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2014年8月8日金曜日

書かれなかった過去を振り返ろう 5/2 ――アンドレアス・グルスキー展

ミニマルミュージックの視覚化された表現。写真界のスティーヴ・ライヒ。

大阪の国立国際美術館で2/1~5/11まで開催。チケットには「これは写真か?世界が認めたフォトグラファー、日本初の個展」の文。

郊外のアパートメント、油の浮いた川面、100均に並んだカラフルな商品...日常的にありふれた風景が、彼の手(いや目か?)にかかれば、一瞬にして不自然な、見慣れぬものに変容する。

資本主義に対する皮肉を読み取ることもできるだろう。でもそんな政治的意図を抜きに見たほうが美しい。同じもの(郊外の窓、100均の商品)が微妙な差異をもって反復されるとき、あるいは微視化/拡大視化されて、普段目に入らないものを無理やり可視化される(油の浮いた川面や、高高度から見下ろした大洋)とき、僕らは日常に潜む美しさを知り、少しだけ謙虚になる。

でも、その美しさは現実ではない。これらの写真の面白みは、どの写真も写真家自身によって、手を加えられていることだ。

そこに展示されているのは、「あるがままの」現実ではない。まして写真家グルスキーが切り取った/見た 現実でもない。彼が創り上げた芸術作品なのだ。

当たり前のことを言ってるだろうか?そうかもしれない。だが案外、人は写真や絵画の中にリアルを見るものだ。客観的な現実は今更求めないにしても、少なくとも主観的な現実ではあってほしい、と願う。この美しさが全部うそだなんて、耐えられないよ。

リアルをベースにした空想。その、リアルと空想の曖昧さが、観る人に錯覚を生み出す。その錯覚に自覚的であろうとすればするほど、境界線を見分けようとして、グルスキーの罠に絡め取られる。もう、逃げられない。グルスキーの描く現実と空想は、ダニエル・カーネマンの提示する記憶する自己と経験する自己の関係に、奇妙なまでによく似ている。

確かなのは作品とそれを飾る壁のあいだの境界だけではないのか?だがそこにも幾ばくかの不安が付きまとう。もしやこの壁すらも、グルスキーによって創られた、作品の一部ではないだろうか?そして今を生きているこの私も、記憶に裏打ちされていない、忘れ去られる現在時ではないだろうか?

Au revoir et a bientot !

2014年1月29日水曜日

すべての傑作は特殊な例外である

かつて風景画は絵画の位階において一番低いところに位置していた。

美術史を開くと決まって用いられるこのロジックに、最初は無批判に納得し、首肯していた。そうして、レンブラントやターナー、マネと印象派の革新性と時代を切り開いた努力に感心させられていた。だが、ふと、あるとき立ち止まって考えてみる、「本当にそうなのだろうか?」と。

一等高い位置に宗教画があり、その下に歴史画や人物画、さらにその下にはごたまぜに、静物画や風俗画と一緒に風景画がある――おそらくそれは正しいのだろう。だが、その仮定を受け入れたときに、ひとつの矛盾が生じる。なぜクロード・ロランは17世紀当時、歴史画の体裁をとりながらもその実ほとんど風景画といえる絵を描き続けながら、かくも絶大な人気を誇り、あまつさえ多大な贋作を生み出すに至ったのか?

安易に答えを出すことはできない。なぜならそれは、クロード・ロランの描いた作品の魅力を語ることと同義だからだ。同じく時代は下るが同時代から受け入れられ、賞賛されたイギリスの画家、ターナーの展示会に行って、その感を強くした。時代を超える作品の多くは、その当時の社会の要求を超えたところに存在するのだ、と。

ジョン・バージャーの『イメージ 視覚とメディア』(ちくま学芸文庫)は、硬直した絵画の見方を一変させるだけの力を持った力作だ。以下にごく簡単に要約してみよう。

画家にある物をキャンバスに描かせるということは、と彼は語る、それを買い、家のなかに配置することに近い行為といえるだろう。物を描いた絵を買うことは、その絵があらわす物の外観を買うことでもある。

見ることによって所有することを可能にした芸術形式、それこそが油絵であり、多くの凡作に過ぎない油絵はただ、市場の要求にしたがって、ただ金で買えるものを示したに過ぎない。要は油絵とは、貨幣の変種といえるのだ。

後世から観るわれわれに、そのことは見えずらい。なぜなら、後世に残っているものはほとんどが傑作であるからだ。だが忘れてはいけないことがある、すべての傑作は特殊な例外である。傑作が時代の欲求と外れたところにある以上、それらを時代jを追ってつなぎ合わせたところで、当時の社会がよみがえるはずがない。

とりわけ、風景画においてそうだ。伝統的な絵画の位階において、確かに風景画は低い位置ににあった。だが風景画ほど自立的な絵画行為はなく、それゆえ最初の独創力はいつも、風景画から起こったのである。同時代と後世の評価が交錯するクロード・ロランやターナーといった画家は、まさに「幸福な例外」と呼べるのだろう。

