2013年4月28日日曜日

Kamikaze 精神を継承する原理主義者たち

「神は死んだ」 と19世紀にニーチェはいった。「もし神が存在しないのなら創り出さねばならない」 と18世紀にヴォルテールはいった。現在は21世紀、神の実在は未だ実証されていない。神は本当に存在するのか?いるとして神は必要なのか?

日本では「自爆テロ」と呼ばれる行為は、海外では "kamikaze" と一般に呼ばれている。もちろん語源は日本語の「神風」にある。

第二次大戦中の「神風特攻隊」がその元となっているのは言うまでもないが、さらに遡るならば、そもそもその特別攻撃隊の名称が、元寇を追い払った暴風雨に端を発していることぐらい、日本人なら容易に理解できるだろう。

だからといってその精神性まで理解できるわけではない。太平洋戦争末期に採用されたその決死攻撃が、それだけで戦況を覆すことができる決定打となるはずもないことは、いかに愛国的軍国主義者であろうとも、容易に想像できただろう。

もし事実、二度の元寇の時と同様に、連合軍を壊滅させる働きを期待されて名付けられたとすれば、決死攻撃の結果ではなく、特攻隊員たちを供犠にして、神風が吹くのを、つまるところ奇跡が起こるのを祈っていた、とするのが適当ではないだろうか。

言葉には不思議なところがあって、意味を正しく理解せぬまま輸出・輸入された語が、母語とは異なる環境下で変質を遂げて、むしろその後の本質を表す、といったことがある。

kamikaze もまた、そうした語のひとつなのだろうか。

神風特攻隊の狂気じみた精神ゆえに、世界的に自爆テロを指すものとして認知されるようになったこの言葉は、それを唆す主導者たちの、ねじ曲がった祈りの用語となった。

それは現実的でない変革を訴えて人身御供を捧げ、「神」の威力に期待する、非現実的な原理主義者たちの祈祷の言葉だ。

さて、最初の問いに対して、2009年全米No1 ヒット、94% の観客の共感を得たという映画のタイトルをもじってこう答えよう。

「そんな神なら棄てちゃえば?」
 
Au revoir et à bientôt !
 

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