2011年12月9日金曜日

Le nuage / 雲

LE NUAGE / 雲

A Parra del Riego. / パラ・デル・リエゴに
ひと掴みの雲がドレスの襞に隠れようとし、
風景は、陸と太陽から逃れた。
川面にかかるどのハンノキが、そして夕暮れのどんな色が
急ぎ足で空を過ぎる、うつろな雲に震えるのだろうか?
花は「私」に嵌め込まれたように身を輪郭に収め、
金属は盲だと感じずにすむように落下音を立てる。
そんなものを空の避難所に
運ぼうとするなんて、
自らの輪郭にも震える軽すぎる雲よ、
ひどく重苦しい匂いや、ブドウの木の上の熱気、
そんなものまで運ぶのか、匂いも熱もない雲よ!
イグサ小屋に住む世に隠れた男の悲しみを、
彼は望んだ、この美しい悲哀を、空から遠く離れて、
喉をかき切られた男の叫びは、牧場の沈黙と
星の光を浴びた沈黙を守ること、それを皆に知らせたいと。
そしてピレネー山中の激流を銀色の鱒が飛び跳ねているのを見た
誰も如何に鱒を魅了したのか知らないのか?
野イチゴは
ごく近くからしか見ていないのに
一体どうやって魅了したのか、穴のあいたポケットと、
雲しかないのに?
けどそれは、ほんの僅かなものさえも、全く驚かさなかったようだ、
あまりに重たいので、乗せることができなかったわけではない、
市場も、一ダースばかりの飲み屋も
外に置かれたすべてのテーブルも、笑顔も、
金を使った手口も、木製の豚も、彼らの画家も!


長いので今回は日本語訳のみを。今回はちょっとひどいですね。特に最後から五行目が文法的に全くわかりません。原文は「Mais rien ne semble etonnant a ce peu de rien qui glisse,」なんですが。

 
シャルトルブルーと呼ばれる大聖堂の青のステンドグラス。
写真では上手く色が出ていませんが。

雲を扱った詩といえば、マヤコフスキーの『ズボンをはいた雲』が有名ですね。この詩とはまったく内容が異なるものだったと思います。やはり時代背景もあり、どうしても革命との関係を思わずにはおれません。

対してシュペルヴィエルの詩は、反時代性というか、いつの時代にも通用するものがあると思います。もっと言うと神秘主義的ですね。
私は個人的な好みとして、神秘主義に惹かれる、というのがあります。馬や鳥、樹といった具体名詞と、沈黙や時間といった抽象名詞が並列されて不思議な効果が出ています。特にシュペルヴィエルは詩人としては珍しく、視覚性を重視している点も自分の好みに合致します。

さて、次が「Le matin du monde」では最後の詩、「Grenade」になります。既にさっと訳したのですが、ここまで訳してみて「Le matin du monde」全体でひとつの詩になっているのか、最後に相応しい内容となっているような気がします。私の拙い翻訳でそこまで表現できるかは不明です。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!

0 件のコメント:

コメントを投稿