2011年7月23日土曜日

道は空間に捧げられた讃辞である

おはようございます。

Le Tour de France 2011 が終わりを迎えようとしています。

なんといっても今年は、コンタドールの敗北が印象的でした(一応まだわかりませんが)。

このところスペイン勢がスポーツ界を席巻していた感がありますが、この敗北が一時代の終わりを告げるものとなるのでしょうか?――これについてはまた別の機会を設けようと思っています。

さて、表題のお話です。

「空間(と時間)」というと如何にも哲学的な話題になりますが、ここではもっと簡単に。

「もっと速く!」と速度を追求した結果、何を得て何を失うのか?――たとえば、歩けば2時間かかるところを車で行けば10分で着く。そのとき時間は短縮されているが、と同時に空間も縮小している、と考えられるでしょう。

対象まで到達する時間が短くなれば距離もまた短くなる、という感覚は、多くの人が感じているのではないでしょうか。

この考えを推し進めて、ある人がA点からB点に移動するのにタイムラグが(ほとんど)ない、という状態を考えてみます。

それは、「(B点へ)行きたいと思ったときにはすでに到着している」状態であり、つまるところそれはミクロコスモスとマクロコスモスとが皮膚一枚のみを隔てて、同じ状態にある、といいうことではないでしょうか。このとき「私」はどこに存在するのでしょう。

最後に、表題に上げたクンデラの非常に美しい道への賛歌を。

道。ひとが歩く帯状の土地。高速道路が道と区別されるのは、車で走りまわるからだけではなく、それはある点と他の点を結びつける単なる線にすぎないというところにある。高速道路はそれ自体ではいかなる意味もない。それによって結びつけられる二つの点だけが、意味をもつにすぎない。一方、道は空間に捧げられた讃辞である。道をどこで区切っても、それぞれにおいて意味が備えられていて、われわれを停止へと誘う。高速道路とは、空間の価値を貶める勝ち誇った低落作用であり、空間はこうして今日ではもはや人間の動きに対する障害、時間の損失以外のなにものでもなくなってしまっている。『不滅』(p.376-377 集英社文庫)

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
ほんとは自転車の写真が欲しかったんだけど、見つからなかった・・・

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