2014年8月11日月曜日

書かれなかった過去を振り返ろう 5/27 ――コミュニケーション入門

危険を感じると、人は心を閉ざしてしまう。自分とのコミュニケーションに安全・安心を感じてもらうためには、その人が大事にしてる価値観に共感する必要がある。

コミュニケーション、一言にいっても容易くはない。自分ではない他人と、意見や言葉を通わせることだ、一筋縄ではいかないことは容易に察せられるはずだ。

実際には、人はそれほどコミュニケーションを問題視しない。空気ほどにありふれており、習熟とは縁遠いものと思われているからだ。結果的に、巷にはミスコミュニケーションがあふれかえる。伝えたつもりなのに伝わっていない、自分の言っていることがなぜか理解されない…誰にでもなんかしら思い当たることはあるはずだが、だからと言ってそうそう改善しようと思わないのが、人間だ。「相手が悪い」と自分の非を棚に挙げて、人の悪いところにばかり目が言ってしまう。

コミュニケーションを仕事の中枢に据えていると、そうでない人よりほんの少し、その難しさを感じる機会が増える。認知症の方はおろか、普段何気なく接している一般の職員とも、良好な関係が保てているか、怪しく思える。

そんなふうにコミュニケーションについて改めて学んでいる最中だったから、なおのことペルソナ4に深くのめりこんでしまった。「いろんな人と関係を深めることが、自分の力になる」という哲学に基づいたシステムは、そのまま社会の反映となる。なお、あまりに深くのめりこんでしまうと、社会そのものから離れて、ゲームの世界に閉じこもってしまう模様。

コミュニケーションの要点は、「この人は私の話を聞いてくれる」と相手に思わせることだ。もっと言えば、「私を受け入れてくれる」存在になることだが、口で言うのは簡単でも、実行するのは難しい。そらそうよ。誰もが大海のように広い心の持ち主ではない。

私のような狭量な人間でも、継続してコミュニケーション技術を磨くために、必要なことをメモ代わりに書き残しておこう。

上述のように、相手にとっての「受け入れてくれる」存在になる、一番のポイントは、聞き上手になることだ。そのためには質問力が求められる。どんな質問を、どのようにするかで、その人との関係が決まる。

尋問にならないことが大切だ。言いかえればこれは、「自分の聞きたいこと」ではなく、「相手の喋りたいこと」と質問することだ。そのためには相手のことを良く知らなければならない。表情やしぐさは勿論のこと、普段相手がどのような言葉を使っているか(視覚的か、聴覚的か、触覚的かなど)や、どの言葉に重点を置いて話をしているか、など。

そしてその感覚や感情に自分の気持ちをあわせる(ペーシング)こと。そうすることで、相手は共感されている、と感じられる。キーとなる単語を繰り返すことは、簡単だが効果的な方法だ。

だから何度でも繰り返そう。同じような主題、同じテーマの文章を、違った時期、違ったスタイルで書くことで、自分自身への理解を深めることができるから。人によってはそれを読んで、私のことを理解しようと思ってくれる人もいるかもしれない。そんな儚い思いを抱きつつ、次回再度ペルソナ4いついて書く。

Au revoir et a bientot !

0 件のコメント:

コメントを投稿