Au revoir et à bientôt !
神戸のターナー展にて

2013年7月28日日曜日

小粋なクリスマスプレゼント

親愛なる友へ / cher ami

僕としたことがついかっとなってあんなことを言ってしまった。君のことを非難するつもりはなかった。僕のこの言葉を君なら信じてくれるものと思う。なるほど、二人の考え方は大きく違う。それは僕だって認める。でも今僕らが、ともに、直面している問題と、それを解決することで開ける新しい世界のヴィジョンは共通しているのだ。どうして仲たがいする必要があろう、僕らは血を分けた兄弟みたいなものだ。こんなことで二人の友情が終わりになることはないと信じている。

ともかく今日は、われらが主の誕生を祝おう。ささやかだがこれは僕から君へのプレゼントだ。君がこれを、和解のために伸ばされた手だと、悪意を持って捉えることはないと信じている。だって僕らは、結局のところ、仲たがいをしたのではないのだから。そうだろう?

なにはともあれ メリークリスマス!/ Joyeux Noel !

――いつまでも君に忠実な友より

昨夜の激しい言い争いから数時間とせず届けられたクリスマスプレゼント。粗末な木製の箱の上に、小石を重しに置かれた手紙は、むき出しのままミストラルに震えていた。

アルルの街並み
読み終えた手紙を手に、男はふっと息を吐いた。昨日、彼の態度は許しがたいものだった。侮辱された、と男は思った。加えて今日のこの手紙。彼に羞恥心や反省を求めるのは難しい、頭ではわかってはいても、納得はできない。クリスマスにおよそふさわしくない、粗野な造りの木箱のふたに、彼のふざけた笑い顔が、刻印されたかのように浮かんで見えた。

昨夜の彼の態度は我慢ならない。俺がもう少し若ければその場で決闘を申し込んでいたかもしれない。だが俺も、少しばかり熱くなりすぎた。世間知らずの白痴に向かって、言うべきでないことを言ったのも確かだ。話の舵取りを任せられていたのは年長者たるこの俺ではなかったか・・・。

男の顔に微笑が浮かんだ。株式仲買人だった男の過去が表情筋の上を無意識の電気信号となって走り抜けた。

木箱をゆすると、軽く乾いたものの擦れる音がした。開けてみると、彼が普段使っているデッサン用紙が、丸められて緩衝材代わりに詰め込まれていた。他人への贈り物をくずかご代わりに使ったらしい、皺のよったデッサン用紙の上で、いくつもの線が予期せぬ箇所で交じり合い、新たな面を作っていた。その上から滴った赤が、また別の次元を、奥行きを、襞のあいだに隠れた神秘を暗示していた。視線は自然に、用紙の真ん中に収められた、贈り物に引き寄せられた。

それは切りとられたばかりの男の右耳だった。

奇天烈なエピソードに彩られたフィンセント・ファン・ゴッホの人生も、1890年7月27日から29日にかけて終わりを迎える。終生売れない画家であったゴッホは人生に嫌気がさし、自らの胸に銃弾を打ち込む。享年37歳。弟のテオだけが、生前彼の唯一の理解者であり、支援者であり、兄弟であり、そして終生変わることのない友だった。兄の死の半年後、あとを追うようにして命の火が消えてしまう。享年34歳。ゴッホの絵画が売れ始めるのは以降、兄弟のあずかり知らぬところでだった。

Au revoir et a bientot !

2013年7月26日金曜日

ボッティチェリと「萌え」の歴史

これだけ上手いと嫉妬しちゃうぜ。

中野京子氏の『怖い絵』シリーズが文庫になっていたので、「泣く女」編と「死と乙女」編を続けざまに読んだ。タイトルからして、美術をよく知らないライト層に向けた入門書、というか、物事を大げさに言い立てて、耳目を集める悪いベストセラーの見本のように想像していたのだが、いい意味で裏切られた。

時代時代の流行りものや習俗に言及することで、絵画の描かれた時代背景、時代の雰囲気を読む人に体験させる。西洋史と西洋絵画史を重ね合わせることに成功した、良作だ。作品の紹介順が時代・場所とまるで脈絡のないのだけが、少し残念だけれど。

文章が良い。決して自分語りに堕さない程度に解釈を加えながら、それぞれの作品の本質とテーマ、歴史背景、観賞のポイントを教えてくれる。決して押しつけがましくなく、ひとつひとつの絵画をめぐる物語を、ストーリーテリングしていく。

