブルサイズのベッドの頭上には、印象派風の風景画が飾られている。ベッドの端にはトム・ウィラード/ Tom Willard の名前で数時間前に部屋を借りた男が、漆黒のスーツに身体をねじ込むようにして座っている。ベッドの足元、男の手が届く位置には、レミントン760が、その銃身を鈍く光らせている。一つしかない窓は外に向けて開かれており、時折カーテンが風にはためく。トム・ウィラードの影がその襞に写り込み、記憶される。窓の外では大観衆の醸し出す熱気が大気中に充満していて、部屋の中まで漏れ出してくる。

6時を告げる教会の鐘の音、そしてそれをかき消すようにして大歓声が爆発する。トム・ウィラードは頭をもたげ外を見ると、鈍重に身体を起こす。

その瞬間、演壇に立っていた男、マーティン・ルーサー・キングが崩れ落ちる。
後に警察が発表したところによると、右頬を突き抜けて顎を砕き、脊髄に達してキング牧師の精神を瞬間的に破壊したその弾丸の行方を、一人の特権的な傍観者として見ることになった男は、地の底から湧きあがるように広がった怒号と悲鳴で我に返り、はじかれるように部屋を飛び出した。その後にムスタングの遠ざかるエンジン音が聞こえるように感じたのは、たぶん後付けだろう。

しばらくして、再び部屋の扉が開く。見知らぬ人物が部屋に滑り込む。その男は、持っていた銃を部屋に放り出されたままのレミントン760と入れ替える。窓の外を除き、それからゆっくりと部屋を出ていった。

1968年4月4日、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者、マーティン・ルーサー・キングが暗殺された。ジェームズ・アール・レイは約2ヶ月後、ロンドンのヒースロー空港で身柄を確保され、その後禁固99年の刑を宣告された。

しかし本当の犯人が彼であったかは未だ疑問が残る。FBIの仕業とも、当時のアメリカ大統領、リンドン・ジョンソンが黒幕だ、というものもある(彼についてはJ・F・ケネディ暗殺の容疑もかけられている)。キング牧師の息子、デクスター・キングは今も、真実を求めてさまよっている。

Au revoir et a bientot !
 


0 件のコメント:

コメントを投稿