2013年3月15日金曜日

流れよわが涙、と教皇は言った

先日、コンクラーヴェが終わり、新たな教皇が無事選出された。

中南米出身として初のローマ教皇となったフランシスコ1世のニュースは、一般的にはキリスト教圏とはいえない日本においても、広く報道された。

このローマ教皇選出の儀式、コンクラーヴェをより知りたいと思うあなた、『ローマ法王の休日』なる映画を観るがよろしい。今回のように事前に有力視されていなかった人物がローマ法王に推挙される過程が、実にコミカルに描かれており、聖職者、枢機卿と言えども人間なのだと、まざまざと知ることになるだろう。

ところで今回なぜ急に教皇が変わることになったのか?そもそもの原因は前教皇ベネディクト16世が高齢を理由に教皇の座を辞したことにあるのだが、生前の退位という事態がまず類をみないことであり、歴史上今回が2度目、実に 719年ぶり だということだ。

思うに今回の退位の間接的な原因には、聖職者の児童に対する性的虐待があったろう。もちろん他にも権力闘争やマネーロンダリングなど、世俗的で醜い争い、問題はある。それでも性的虐待ほどショッキングではないし、また前教皇自体、完全に白、と言いきれないことがカトリック教会自体のイメージを非常に損なったのではないか。カトリックはおろか、キリスト教とまったく繋がりを持たない私からはそう見える。

さて、1995年の今日、世界で起こった出来事を振り返ってみよう。このところ、このブログが「今日はなんの日?」みたいになっているのは公然の秘密だ。

場所はローマ近郊の小さな町、Civitavecchia 。時刻は朝の8時15分。町の司祭 Girolamo Grillo はそのとき、血の涙を流すマリア像を目の前にしていたにもかかわらず、大して驚きもしなかった。

もうろくジジイだったから?――なるほど、確かにそれもある。彼は年老いて、判断力も衰えていた。口の端に加えた煙草の吸殻が、固まった涎に見えることもしばしばだ――だが、それが理由ではない。数日前に教区の信徒の一人が、「マリア様が血の涙を流した」といって、この像を彼の下に持って来たのだ。

幸いにしてと言おうか、もちろんと言おうか、その言葉を鵜呑みにするほど、彼は純真でもなく、また呆けてもいなかった。まったく、また民衆をたぶらかすまやかしの奇跡か!と、彼は一人ごちた。


しかし今こうして、こんな風に事実を目の当たりにした以上、信じないわけにはいかない。そんなのは冒涜的な考えだ。一緒に居合わせた妹が、マリア像の頬にそっと手を触れた。その指先を、血の涙が伝って流れていた…。

それから数日にわたって、マリア像は涙を流し続けた。だが一体なにをそんなに悲しんでいるのか?現代世界の悲惨な有様に?あるいは来るべき破滅の時のため?知っているのはただ一人彼女だけ、話のできないマリア様だけだ。

どんな奇跡も、性的虐待を受けた子供たちが陰ながら流した涙とは釣り合わない。『収奪の大地』に生まれた新しい教皇なら、それに適切な感度を持って応じられるはずだ。

Au revoir et à bientôt !
 
(注)いつものようにLe Point fr. のC'est arrivée aujourd'hui の記事を参照しているが、後半部分に関してはほとんど超訳みたいなものである。すまないがこれ、創作なんだよね。あしからず。

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