秀逸だったのは、『ヴィーナスの誕生』と題された二つの作品の紹介。ボッティチェリのあまりに有名な同作が、正確にはヴィーナスが海上で誕生した後、キプロス島の浅瀬へ打ち上げられた瞬間を描いていることを示したあと、ヘシオドスの『神統記』に依拠し、彼女の誕生を我が子を喰らうサトゥルヌスと繋げる。ヴィーナスと数多の愛人、それに誰よりも醜い肉体を持つ夫、鍛冶の神ヘパイトスのねじれた関係で愛と死、恋愛の幸福と罪業を示す。

カバネルの『ヴィーナスの誕生』は一転して近代との繋がりから紹介される。ここで描かれるのはギリシャ神話ではなく、西洋絵画史におけるヌード神話のほうだ。女性の裸を描くのに、神話や歴史上の事件を必要とした時代が、やがてマネの『草上の昼食』に代表されるように卑俗なものとなっていく。そこに、これまで王侯貴族の専有物だった裸体画の、大衆への公開とその影響を重ねる。

カバネルら同時代の画家が描いた裸体画の衝撃。それは、「我らが夢の裸体」の現出であった。男はそれを抱きしめたいと願い、女はこうなりたいと願う。また、男は自分の妻や愛人の肉体と較べて愕然とし、女も彼我の差にショックを受ける。

現代のグラビア誌やスクリーンに映されるヌードと我々の関係そのものだ、と作者はいう。デジタル処理が施されたしみや毛穴ひとつない艶やかな肌、細かく修正されたボディライン。もはやどこにもリアルはない。夢の裸体が存在感を増すにつれ、現実の(=三次元の)肉体はますます受け入れ難いものとなる――

これは絵画の本じゃない。15世紀のボッティチェリから21世紀の日本までを、わずか20p で横断する作者の筆力を存分に堪能する本だ。

Au revoir et à bientôt !
 
参考文献:『怖い絵 死と乙女篇』 / 中野京子著 角川文庫 


2013年5月13日月曜日

ときに権力は英断を下す

教皇ユリウス2世の慧眼をこそ、褒め称えるべきであろうか。

仕事を任されたとき、青年は未だ一枚の絵画しか完成させていなかった。本人には画家としてよりも、彫刻家としての矜持が勝った。
それでも4年の歳月の後に作品は完成し、いみじくも伝記史家ヴァザーリが予言した通り、今日まで西洋美術界の頂点にあり続けている。

1475年3月6日、現在のトスカーナ州アレッツォ近郊に生まれると、幼少期をフィレンツェで過ごす。13歳でギルランダイオに弟子入りすると14歳のときにはすでに一人前の画家として認められていた。もちろんこれは、当時においても極めて異例のことだった。1489年にメディチ家から、もっともすぐれた弟子を二人推挙するように言われたギルランダイオは、わずか14歳のこの少年を推薦している。

1492年、後援者であったロレンツォ・デ・メディチが死去するまでそこで彫刻を学んだあと、1496年には枢機卿ラファエ・レ・リアーリオの招きに応じ、ローマに赴く。ときに21歳。

1497年には彫刻の代表作のひとつに数えられる『ピエタ』を製作。さらに1504年、29歳にして彼の人生においてのみならず西洋彫刻界においても頂点を極める『ダヴィデ像』を完成させている。

システィーナ礼拝堂の天井画を引き受け(させられ)たのは、ちょうどこの頃。彫刻家として栄華を極めていたときのことだ。1508年5月10日にしぶしぶながらも契約にサインし、その4年後に作品は完成する。

この巨大な絵の白眉はやはり、『アダムの創造』の一場面だろう。神が自ら創り上げた人間に、魂を吹き込もうとする瞬間を、触れ合う指先で表現したこの作品には、人類創造の瞬間に対する一点の疑念もない信仰が見てとれる。

余談だが、日本でも同天井画を見ることができる。徳島県鳴門市にある「大塚国際美術館」には、世界の名画100点以上の、原寸大の陶板が飾られている。システィーナ礼拝堂の天井画などはその展示法までも含めて、ほぼ完全に再現されている。

すでに彫刻家としての名声をほしいままにしていた彼が、ほとんど新たな試みとして絵画の分野に乗り出すことには、躊躇いもあっただろう。事実、彼自身は初めまったく乗り気ではなく、ローマから逃げ出すことまでしている。それでも最終的に完成した作品は、人類史上まれにみる傑作となった。それは、その作品があることで、人類の存在そのものが肯定される、そういった類のものだ。

ルネッサンス期に天才は数あれど、こう呼ばれるのは彼しかいない。ミケランジェロ・ブオナローティ、まさに「神に愛された男 / Il Divino」だ。

Au revoir et a bientot !
大塚国際美術館の天井画。原作を忠実に再現。かなり、いいです。
参照URL:

2013年5月9日木曜日

オランピア、母に会う

オマージュとパロディ、盗作の境界線は曖昧だ。とりあえず、どれもすべて元となるネタが存在するが、それに対し、密やかな目配りをするのがオマージュ、それなしには成立しないのがパロディ、もはや元ネタと区別がつかないのが盗作としておこうか。

