2011年10月5日水曜日

バリアフリーな社会を目指して

おはようございます。

大仰なタイトルをつけましたが、バリアフリーについてです。

日本で「バリアフリー」と聞いて思いつくのは、建築、ハードに関連した事柄が多いでしょうか。
車椅子のためのスロープや、歩行困難者のための手すり、視覚障害者のための点字ブロックや標識など…。

その前にまず基本をおさらいして、「バリアフリー」とはどういった意味でしょうか。
二つの意味に分割できます。「バリア」と「フリー」。単純に解釈すると、「バリア=障害」から「フリー」になること、あることとなるでしょう。あえて日本語に訳すると、「障害から自由であること」、「障害を取り除く」、「障害のない」といった意味でしょうか。

今日本語に訳してみても、「バリアフリー」という単語のどこに重点が置かれているか、どこの解釈が大事と思われているか、明らかです。それは「フリー」の概念をどのように捉えるか、に終始しています。
「フリー」の語を考えることは、「どのように」障害を取り除くか、その方法論の模索だといえるでしょう。

一方「バリア」のほうはどうか、といえばこちらが今回の本論なわけです。

私は「臨床」という語が福祉の分野で特に好ましいものに思われ、もっと使ってほしいと思うのです。この語をよく使われる言葉に直せば「現場」という語にそのまま置き換えることができるでしょう。
臨床という体験を大事にした専門家に、臨床心理学の河合隼雄氏、「臨床哲学」の語を創造した鷲田清一氏がいます。この二人の対談集『臨床とことば』は非常に刺激的です。

「バリア」はその人が直面している障害、問題です。まずこの「問題がなにか」を知ることが「臨床=現場」の仕事となるでしょう。
これが意外と難しい。なぜなら、各人が直面している問題は実に様々で千差万別。一見しただけではそれと見抜けないことが多いのです。

例えば、ここに両下肢麻痺の人がいるとします。彼は普段車椅子生活を送っています。
で、彼が「旅行に行きたい」と思っているのだが、なかなかその実行を渋っている。どういった理由で?

その理由を安易に彼が「両下肢麻痺で車椅子生活を送っているから」、と捉え車椅子でも移動可能な環境を整える(最初に書いたスロープやエレベーターの設置)だけでは、「バリアフリー」を実現したことにはならないでしょう。
それは、彼が車椅子で移動することに劣等感を覚えているから(心理・社会的障害)かもしれないし、お金がないから(金銭的障害)かもしれないし、日常が忙しく、時間的がないから(時間的障害)かもしれないし、あるいは…

その人が直面する「障害」を表面的な事象に捕われず、正確に把握すること。これが福祉用語の「アセスメント」の要点でしょう。噛み砕いていえば、「億劫に思っているその理由を突き詰めて考える」ことですね。このあまりにも臨床の場に即した体験こそ、一般的な「バリアフリー」の理解に欠けている部分ではないでしょうか。

ようは「バリアフリー」の考え方は、目的を達成するための「方法論的(=フリー)」アプローチと、「臨床=現場的(=バリア)」アプローチの両輪があってはじめて成り立つ概念であるといえます。

以上、自分なりにバリアフリーについてまとめてみました。
では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
何に障害を感じるか、まさに人それぞれです。横との距離が近すぎるトイレ







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