2013年3月18日月曜日

冴えないオヤジが歴史を変える――中世からルネサンスへ

これは経済危機が生み出した奇跡だ。

『貴婦人と一角獣』。このフランスの至宝が日本にやって来る。東京、大阪と回る記念的な展示会。これに興奮しないやつはインポテンツなの確定だが、と同時に、国宝級の美術品を貸し出さざるをえない(と勝手に想像しているのだが)、フランス経済の苦しさを感じて、一抹のわびしさを覚えてしまう。まぁ、日本経済だって人のことを言える立場じゃないだろう。過去には1974年、アメリカのメトロポリタン美術館に一度、貸し出されたきり。大阪展は7月27日から。行かない手はないだろう。

普段はパリのクリュニー中世美術館に所蔵されている、この6面連作タペストリーは15世紀末の作品とされている。

2011年にフランスに行ったときに撮った写真
この15世紀という時代は、中世と次代ルネサンス期との境であった。世界史上においてこの時代、相次いで重要な事件が起きている。1492年は言わずもがな、コロンブスのアメリカ大陸到達の年であり、同時にイベリア半島からイスラム勢力が一掃された、いわゆるレコンキスタ完了の年でもあった。

西ではヨーロッパが勢力を拡大する一方、東では1453年、オスマン帝国の攻勢によりコンスタンティノープルが陥落し、1000年以上続いた東ローマ帝国が滅亡している。また、フランスではイングランドとのいわゆる百年戦争が終結した年でもある。まさに時代の転換点といえるだろう。

この中世からルネサンスへの移行は、単なる美術史的区分ではない。それは、「個」の誕生を意味するものである、という点で近代を予告しており、非常に興味深い期間である。以下、T・トドロフの『個の礼讃』をもとに見ていこう。

キリスト教がローマ帝国によって認められて以降、宗教画一辺倒であった絵画の中に、庶民の肖像があらわれてくるのがこの時代だ。先鞭をつけたのは15世紀のフランドル絵画で、ロベール・カンパンやファン・エイク、それにファン・デル・ウェイデンなどがその代表とされる。時代を下るに従って、イコロジー(図像学)的要素は薄れ(といっても決して失われることはなく)、描かれた人物たちの唯一性が顕著になっていく。

トドロフは、これらフランドル絵画を、寓意性と象徴性が重なりあった、稀有な存在として描き出す。
「イメージは二重化し、リアリスム的な再現と同時に、コード化された意味作用を持つ…イメージは、現前と不在、形式と意味作用といった二重の用法に柔軟に対応するものとなったのである」

 「再現された個別性」と別の場所でトドロフは言う。それはつまり、地上の生が再現するに値するものである、とする精神の変革である。この個人への関心こそが新たな芸術の地平を切り開いた。

その最初の発露がキリストの父、ヨゼフの地位向上だった、という指摘も実に面白い。「額に汗して生計を立て、仕事を愛する人間として…本質的に家庭的でブルジョワ的である」 ヨセフにスポットライトを当てることは、古いヒエラルキーを転倒させることになる、新しい世界の誕生を告げ知らせている。

――親父よ、もっと胸を張っていいんだぜ。

そう語る息子(たち)の声が聞こえるような気がする。

Au revoir et à bientôt !
クリュニー中世美術館外観。建物自体も相当古い
 
参照URL:貴婦人と一角獣展
参考文献: 『個の礼讃 ルネサンス期フランドルの肖像画』 / ツヴェタン・トドロフ 著 白水社刊

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