とりわけ小説や美術の世界で、それらは活発だ。いや、そもそもこれらの呼称が芸術作品にのみ使われている、というのが正しい。優れた作品は優れた後継者を生み出す。それはひとえに真似ぶ力だ。

4月末、歴史的な邂逅がなされた。マネの傑作、『オランピア』が、歴史上初めてフランスを離れ、16世紀の画家ティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』とヴェネツィアの地で出会ったのだ。

世界一美しい二人の女性は、同じ壁に並んで飾られ、各々に自らの美を主張する。ミシェル・レリスが夢見た一生に一度あるかないかの奇跡が、21世紀になって実現した。

この二人を共に「世界一美しい」と表現するのは、矛盾を孕んでいるようでいて、そうではない。なぜなら、『オランピア』は、『ウルビーノのヴィーナス』の直系の子孫、更に言えば母と娘の関係にあたるのだから。

マネが初めて『ヴィーナス』を見たのは25歳のとき。彼女は既に有名人であり、1775年にはマルキ・ド・サドを悩殺し、「高級娼婦」と揶揄されていた。美の女神は1863年、31歳のマネの手によって正式に娼婦へと格上げされる。

『オランピア』の中でマネは、偉大なる前任者にオマージュを捧げつつ、7つの違いを描き出している。モデルの女性がサンダルをはき、首に紐を巻いていること、忠実さのシンボルである犬が、黒猫に変えられていること。もちろん猫は気ままさのシンボルであり、同時に姦淫の象徴でもあり、その証拠に尻尾は性器を象っている。

あの『草上の昼食』よりも当時過激とされたマネの作品。その本質にあるのは、平凡さの中に潜む不遜だ。裸体画とは本来、あるいは建前として「美」を崇めるためのものであり、好色な目的のものではなかった(とされていた)。

マネの前では建前の仮面はいとも容易く剥ぎ取られる。オランピアの率直な、鑑賞者をじっと見据える眼差しによって。

そういえば、ニュースでは『オランピア』搬入時の様子も報じられていた。それによると同作は、ごく平凡なトラックに乗せて運ばれてきたという。トラックの荷台に『オランピア』を乗せる不遜さ、この行為もまた、マネの作品のオマージュ、といえるかもしれない。

Au revoir et à bientôt !

 

2013年4月19日金曜日

印象派の誕生

雨の日のパリ、薄暗い室内にはモネ、ルノワール、シスレー、ドガ、ピサロ、セザンヌ…錚々たる面々の165の絵画が、サイズごとに展示され、訪問者を待っている。

Capucine 大通り35番地にある展示場は、今日も人の気配はない。部屋の隅っこでは髭面の男が、不ぞろいな脚の椅子にふらふらしながら、新聞を手に座っている。

広げられた新聞を肩越しに覗くと、1874年当時、パリのブルジョワや画壇の反応を見ることができる。

" l'ecole des impressionnistes / 印象主義者たち"
 
今や敬意を含んで語られるこの言葉も、風景画家兼ジャーナリストの Louis Leroy が初めて用いた時には軽蔑的な意味合いが強かった。「印象だけで物事を語り、真実を表していない」。これが彼の論旨だった。
 
この論評、というより酷評が一番こたえたのは、髭面の男、ほかならぬクロード・モネその人だったろう。画壇の他の主流派の面々もほとんどが彼らの絵を嘲り、一笑にふしていたが、とりわけこの批評は、自らの作品『印象 日の出』を名指しで批判しているのだからそれも当然だろう。
 
加えて、嘲るように付けられた「印象派」のレッテルが、彼自身の創意ではなく、オーギュスト・ルノワールの弟、エドモンドによって付け加えられたものであるだけになおさらだ。ルノワールの作品が一定以上の評価を得ていただけに…。
 
複雑な思いを抱きながら、モネは窓の外を見る。ショーウィンドーの向こう側では、雨に煙ったパリの街角を、急ぎ足に行き過ぎる人々の姿がある。その一瞬の動き、瞬間の風景を瞼をシャッター代わりに切り取って、頭に残った印象を描きとめようと、急いで鉛筆を紙の上に走らせる…。瞬間の芸術がカメラの発明と時を同じくして生まれたのは、決して偶然ではない。
 
1874年4月15日に開催された第一回印象派展は3500人の人を集めただけに終わった。一世紀後の今日、同様の展覧会がグラン・パレで開催されようものなら、入場者数は100万人をくだらないだろう。だが当時、彼らは未だ著名でなく、地盤も固まっていなかった。公的なサロン展から締め出された彼らにあるのは、自分たちの手法に対する信念と、若さだけだった。
 
その後の彼らの活躍はもはや語るまでもない。絵画を日常の場に持ち込んだその功績は、今も色あせることなく、作品を鑑賞する人々に強烈な印象を残し続けている。
 
Au revoir et a bientot !
更新が遅くなってスイマセンでしたー!!



