2011年7月22日金曜日

食卓の個人主義

おはようございます。

前回、異言語同士ではなかなか正確な変換は難しい、ということを少し話しました。
今回はその身近な例、「いただきます」と「Bon appétit! 」について話したいと思います。

この二つの言葉、いずれも食事の前に言うのですが、意味はまったく正反対だといえます。

日本語の「いただきます」は言わずもがな、食事を提供された側、食べる人の言葉です。
一方に「Bon appétit! 」に関しては、食事を提供する側、作った人が発する言葉であり、日本語に訳すならば、「召し上がれ」が適当でしょうか。

この違いは文化(大きく言えば仏教文化とキリスト教文化)の差なのだということができるでしょうか?

「いただきます」には料理を作ってくれた人のみならず、農作物を作った人、更にはそれを運んでくれた人、果ては食肉となった生き物までを感謝の対象に含め、「いただいて」いるのだ、ということを子供のころに教えられました。要はそのどの要素が欠けていても、あなたは今目の前にあるものを食べることができなかったのだ、ということです。

対して「Bon appétit! 」にはどうしても、料理を作った人と食べる人との間でのみ成立する、つまり個人と個人の間に終始した言葉のような気がします。

もちろん、他の言葉や習慣がこの感謝の情を表していると考えられなくもありません。食前の祈りなどがおそらくそうなのでしょう。しかしその感謝もまた、人の形をした(あるいはそれに近い)「神」へと向けられたものであって、個人間の関係を越えたものではないのではないでしょうか。

ヨーロッパの子供はほんとかわいいよねぇ。
もっとも、これらはすべて、仏教圏で育った人間の私見にすぎず、キリスト教圏で育った人から見たらまた違ったものになるでしょう。そういった人の意見をぜひ聞いてみたいものです。

あまりに簡単に個人主義の問題にまとめてしまった印象がありますが、今回はこのあたりで。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!

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