2014年3月10日月曜日

死後の2時間30分――『対岸』

10年ほど前からことあるごとに、20世紀最高の短編小説は『南部高速道路だと言い続けてきた。今も私にとってはそうであり続けているし、これからもきっとそうだろう。ここには短編のすべてがあるし、若い頃の感動を年を取ってから超えるのは難しい。

作者はフリオ・コルタサル。2014年の今年、生誕100年、没後30年にあたる。おそらく日本でも、それなりの規模で特集や新訳が現れるだろう。その程度には、有名だ。というか、世界文学においてその名は燦然と輝いている、って前回のアチェベの言い草をそのままパクってるわけだが。

そんな彼の処女短編集『対岸』が、先月翻訳出版された。キューバで行われた講演「短編小説の諸相」も併せて。もちろん買わずには済むまいよ。

収められた13編から1つ紹介しよう。
「電話して、デリア」の主人公、デリアは自分と幼い子どもを捨てた元夫ソニーのことを考えている。洗剤が指の傷に浸み込む痛みにも耐えて、彼のことを。ソニーがデリアのもとを去って2年。その間一度も連絡はなかった。それでもデリアは、彼からの電話を待つ。今日は一度も電話が鳴らなかった。

7時20分、電話が鳴る。ソニーからだ。彼の声には妙な響きがある。刑務所とか、バーとか、どこかそんなところからかけてきている感じ。いろいろ話したいことがあるんだよ、そんなふうに切り出しながら彼がデリアに言いたいことはひとつ、「デリア、僕を赦してくれるかい?」それだけだ。デリアにはその声にはなにかが欠けている(余っている?)ような気がする。

デリアにはソニーが赦せない。赦せるわけがない。葛藤はある。だが己の感情が混沌として、整理のつかないままに、電話は切れてしまった。受話器を手に、呆然とするデリア。時刻は7時30分。

二人の友人、スティーヴがデリアを訪問する。切り出す話はまたしてもソニーのことだ。「捕まったの?」デリアはたずねる。さっき彼から電話があったの。どうも刑務所の中からかけてきているようだったわ。それを聞いたスティーヴは驚いてこういう、「ありえないよ。だってソニーは5時に死んだんだよ」。

コルタサルは併録された講演「短編小説の諸相」で、短編小説は写真のようなものだという(対して長編小説は映画のようだ、と)。「…すなわち、写真は、決まった枠によって限られた断片を切り取るが、その断片が引き起こす爆発によって、その向こうにさらに大きな現実を開示し、カメラの写し出した光景を精神的に超越する動的ヴィジョンとなる」(p.151) と書くように、この短編には写真の枠の外を、読者に思う存分想像させる。

私の考えるのはこんなことだ。亡くなったソニーは5時以降、死と生のあいだにある待合室にいる。そこでしばらく待機したあと、二つある扉のどちらかに連れて行かれる。部屋には公衆電話が置いてあって、受話器を上げるとそのとき一番話したい人、謝りたい人に繋がる。

コルタサルには写真をテーマにした有名な短編がある。「悪魔の涎」と題され、ゴッサマー現象を扱った作品だ。私には非常に縁深い作品だが、それは今ここで関係がない。「南部高速道路」も収録された、この『悪魔の涎・追い求める男』という、日本オリジナル短編集が、やはり最高だぜ。

Au revoir et à bientôt !



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