2011年7月15日金曜日

軽やかさ

おはようございます。

前回に引き続き、軽さについてのお話です。

20世紀イタリアを代表する作家、イタロ・カルヴィーノもまた「軽さ」の魅力に取りつかれた一人でした。『カルヴィーノの文学講義――新たな千年紀のための六つのメモ』において、今後千年の文学に必要なもののひとつに軽さをあげていますUちなみに他の五つは「速さ」、「正確さ」、「視覚性」、「多様性」、そして書かれてはいませんが「一貫性」)。

20世紀(もしかすると21世紀も)は軽さの復権が試みられ、半ば以上成功した時代だと言えるでしょうか?

私自身、自分が重いものに立脚・寄りかかっているのを知りつつ、軽やかさに憧れている一人です。

壁の落書き。これもまた一種重さへの挑戦?
では、軽さ、軽やかさとはなにか?――それは変化を恐れない心、あるいは自由とも言いかえられるでしょうか。

つまるところ、軽やかさは若さと密接に結びついているのです。

逆にいえばそれは、軽率さや軽はずみといった悪癖を生むものでもあります。

死のメタファーである土や石を逃れて、空や水へと逃れようとする人間の試み(=重さからの逃走)、それは時間という不可逆的な流れの中を遡行しようとする無謀な所業なのです。

重さへの挑戦=軽さへの憧憬、それこそイカロスが空を飛んだ時代から繰り返される人間の愚かさであり、また人間のもっとも人間らしいところなのではないでしょうか。

「もっと軽く、もっと速く!」

携帯電話などの道具の発展を見ていると、カルヴィーノの予言はどうやら正しいようです。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!

Montparnasse 墓地。結局誰も重さからは逃れられない。

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