2012年9月6日木曜日

本屋さんの明るい未来

おはようございます。

前回の話の続きをしよう。

優秀な本屋さんにとって、自分の担当する分野の本について、知り過ぎる、ということは決してない。

これはどの分野で働く人間にとっても言えることだろう。自分の職業に関する知識を得過ぎてなにかを失った、ということはないはずだ。もっともそれに執心するあまり、家族やその他大事なものを失う、なんて話は通俗的にありふれたテーマだろう。

話を本題に戻すと、では知るべき知識をすべて知り得るか、というとおよそそんなことはあり得ない。

あり得ないのであれば選択しなければならない。

そう、なにかを得るためにはなにかを捨てなければならないのだ。

要は本の取捨選択。何を読んで、何を読むべきでないか。

肝心なのは、「読むべき」本の選択ではなく、「読むべきでない」本の見極めだ。なにしろ毎月何百もの新刊が刊行されている現在、「読むべき」本でさえ自らの手に余るこの時代、確実に不要なものを「いるかもしれない」、「なにかに使うかもしれない」とダラダラ思い悩むのではなく、「必要ない」ときっぱりと断定してしまう、その心意気こそが、ひいては読むべき本のなかでも、本当に自分の必要とする本に出会うための条件ではないか。

本屋さんの選択はそのまま売り場の棚に表れる。人は本屋を訪ね、棚のあいだを歩くことで、他人の頭の中を覗き見る。結局のところ書店は(他人の)知への入り口なのだ。それは今も変わらない。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
説明するまでもなく有名な、カフェ・ドゥマゴ
 

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