2012年6月17日日曜日

心構え、門構え

おはようございます。前回からの続きです。

「君が代」において、石と苔は長く続くものの象徴として扱われています。さざれ石から巌になる、その過程自体、そもそも長い年月を包含しているのでもあります。

にもかかわらず、日本の建築様式に目をやってみると、伝統的に「建てかえる」ことを前提に造られているように、素人の私には思われます。

その代表例として、やはり伊勢神宮があげられるでしょう。20年に一度という、決して長くはないスパンで、そのすべてを全く新しく作り直す。そのような伝統が「継続して」古来より受け継がれているのは、他に類を見ないのではないでしょうか。

一方の西欧、「A rolling stone gathers no mosse」の諺に限っていえばイギリス、アメリカですが、そこでは石が様々な建築物に使われているのを目の当たりにするでしょう。

それらの堅固な建物を見ていると、この石、とてもじゃないが転がるような代物には見えない。

そんな堅さを象徴する石を、転がせる頭の柔らかさに、西欧文明の懐の深さを感じる、といっては言い過ぎな気がしますが、とにかく、それでも石の象徴する建物、そこに住む家族、国を捨てて、アメリカに転がっていった人々が、この諺を肯定的に捉えようとするのは、心境として非常によくわかるように思うのです。

二つの文化、箴言を比較して、面白いのは外面的に見られる文化はまさに正反対をなしている点です。継続を唱える日本文化は何度も建て替えが可能な、可塑性に富んだものを作り、一方の西欧文化は、変化を求めながらも、200年を超える歳月に耐え得るほど、堅固で不変なものを建てる、この矛盾。

これを矛盾とはせず、理にかなったものとするためには、もうひとつ別の次元を導入する必要があるでしょう。精神、心構えの次元を。

曰く、日本は技術、伝統を継承することで、可塑性を獲得しており、西欧は異なる思想の積み重ねと変遷をもってして、普遍性を得た、という風に。

まさにこれは各々の「スタイル」の問題でしょうが、これについてはまた、別の機会に。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
変わるとは、変わらないとはどういうことか。

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