2014年3月25日火曜日

ユダヤの作家たち

前々回にも少し書いたが、ユダヤ系作家の小説を集中して読んでいる。「ユダヤ系」という括り自体にほとんど意味がなく、差別的なきらいがあるが、実際そのことで民族的に迫害を受け、あげく大量虐殺にまで至った歴史があるのだから、その区分で本を読むことに、必ずしも意味がない、とはいえないだろう。殊にそれが、反省の意味を込めてなされるのであれば。

そもそも「ユダヤ人」とはなにか?の定義をしてみよう。といっても勿論、Wikipedia からの引用だ。それによるとユダヤ人とは、


「ユダヤ人とはユダヤ教を信仰する人々」という定義は古代・中世にはあてはまるが、近世以降ではキリスト教に改宗したユダヤ人(例えばフェリックス・メンデルスゾーンやグスタフ・マーラー、ベンジャミン・ディズレーリ)も無神論者のユダヤ人(例えばジークムント・フロイト)も「ユダヤ人」と呼ばれることが多い。なお、イスラエル国内においてユダヤ教を信仰していない者は、Israeli(イスラエル人)である。
帰還法では「ユダヤ人の母から産まれた者、もしくはユダヤ教に改宗し他の宗教を一切信じない者」をユダヤ人として定義している。また、ユダヤ人社会内やイスラエル国内においては、「ユダヤ人の母を持つ者」をユダヤ人と呼ぶのに対し、ヨーロッパなどでは、母がユダヤ人でなくともユダヤ人の血統を持った者(たとえば母がヨーロッパ人、父がユダヤ人など)もユダヤ人として扱うことが多い。


ということになる。このブログでもこの定義をそのまま使用させてもらう。

もちろん、そのように規定しておいて私が語りたいのは作家たちのことだ。アイザック・バシェビシュ・シンガーのように、自分の出自にとことんこだわって書く作家がいる一方で、カフカのように普遍性を追い求める作家もいる。もっとも彼の作品に出てくる雰囲気を見ていると、同時代の他のユダヤ系作家のそれと、驚くほどよく似ているのだけれど。ヨーゼフ・ロート(1894-1939)ブルーノ・シュルツ(1892-1942)を参照せよ。

カフカやロート、シュルツといった面々は、ヨーロッパで生きたユダヤ人の世代だ。多くが東欧に生まれ住み、その文化にある程度根ざしながらもユダヤ人である自分を意識していた世代だ。この前の世代にとっての重大事件がドレフェス事件だとすれば、彼らにとっては第一次大戦がそれにあたる。

次の世代、シンガーの世代の数は多くない。その青春・壮年時代が第二次大戦に重なっているからだ。意味するところは明白だろう。悲劇を逃れてアメリカに早々に渡ったあとも、イディッシュ語で書き続けたシンガーの存在感は、決して小さくないはずだ。

その後にはホロコーストを生き延びた人々、少年期に第二次大戦を経験した世代が続く。アハロン・アッぺルフェルド(1932- )やアモス・オズ(1939- )を代表としておこう。彼らにとってカフカの文学が占める大きさは、世界文学に占めるカフカの大きさを超える。アッペルフェルドの小説、『Le garçon qui voulait dormir / 眠りたかった少年』では、その扱いはほとんど聖書と等しい。

イスラエル文学は彼らと共に誕生した。彼らはそれまでの世代(の作家)にはなかった選択を迫られる。母語を捨てる、という決断。ヘブライ語で書くこと、それは両親の世代からの決別を意味する。名前も変え、言葉も変え、彼らは新しい民族となる。ヨーロッパで迫害されていたユダヤ人ではない、イスラエルの地に根ざしたイスラエル国民として。

日本ではあまり紹介されることのないイスラエル文学を、フランス語を通じてではあるが今後紹介していこう。

Au revoir et à bientôt !

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