2012年6月21日木曜日

スタイルの問題

おはようございます。

スタイルとはなんだろう、と思えばとりあえず辞書を引いてみるぼが一番で、手元の仏和辞書でstyle を調べてみると、① 文体、② 様式、③ 流儀、といった具合で、述語を見れば、avoir du style で「独自の文体、スタイルを持つ」、style de vie で「ライフスタイル」とあります。

この語をさらに、仏仏辞書 Le Robert で見ると、ポール・ヴァレリーの次のような言葉に行き着きます。

Le style resulte d'une sensibilite speciale a l'egard du langage. Cela ne s'acquiert pas; mais cela se developpe.
スタイルは言葉に対する特別な感受性に由来する。それは手に入れるのでなく、発達するものだ。


今日はそんな、自分のスタイルに悩む人のお話です。

スタイルといえば、一番に思い出されるのが、2006年ノーベル文学賞受賞の作家、オルハン・パムクの代表作、『わたしの名は紅』でしょう。
この作品内では、スタイルに関する意見の相違ゆえに殺人が行われ、またスタイルの違いを見分けることで、犯人を見つけ出すという、実に文学的推理小説となっています。

舞台は16世紀のオスマントルコ治世下のイスタンブル。遠近法を駆使する西洋の魔術的絵画に驚き、動揺する細密画家たちが主人公です。

彼らにとって「美」とは、昔の名人たちが描いたように描く、ことであって自分らしさや、個性、その証としてのサイン、などは欠陥品の証拠のようなものであったのです。

けれども彼らが模倣に走る、過去の名人たちの絵にはいずれも、サインなどなくともまぎれもなくそれとわかる、スタイルが存在しているのです。

細密画家たちは、各々自分の技能と才能、そして名誉欲と相談しながら、絵とは何か、美とは何か、スタイルとは何か、を求めて手探りで、進んでいきます。

彼らにとって、スタイルとは結局いかなるものなのか。それは実際に読んで確かめてほしいと思いますが、最後にあえて私自身がスタイルを語るならば、それはどこか他の場所に探し求めるものではなく、まして見つかることなどありえないものであって、きっと自分の内側で発達させるものなのでしょう。
それが特別な資質だとは、認めるわけにはいかないのですけど。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!

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