2013年3月18日月曜日

冴えないオヤジが歴史を変える――中世からルネサンスへ

これは経済危機が生み出した奇跡だ。

『貴婦人と一角獣』。このフランスの至宝が日本にやって来る。東京、大阪と回る記念的な展示会。これに興奮しないやつはインポテンツなの確定だが、と同時に、国宝級の美術品を貸し出さざるをえない(と勝手に想像しているのだが)、フランス経済の苦しさを感じて、一抹のわびしさを覚えてしまう。まぁ、日本経済だって人のことを言える立場じゃないだろう。過去には1974年、アメリカのメトロポリタン美術館に一度、貸し出されたきり。大阪展は7月27日から。行かない手はないだろう。

普段はパリのクリュニー中世美術館に所蔵されている、この6面連作タペストリーは15世紀末の作品とされている。

2011年にフランスに行ったときに撮った写真
この15世紀という時代は、中世と次代ルネサンス期との境であった。世界史上においてこの時代、相次いで重要な事件が起きている。1492年は言わずもがな、コロンブスのアメリカ大陸到達の年であり、同時にイベリア半島からイスラム勢力が一掃された、いわゆるレコンキスタ完了の年でもあった。

西ではヨーロッパが勢力を拡大する一方、東では1453年、オスマン帝国の攻勢によりコンスタンティノープルが陥落し、1000年以上続いた東ローマ帝国が滅亡している。また、フランスではイングランドとのいわゆる百年戦争が終結した年でもある。まさに時代の転換点といえるだろう。

この中世からルネサンスへの移行は、単なる美術史的区分ではない。それは、「個」の誕生を意味するものである、という点で近代を予告しており、非常に興味深い期間である。以下、T・トドロフの『個の礼讃』をもとに見ていこう。

キリスト教がローマ帝国によって認められて以降、宗教画一辺倒であった絵画の中に、庶民の肖像があらわれてくるのがこの時代だ。先鞭をつけたのは15世紀のフランドル絵画で、ロベール・カンパンやファン・エイク、それにファン・デル・ウェイデンなどがその代表とされる。時代を下るに従って、イコロジー(図像学)的要素は薄れ(といっても決して失われることはなく)、描かれた人物たちの唯一性が顕著になっていく。

トドロフは、これらフランドル絵画を、寓意性と象徴性が重なりあった、稀有な存在として描き出す。
「イメージは二重化し、リアリスム的な再現と同時に、コード化された意味作用を持つ…イメージは、現前と不在、形式と意味作用といった二重の用法に柔軟に対応するものとなったのである」

 「再現された個別性」と別の場所でトドロフは言う。それはつまり、地上の生が再現するに値するものである、とする精神の変革である。この個人への関心こそが新たな芸術の地平を切り開いた。

その最初の発露がキリストの父、ヨゼフの地位向上だった、という指摘も実に面白い。「額に汗して生計を立て、仕事を愛する人間として…本質的に家庭的でブルジョワ的である」 ヨセフにスポットライトを当てることは、古いヒエラルキーを転倒させることになる、新しい世界の誕生を告げ知らせている。

――親父よ、もっと胸を張っていいんだぜ。

そう語る息子(たち)の声が聞こえるような気がする。

Au revoir et à bientôt !
クリュニー中世美術館外観。建物自体も相当古い
 
参照URL:貴婦人と一角獣展
参考文献: 『個の礼讃 ルネサンス期フランドルの肖像画』 / ツヴェタン・トドロフ 著 白水社刊

2013年1月13日日曜日

Black on Black

マレーヴィチのやつ、やってくれるぜ。

およそ抽象絵画に対する理解力を持たない私にも、その絵画は力強く訴えかけてきた。

1918年発表 『White on white』
1918年、マレーヴィチ40歳の時の作品、『White on white』 。白い正方形の上に傾いた別の白い正方形が重ねられたこの作品は、20世紀――いやそんな枠組みなど必要としない――美術の極北に輝く、青白い星だ。


「Suprematism / シュプレマティスム(絶対主義)」の名にふさわしい厳めしさと謹直さとを備えたこの絵は、抽象絵画の時代を開くとともに、その到達点でもあった。

時は流れ21世紀のパリ。Le musée Dapper では伝統的アフリカ芸術と現代アフリカアートの企画展が行われている。

…ごめん、パリにそんな美術館があることすら知らなかった。

17世紀のオランダ人ユマニスト、Olfert  Dapper の名を冠したというこの美術館、凱旋門からほど近いポール・ヴァレリー通りに位置しており、主にアフリカ芸術の展覧会を定期的に行っている。

