2012年1月10日火曜日

カフカ、コーネル、ピカシェット...偉大なる先人たち

おはようございます。

前回、プルーストに関係した文章を、と書いたのですが、すいません、今日は表題の人々について書きたいので書かせてください。プルーストはまた次回ということで…。

彼らは私の傾倒する作家、芸術家なのですが、共通点として、「仕事をする傍ら芸術活動に勤しんだ」ことが上げられます。

その最初の出会いからその点に着目していたのではないのですが、一度この共通項に気がつくと、まだ読んだことのない作家も、この点を気にして探してしまうのだから困ったものです。「沖仲仕の哲学者」エリック・ホッファーはその最たる例となっています。もっとも、まだ読んではいないのですが。

この点が気になりだしたのはここ2,3年のことで、現実がこれらの人々が選んだ生活に限りなく近づいてきた、と思い始めてからです。

お金をもらって対価として作品をつくる「専門芸術家」ではない人々が、今やネット上ではごく普通に散見されます。そこから商品化され、結果的にお金が入るということもあるでしょうし、初めからそれを意図している人も少なくはないでしょうが、彼らが表題の人々と「兼業」という共通項で結ばれていることは紛れもない事実です。

どんな人にも発表の場が与えられていること、良し悪しがあることは承知ですが、私はこの点を歓迎したいと思う一人です。このブログもその恩恵にあずかっているわけですし。

思えば「芸術家」(作家や音楽家を含む)がそれ一本で生活できるようになった歴史はごく浅く、せいぜいここ200年ほどのことだと思います。それ以前の芸術家たちは、そのほとんどが生活に困らない基盤を持った人であったり、宮廷人であったりしました(宮廷音楽家や宮廷画家をどのように位置づけるのかは難しい問題ではありますが)。

現代は再びその時代に回帰したと言えるのではないでしょうか。それも間口をはるかに大きく広げて。

この環境が一流を減らし二流ばかりにするのか、あるいはこれまでの一流レベルに達する人が増え、一流のハードルが上がることになるのか、はたまた全く別の結果になるのか、それは私にはわかりませんが、創造することは想像すること、自分で考えることだと私は思っているので、自分で考える人間が少しでも増えることは、手放しで喜んでいいのではないでしょうか。

いずれ専任の芸術家がなくなり、「兼業芸術家」ばかりの時代がやって来る、そんな行き過ぎた妄想も、新年だからということで許していただきたいと思います。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
ピカシェットの家入り口。中は撮影禁止。Merde!



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