2012年8月18日土曜日

ユマニスム

おはようございます。

ユマニスム / Humanisme とはなにか。それはヒューマニズムのフランス語読みである、だけではない。

Humanisme の英語読み、ヒューマニズムが人道主義的なニュアンスがあるのに対し、フランス語のユマニスムは人文主義の意味合いが強い。

ユマニスムの伝統は古来はギリシャ・ローマ時代にさかのぼることもできるのだろうが、より直系の先祖は、といえばルネサンス期、イタリアの文人ペトラルカになるようだ。それから、フランス思想史において本流ともいうべき位置を占めるようになる。

ここで最初の問い、ユマニスムとはなにか、に戻ろう。これについて、ツヴェタン・トドロフはその著作、『未完の菜園』で面白い答え方をしている。

人間は自由の代償に何を差し出すか、とトドロフは問う。

自由なんてなくていいじゃない、というのが保守主義者。
自由?そんなものはない。あるのは科学の法則を知る自由だけだ、というのが科学万能主義者。
個人主義者はたとえすべてを失うとしても、人間は自由の中で自我を開放すべきだと考える。
ユマニストはいう、自由は存在し、尊重すべきものである。ただしそれは人々がともに分かち合う価値、他の人々とともにある人生、そして自分を行為の責任者と見なし得る自我のことだ、と。

要はユマニストは、人間の自由意思の擁護者なのだ。

「人間の行為は多くの要因で条件付けられている。しかしだからといってそれで全面的に決定されているわけではない」(未完の菜園 p.98)

確かに人生には思い通りに行かないことがたくさんある。しかしその一方で、自分で決めてやるからこそ、価値があることもたくさんある。

ユマニスムの根底にあるのはつまるところ、人間(の自由意思)に対する信頼なのだろう。それは人間の生活が、「未完の菜園であり、自律性は花開くように世話をしてやらなければならない植物なのだ」(同 p.108) と感じるのであれば、なおさらに。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
ユマニスムの殿堂(嘘)。

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