2011年8月19日金曜日

コンセプチュアル?アート?

おはようございます。

昨日更新しようと思ったのですが、パソコンの不具合で今日の更新と相成りました。

さて、昨日は猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)で開催中の企画展、『杉本博司 アートの起源 / 歴史』に行ってきました。

なんでもこの企画展、一年に渡って一人のアーティストを追う、というもので、既にこれまでに「科学」「建築」が実施されていて、次には「宗教」が待ち受けているとのこと。

面白かったか、と言われるとうん、面白かった。量的に少ない気はするけど。というところ。

一時に較べていわゆる「現代アート」というものを見る機会が格段に減ったのですが、理由として一番大きいのが、私の中では、「現代アート=コンセプチュアル・アート(*)」という等式が成り立っていて、力点が「コンセプチュアル」のほうに置かれている、それが面白くなかったのです。

だって、コンセプト(この言葉を広くとらえるならば思想)を伝えるだけなら言葉で十分であって、そのほうが分かりやすく、面白いでしょう?

そして実際、現代アートの作品展に行くたびに、言葉の占めるウェイトの大きさ(入り口で手渡されるパンフレットの形式的・実際的な重み、作品に右下、あるいは左下につけられたタイトルと解説を覗き込む行為)を目の当たりにして、うんざりしてしまったのです。

でも、今回のは面白かった。何故か?

もう、単純ですよね。「アート」の部分で面白かったからです。

杉本さんの作品が「コンセプチュアル・アート」でもなく、「コンセプチュアル・アート」でもなく、「コンセプチュアル・アート」だったからです。

これを機会に、現代アートってものを見直してみたいと、ちょっとだけ思いました。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
猪熊弦一郎美術館を正面から

(*注記)もしかすると、というより間違いなく「コンセプチュアル・アート」という概念、美術史上の定義といったものからは外れた意味で使っていると思います。基本的にここでは、「コンセプチュアル・アート」=「製作者の意図や志向する概念、意味内容を重視した芸術」といった程度の意味で使用しています。悪しからず。

3 件のコメント:

  1. おお!コメントが投稿し易くなっている!!Je sues merveill eux!!

    現代アート展、いかにもつまんなさそうですね。わたしもこの前京都市立芸術大学研究室の展示会に行きました。つまんないだろうと思いきや、つまんないものもありましたが、とても素晴らしい作品もいくつかありました。日本で美術家としてやっていくにはかなり厳しいとは思いますが、日本でももっとアートに親しみやすい環境になるといいですね。

    だいぶ話が逸れました。。。

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  2. ご要望に答えて、コメント投稿を簡単にしてみました。

    「アート」という言葉が人口に膾炙している現在、「アーティスト」はたくさんいるのかもしれません。でも彼らは彼らの中だけで楽しんでいて、一般の人が見ても良く分からない(そもそも見る機会がほとんどない)。そんな状態になっていると思います。もっともこれは、美術に限らず、文学の世界でも同様のことが言えると思いますが。

    内輪での褒め合いに終始するのでなく、外部、他人にしっかりと目を向けて発信された芸術が出てくればなぁ、と個人的には思っています。それだと芸術の本分から離れてしまうのかな? l'art pour l'art だとすれば。

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  3. 芸術は、伝えたいものがあってこその芸術なので、メッセージ性が消えるとただの遊びになるのでは。

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