この展示の魅力は、「いかにして過去は乗り越えられるか」にあるといえる。

アフリカ芸術が20世紀美術に及ぼした影響は、キュビズムを始めとして決して小さくないものであり、いたるところに散見されるが、さて激動の20世紀、アフリカという大地でどのような発展をみせてきたか、それを知る機会は意外に少ない(これは正確に日本における浮世絵とジャポニズム、そして現代日本のアートの関係に置き換えることができるだろう)。

下の二枚の写真を見較べてみてほしい。どちらが現代の作品で、どちらが昔(少なくとも100年以上前)の作品か、わかるだろうか。

© Archives Musée Dapper, à gauche Dominique Cohas, à droite photo Hugues Dubois

過去と同じ土俵で勝負し、なおかつ昔は存在しなかった新しい要素を付け加えること。過去の超克にはこのような方法もあるのだと、目を開かされる。アフリカ(の伝統)の上に、アフリカ(の現代アート)を付け加える。まさに Black on black

 マレーヴィチが初めて抽象絵画を手掛けてからおよそ一世紀。南の空に黒色の星が、燦爛と輝きを放っているぜ。

Au revoir et à bientôt !


Le musée Dapper のホームページ: http://www.dapper.fr/


2012年12月2日日曜日

Louvre 別館号 金沢 - SANAA - ランス

もう少しだけ、ルーヴル美術館の話をしよう。

12月4日、ルーヴル美術館の別館がフランス北部の炭鉱都市、 Lens / ランスの街に誕生する(一般開放は12日から)。

この分館にいわゆる常設作品はなく、パリの本館から借りだす形をとるようだ。ジョルジュ・ドゥ・ラトゥールやフラゴナールといった面々の他にもなんと、フランス革命の精神をそのまま描き出したといえる、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』までもが貸与されるという。これは、事件だ。

最初の構想が練られたのは今から約10年前の2003年。当時の文化相 Jean-Jacques Aillagon が首都パリに一極集中した諸機能を地方に移譲する政策の一環として発表。当時は7つ(後に6つ)あった候補地の中から最終的にランスが選ばれたのが2004年。

2005年にはコンペティションが実施される。このコンペで見事優勝したのが日本の建築家ユニット、SANAA。Sejima and Nishizawa and Associates の略であり、妹島和世西沢立衛の二人からなる彼らは、金沢21世紀美術館の設計でも知られる。

21世紀美術館ができた当時、私は金沢に住んでいて、街のど真ん中にできた円形の美術館と、その集客力に大いに魅了されたものだ。

それから10年近く。その間に日本ではより東京一極化が進んだように思われる。毎年金沢には友人を訪ねているが、そのたびに閉店したまま埋まらない空き店舗が目についていた。

しばらく前から政治の上で「地方分権」は叫ばれているが、どうも当面実現しそうにない。今回の衆議院選でも、主要な議題でないのは明らかだ。

フランスもまた、ヨーロッパでは特に中央集権が顕著な国として知られている。それでも、ここ4年のあいだに3度フランスを訪れ、その都度地方都市の活気を肌で感じてきた。それには、中央に集められた権力の側が、たとえ上からにせよ、その権力を委譲しようと積極的な働きかけを行ったからに他ならないだろう。Louvres-Lens はその最たる例といえる。

政治家はよく、「日本再生」などと声高に唱えるが、それには東京だけが繁栄し、地方は衰退する一方の今の形が好ましくないのは自明だろう。今回のルーヴルの取り組みも、政府主導で行って、実現までに10年を費やしている。日本で似たようなニュースが紙面を賑わすことになるのは、果たして何年後の話だろう?

Au revoir et à bientôt !

Le public défile devant "La République guidant le peuple" de Delacoix au Louvre Lens
© PHILIPPE HUGUEN / AFP
 
 

2012年11月30日金曜日

Louvre 拡大号 長編小説の中の短編を読む

ルーヴルのような巨大美術館は、譬えるなら長編(大河)小説に似ている。長編小説においては、全体をまとめ上げる一本の筋があって、それに乗っかった形で、数々の雑多なエピソードが繰り広げられる。読者はその大筋を辿っていくのもよし、一つ一つのエピソードを、短編小説のように拾い読みしても構わない。

美術館において、観賞者はより能動的な役割が求められる。時間軸と地理的軸を組み合わせた文化的背景の上に、様々なテーマを持って物語の軌道を描くのは、ほかならぬ観賞者の役目だ。時代が示す大筋はあまりにも漠然としており、美術史を学んだものでなければ、すぐに見失ってしまう。「ロココ美術」、「マニエリスム美術」なんて括りに、いったいどれだけの拘束力があるだろう。

大事なのは、自分で定める制約だ。「テーマ」と言い換えれはより正確になる。自由に歩き回るにしても、道標は必要だ。地図は自分で作って、自分で迷え。それが巨大美術館の持つ寛容さだ。

