2013年3月5日火曜日

死の11か月前にルイ16世がやったこと

ルイ16世の肖像画
ルイ16世を知ってるかい?

王妃のマリー・アントワネットのことは知っていても、旦那のほうには興味がない。そりゃあそうだ、ただ王族の血を引いているだけの、愚王とまではいかなくとも凡君だった。でも彼は生涯ただの一人も側室や愛人を持たなかったんだぜ?そうした側面を見る限り、少なくとも良き夫ではあったのだろう。

だからというか、それだからこそというか、彼の行いはエレジーに満ちている。

アイロニーだって?違うね、彼の言動の節々から漂っているのは、エレジー(哀歌)でペーソス(哀愁)だ。

ルイ16世とマリー・アントワネットが断頭台の露と消えたのは、1793年のこと。ルイ16世の処刑された1793年1月21日のおよそ11か月前、1792年3月2日に、この愚王はある提案をした。

そうだ、ギロチンをもっと効率的なものにしよう。

後世から見るとアイロニーに満ちたこの行為の、なんとも言いようのない可笑しみ。もちろんそれは下った時代にあるものだけの特権であり、本人は自分がその刃の下に頭を置くことになるとは、微塵も考えてはいなかった。犯罪者を見せしめに殺すこの道具が、王族の首筋を寒からしめることがある、と考えるのは確かに革命的思考ではある。

ギロチンはその演劇性に注目が向きがちだが、本来はそれ以前の死刑執行に伴う残虐性の軽減が主な役割だった、はずだ。その意味で、ルイ16世のこの判断は間違っていない、と言える。滑り落ちてくる刃を三日月形から斜刑に変更することで、より人道的になったわけだ。

ルイ16世は自らの発案のおかげで、以前に較べて苦しみが少なくて済んだ。そうだ、彼は自らをも含めた死刑受刑者たちの、守護天使なのである…。



Au revoir et à bientôt !

 

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