2014年3月30日日曜日

『少年はもっと眠りたい / Le garçon qui voulait dormir』

前回に少しだけ紹介した、アハロン・アッペルフェルドの 『Le garçon qui voulait dormir / 少年はもっと眠りたい』 について、もう少し深く掘り下げてみよう。

文章は平易でわかりやすい。私のフランス語のレベルでも、ほとんど辞書を引かないで読めるのだから、そうとうなものだ。原文のヘブライ語ではどうか知らないが(もっとも筆者は別のところで、「ヘブライ語は非常に簡素な言語です」と語っている)、少なくともフランス語訳されたアッペルフェルドは、難解さと無縁のところにいう。

この小説の設定は奇妙だ。主人公の少年は、戦禍からイタリアに逃げてきた一人だ。同じく避難してきた人たちからは、「眠り児」と呼ばれている。避難の最中にあって、少年はずっと眠り続け、なにがあっても決して目を覚まさなかった。

彼らの中からは「置いていこう」という声もあがった。むしろ、それが大多数の意見だったといえる。少数の者が頑固に反対した。ただ人道的な見地からだけではない。少年は彼らには見えていないものが見えていて、いつか目覚めたときには、それを語ってくれるはずだ、と少数の人々はいう。少年は、彼らを導く預言者なのだ、と。

にもかかわらず、だ。物語は少年が目覚めるところから始まる。その後ストーリーが進むにつれ、幾ばくかの揺り戻しはあるものの、ほとんどの場合少年は目覚めている。目覚めて、肉体の鍛錬やヘブライ語の学習にいそしむ。

少年は目覚めている。周囲は彼のことを「眠り児」として記憶している。そして少年が語り始めるのを期待する。なにを?彼が夢の中で神から得たはずの託宣を告げるのを。

実際に少年が見た夢は、多くの人間が見る夢と同様に、個人的だ。夢を見た本人にしか、その価値は測れない。

夢の中で幾度も、少年は父や母に出会う。戦争で別れ、行方の知れない両親のこと。夢は記憶と混ざり合い、ときに補填し、補強し、またときに混同する。

少年は「眠り児」だった頃を知る人々を避ける。当然だ。彼は彼らが求める預言者では、ない。そうである以上、彼の存在は人々を失望される。それが、怖い。希望を、一人背負うには、少年の肩はまだか細い。

いつか少年は大人になって、自分自身と向き合うだろう。自分の過去、人々の求める役割とのギャップ、失われた母語への追憶などに苦しみながら。書くことが彼の道を切り開く。それは、夢の中から見つけてきた道具だ。彼らの民族の多くはそうして、自らの存在を見つめなおしてきた。シュルツ、カフカ、少年の父、そして少年自身…。

Au revoir et à bientôt !

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