たとえば「裸婦像」をテーマにして回ってみよう。およそこれほど古今東西にわたって好んで取り上げられたテーマも少ない。時代ごと、土地ごとに異なるエロティシズムを感じることは、裸婦像が共通して有する「豊饒さ」にしっかりと繋がっている。

レンブラント。『夜警』の印象が強い。
あるいは時代を横切ってみるのもいいだろう。16世紀、イタリアではルネッサンス / Re-naissance 、人間性の再生が歌われていたが、同時代のフランドルでそれは、自明の理だった。イタリア絵画を中心とした美術史の流れにおいて、フランドル絵画の先鋭生・特異性は際立っている。この土地では人間は昔から、あるがままの姿を持って捉えられている。時には、キリストさえもその位地まで下りてくるかのようだ。

もちろん、一人の画家に集中してみるのも面白い。それができるだけの物量がルーヴルにはある。

展示作品数 35000、収蔵作品数 445000、一年間の入場者数 8346421 (2010年) …。どの数字も圧倒的だ。これだけの物量が、時間、空間的な広がりを可能にする。様々な軌跡を描ける時空間に渡る距離。あえて言おう、それこそが巨大美術館の持つ最高の美徳なのだ。


さて、巨大美術館を長編小説に例えるなら、そこここの美術館で実施される企画展は、さながら短編小説だろう。

ここではなにより技巧が優先される。それは読者 / 鑑賞者の側に求められるものではなく、主催者の仕事だ。企画展は決して長編小説のダイジェスト版であってはならない。短編小説にはそれ特有の面白みがある。それを活かすために大事なのは、主催者が如何に上手に鑑賞者の軌道を定めるかだ。

その点、先日行った「大エルミタージュ美術館展」は失敗だった。所蔵作品中、時期・場所を特定せず満遍なく選び出したことで、どこに焦点を合わせていいかわからない企画展となっていた。確かに、作品を見に行く、というよりは美術館を見に行くようなもので、まるで顔見せ興行だった。まあ、それはそれでいいのかもしれない。

巨大美術館が元来有する美点からはあえて目を背けて、極東の島国の地方美術館の所蔵品と、舶来品の二流絵画との微細な差異を楽しむ、そんな頽廃的な楽しみ方も、ありだ。

Au revoir et à bientôt !
フェルメール。説明不要の名作だが、意外と地味に置かれている
...La prochaine destination ☛ Japon



2012年11月9日金曜日

Louvre 拡大号 アングルのヴァイオリン

不思議なこともあるものだ。

仏検に向けての勉強の合間に、手元にある本につい手が伸びてしまい、しばし時間を費やしてしまう。

Philippe Labro / フィリップ・ラブロ著 『Le petit garçon / 少年』。作家、ジャーナリスト、映画監督、ひいてはジョニー・ホリデイに楽曲を提供(作詞)するなど、多彩な才能を持つ作者の自伝的小説。この作品で1990年のゴンクール賞候補に挙がったが、惜しくも落選する。もっとも、これだけ多才な人物のこと。最高峰とはいえ、たかが文学賞の一つや二つ受賞できなかったところで大したことではなかっただろうと想像する。

自伝的小説である以上、作者の人となりを知りたくなるのは当然だろう。小説の舞台は出身地の Montauban / モントーバン。スペイン国境に近いこの街は、別名 " Cité d'Ingres " アングルの街 と呼ばれている。そう、モントーバンは新古典主義の画家、Dominique Ingres / ドミニク・アングルの出身地でもある。

 ルーヴル美術館にはアングルの作品が溢れている。質量ともに比肩しうるのは、同じく新古典主義のダヴィッド、同時代のロマン主義者、ドラクロワぐらいなものだろう。

上記二人と比べてみても、いや、だからこそなおさらなのか、アングルの描く絵は、描線の端正さが目につく。「絵画とはつまるところデッサンに還元される」と考えていた彼にとって、それは必然だったのだろう。

個人的には、同じく描線に特徴がある20世紀オーストリアの画家、エゴン・シーレが思い出されるのだが、いかがだろうか?シーレは、20代前半の私にとってのアイドルだったのだが。


それにしても偶然の出会いとはおそろしい。

今日フランス語の勉強中、「趣味」にあたる言葉を探していたら、"violon d'Ingres" なる表現に辿りついた。直訳すれば、「アングルのヴァイオリン」どうやらこの言葉、彼にヴァイオリン奏者としての一面もあったことから、「余技」の意が与えられているらしい。

願わくば私のフランス語能力も「アングルのヴァイオリン」と呼び得るほどに上達せんことを…。
――さて、勉強するとしようか。

Au revoir et à bientôt ! 
エゴン・シーレ 『ほおずきの実のある自画像』

 

2012年11月7日水曜日

Louvre 拡大号 Claude Lorrain 安寧の画家

10/12 9:30 - Musée du Louvre

ルーヴル美術館を3時間で巡る、というのは無作法を通り越してもはや罪深い。それは人類史を一人一人の人間にスポットを当てながら、3時間で振り返る、といっているようなものだろう。

