もし君がこれから本を読もうと思っているのなら、あるいは本を読むのは好きだけど海外文学はちょっと…と思っているのなら、一度書店の海外文学のコーナーに行ってみればいい。
そもそも海外文学の棚がまともにない、なんてそんな店に行ってはいけない。そんな店を書店と呼ぶのは間違いだ。
君を待ちうけているのは、誰もいない特別な空間だ。
海外文学を読む層は非常に薄い。パラフィン紙なみだ。
君が本屋に行ったとき、雑誌やコミックのコーナーには人があふれているのが見えるだろう。反面外文の通りは君一人だけの空間だ。君は誰に気兼ねすることも、邪魔されることもなく、じっくり本を選ぶことができる。
もし君が思春期を過ごす青年ならば、それは特別な印となり得るだろう(だからといってモテるとは限らない)。
君が手にするのはそれだけではない。君は見たことはもちろん、聞いたことも、想像もできない地名や人名、それに思想に出会うことができる。「国民」という枠は自分で想像する以上に強力に君を縛り付けている。その枠組みから束の間でも抜け出すことは、自分の今の限界を知るのに役立つ。
そしてこれが最も重要なのだが、海外文学を読むことで君は本当の孤独とはなにか、を知るだろう。
それは今読み終えたばかりの素晴らしい書物の感動を、誰とも共有することのできない哀しみのことだ。
では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
ブキニスト。 |
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