前々回にミラン・クンデラとアゴタ・クリストフについて書く、と言ったのに前回ではかすりもしませんでした。なので、今日はクンデラに関する話(雑談?)を。
傑作『存在の耐えられない軽さ』において、クンデラは「軽さ」と「重さ」の対比の妙について書いています。その部分を少し引用すると、
『・・・軽さと重さでは、どちらが肯定的なのであろうか?
パルメニデースは答えた。軽さが肯定的で、重さが否定的だと。
正しいかどうか? それが問題だ。確かなことはただ一つ、重さ――軽さという対立はあらゆる対立の中でもっともミステリアスで、もっとも多義的だということである。』
『存在の耐えられない軽さ』(集英社文庫 p.9-10)
ここからは私の意見。
人間は、その「存在の耐えられない軽さ」ゆえなのか、潜在的に重さを求める傾向があるように思われます。
言葉でも「言葉の重み」という表現からもわかるとおり、軽さは信用されません。
けれども、言葉や態度の軽さが人を助けるということもあるのだと思います。
深刻に捉えていた出来事を、自分の信頼できる友人が軽く笑って済ませてくれることで、心の荷が下りる、ということもあるでしょう。
更に言えば、言葉の軽重はそれを発する人の人となりで随分と変わるものだと思います。
仕事をまじめにしていない人から、仕事に対する姿勢や心構えを延々と語られても…という経験は多くの人が持つのではないでしょうか?
「言葉と行動」。この対比もまた、ありきたりですが面白いテーマだと思います。
Centre Pompidou にて。 軽やかさを感じる絵。 |
Au revoir, à la prochaine fois!
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