2013年2月6日水曜日

決闘の様式美――プルーストの場合

先日AKB48の峯岸みなみ丸刈り騒動に対するフランスでの反応を紹介した。そのうちの何人かが、彼女の行動を「名誉(あるいは面目)」の観念と結び付けており、中にはそれがフランスでは失われた観念だ、と皮肉たっぷりに述べているのもあった。

それじゃあ君たちは名誉をどんなふうに考えているのか。一つ見てみようじゃないか。

Le Point.fr に"C'est arrivé aujourd'hui" という記事がある。毎日歴史上で起きた同日の出来事を振り返るもので、要はフランス版「今日はなんの日?」だ。

それによると1896年のこの日、若きプルーストがMoudon の森で決闘をした。

相手のJean Lorrain は当時42歳の批評家兼劇作家で、19世紀末フランスデカダンスの代表的人物であったようだ。その筆先は鋭く残酷で、それが因果でこれまでにも何度か決闘沙汰を起こしたことがある。うん、うぬぼれ屋の完璧なステレオタイプだな。

事の発端はこの批評家がプルーストの同性愛について記事の中で言及したことにある。

ジャン・ロランはLe Journal 誌上で、プルーストの最初の小説、『Les plaisirs et les jours / 喜びと日々』をこきおろしている。

その中で彼はプルーストのことを「弱虫」だとか、「希少種」などと揶揄しているわけだが、それが決闘の理由ではない。彼はプルーストの次作にアルフォンス・ドーデーが序文を書いたことに対して、「(ドーデーの)息子のリュシアンのために断れなかったのだろう」と書いている。これは読む人が読めば、プルーストとリュシアン・ドーデーとの同性愛関係の仄めかし、と了解される。

これにプルーストが激怒した。決闘は規定通り二人の介添え人とともに夜明け前に行われた。

ところでなぜ、ロランはそうまでプルーストに突っかかったのか?――最も可能性の高い仮説は、プルーストに対する嫉妬だ。

プルーストは Robert de Montesquiou という紳士から庇護されており、対してロランはといえば、相手にされず、あろうことか軽蔑されていたのだ。そのことに彼は嫉妬していたのだという。

…くだらないぜ。実にしょうもない、どうでもいい話だ。ニュースのタネとしては、先日の丸刈り騒動と同等、あるいはそれ以下の価値しかない。

さて、決闘はおよそ文学的な結末に終わった。二人はお互いにピストルを地面に向けて打ち合うことで同意(!)し、その後プルーストに至っては、仲直りの握手さえしようとしたのだ!

プルーストの傷つけられた名誉とは一体、どこに行ってしまったのだろう?なるほど、確かに誰をも傷つけない解決法だ。だがそれならば、そんなあらかじめ了承された決闘の真似事などして、何の意味があるのだろう?そんなものははた迷惑でしかないだろう。

答えは前回の丸刈り動画と同じことだ。二つの出来事の根底には、「命を懸ける」ふりをすること、パフォーマンスとしての丸刈り(切腹の代替行為?)、決闘がある。はたから見れば愚かしいとしか思えないその行為が、意味記号(=Signe)を共有する社会の中では、立派に命がけの行為として通用する。する側と見る側の共犯関係。

プルーストはこの記号論的行為を生涯誇りにしていた。これが彼の「最も男らしかった」記憶であり、彼の名誉は、この行為によって回復されたのである…。Ha ha ha, なんて素晴らしい名誉観!

Au revoir et à bientôt !
Marcel Proust (à gauche), a provoqué en duel Jean Lorrain.© DR

参照URL:Le Point.fr C'est arrivé aujourd'hui 6 février 1897


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