2012年6月2日土曜日

翻訳の愉しみ

おはようございます。

昨日もシュペルヴィエルの翻訳を載せました。昨年末くらいから、少しずつではありますが継続的に、翻訳作業を続けています。

詩だったり、短い紀行文だったり、新聞記事だったり、やっているものはいろいろですが、面白いのはそのどれにも自分の色が見出せること。

良くも悪くも自分の文体が、訳した文章に出ている。それはもう、恥ずかしくなるくらいに。

語の選択、という最初期の段階で既にその兆候は表れ始め、最終的に文体の統一をすることで、頂点に達します。

もっともそれ以前、原文を選択する時点ですでに、私の嗜好が明らかになっているわけですが。

その好みの表出こそが、翻訳の愉しみのひとつであるわけです。

原文を読んでなんとなくいいなと思った、フレーズ、文章を日本語に、移しかえる。その際自分の中で言葉にならないまま、くすぶっていた思考に形が与えられる。訳された比喩が、探していた表現の空白にぴたりと当てはまる。

そしてなによりも、隠れていた自分の趣味をあぶり出すことができる。

原文で意味のよく掴めないままに訳した文章が、自分の頭の中にストンと落ちる。あるいは全く相いれずに異物として、いつまでもとどまり続ける。その異物が今度はある種のマイルストーンとなって、自分の中に価値の距離感を形成する。

翻訳という作業は、自分の中に存在する未知の領域を探索することでもあるのかもしれません。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
よーし、神戸押しだー!新長田駅前の鉄人28号

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