2014年3月21日金曜日

賢者タイムに見る映画―― 『ラヴレース』

マスターベーションを終えた後の醒めた気分で、今楽しんだばかりのAVを見直す。見られたもんじゃねえな。あえぎ声はうるさいし、演技は大げさ、そもそもセックスしてるばかりで、新鮮味もクソもないよね。


なんて思いながらも次の機会には、そのとき感じた気分も忘れて、また勃起し、射精する。悲しいけどコレ、男の性。


映画『ラヴレース』はそんな男たちの欲望に一生を狂わされることになった、リンダ・ラヴレースの実話をもとにした作品だ。DVを振るう夫に強要され、アダルトヴィデオに出演する羽目になった彼女は、出演作『ディープ・スロート』によって、瞬く間にスターの階段を上り詰める。ポルノスターではない、ホンモノのスターだ。でも、ホンモノっていったいなんだろう?


映画はその過程とともに、華やかな人生の裏側、夫の暴力や性的虐待、売春の強要、両親との不仲などを描いている。


時は1970年。奇しくも先日紹介したピンチョンの『LAヴァイス』と同じ時代だ。当時を知らない我々には、時代の雰囲気を味わう一種の資料にもなる。まぁもちろん、現代から見つめなおしているから歪なんだけど。


ぶっちゃけ、主演のアマンダ・セイフライドの可愛さがすべてだよね。たぶん観客の何人かは、あられもない姿態を想像して、興奮して、マスターベーションに走るだろう。それが、この映画の正しい鑑賞法だ。彼女だって、スターになって、満更でもなさそうだろう?


そうなのだ、この作品の上手いところは、彼女の喜びをきちんと描いているところだ。後のポルノヴィデオ反対運動家としてのリンダに焦点を当ててしまうと、どうしてもポルノスターとしての彼女は控えめに描く必要がある。忌まわしく、強要された、忘れ去りたい過去として。


実際にはそうではない。少なくともこの映画ではそうだ。始めは戸惑い、躊躇いがちだったラヴレースも、人々の賞賛と賛辞を得て、だんだんとそのきになっていく。彼女も人の子。もて囃されればその気になる。誰もそのことで攻められまい。


その後の運命と行動は、オナニー後の賢者タイムのようなものだ。後悔甚だしいが、いずれ繰り返すことになる。ラヴレースの強さは、そんな弱さに打ち勝った点だ。だがそこにはほとんど触れられない。なぜって、人は弱いものだから。


過去のことを思っちゃだめだよ。なんであんなことをしたんだろうって、怒りに変わってくるから。未来のことも思っちゃだめ。大丈夫かな、あは~ん。不安になってくるでしょ。ならばあ、今ここを生きていけば、みんな、活き活きするぞ! by 松岡修造


Au revoir et à bientôt !

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