まさに言語道断の語義矛盾。

正直そんなことは不可能だ。そんなことはわかっている。だが時は有限だ。与えられた時間の中で、人間はなんとかやりくりしてやっていくしかない。なにを選び、なにを捨てるのか。人生で幾度も繰り返されるこの問いに、フランスでもまた悩まされる。

本名を Claude Gelle / クロード・ジュレ、出身地からClaude Lorrain / クロード・ロランと呼ばれる画家(1602頃 - 1682)。彼と前回のニコラ・プッサンのために今回のルーヴル短期滞在は計画された。

彼の絵に説明はいらない。次の二枚を見比べてみてほしい。相違よりも類似の部分が目につく。


 それぞれが歴史的な瞬間を描いたものだが、前景に配された歴史上の題材は、単に風景を描くための方便にすぎない。それが、観ている人にも感得される。

彼にとっては朝日が昇り、夕日が沈む時間帯こそ、世界がもっとも安定する時間であり、画家はその完全なる世界を描くことにだけ力を注いだのだ。

選択と集中、そして持続。これほどまでに一事に収斂にされた画家もいない。その明確さ、安心感こそが同時代にも受け入れられた、彼の人気の秘密だったのだろうか。いや、そうではないだろう。

ターナーに甚大な影響を与え、後世の印象派の礎とも呼ぶべき画家。彼の絵を観て我々が率直に感じる安寧は、人生の幼少期の思い出に重ねられる。だからこそ懐かしいのだろう。

夕暮れには常に子供の遊びがついて回る。夕日が本来象徴するイメージとの乖離が、なおさらのこと希少で、手に入れがたいものとして、それを輝かせる。

そう、クロード・ロランがその作品で描く景色は常に、我々の「失われたなにか」を刺激してやまないのだ。

Au revoir et à bientôt !
同じ構図、同じ景色。同じ思い出


Louvre 拡大号 Nicolas Poussin / ニコラ・プッサン

10/12 9:30 - Musée du Louvre

そこらへんの黄色いクマとは一線を画していただこう。

その男の名はNicolas Poussin / ニコラ・プッサン(あるいはプーサン)。「フランス絵画の父」と呼ばれ、ルーブルのリシュリュー翼、フランス絵画の部屋は、クラシックを創ったこの男からはじまる。彼のためだけに充てられた数部屋はその日、課外授業に繰り出した高校生で埋まっていた。


にもかかわらず、である。プッサンはその生涯のほとんどをイタリアで過ごした。ルイ13世によって祖国に招かれた2年を除き、亡くなるまでの40年近く、つまり画家としてのほとんどの時間をイタリアに生きている。

そんな彼を「フランス絵画の父」と呼んでいいものか。

おそらく多くのフランス人の頭に一度はよぎる疑問だろう。前々回に紹介したエル・グレコはギリシャに生まれイタリアで学び、トレドで生涯を終えた画家だが、彼の作品を我々はスペイン絵画と呼んでいる。

プッサンにとって、絵画とはなんだったか。それは、次のプッサン自身の言葉によくあらわされている。いわく、

「アルファベットの26文字が私たちの言葉や考えをかたちづくるのに役立つように、人の身体の外形は、魂のさまざまな情念を表現するのに役立ち、私たちが精神の中に持っているものを外に示すのである」

外形は精神を示す。人の身振り、表情、動作をいかに書くかによって、その人の内にあるものを示すことができる、そうプッサンは考えた。

ごめん、ここまでほとんどが、『美の旅人 フランス編Ⅰ』 / 伊集院静 の受け売りだ。実際このシリーズほど、美術を専門的に学んでいない人にとって、格好の入門書であり、応用本と成り得るものはないだろう。広く見ながらもしっかりと要点を押さえている。

私からプッサンを見て言えることはただひとつ、それは構成の妙がこの画家にはある、ということだけだ。あとは実際に自分の目で見て確かめてみてほしい。彼を観ることで、フランス絵画の規範とはなにか、ひいてはフランス人がクラシックと称する精神のありどころがわかるだろうから。

Au revoir et à bientôt !

プッサン、56歳時の自画像
 
参考文献:美の旅人 フランス編Ⅰ / 伊集院静香 著(小学館文庫)
Le Guide du Louvre (ルーヴル美術館内で販売されているガイドブック。500p近いボリュームでかなり楽しめる)


2012年11月3日土曜日

マルグリット・ユルスナール展 言葉のイメージ


Marguerite Yourcenar / マルグリット・ユルスナール(1903-1987)。初の女性アカデミー・フランセーズ会員。20世紀を代表する女性作家で、代表作は『ハドリアヌス帝の回想』や『黒の過程』など。日本では三島由紀夫に関する評論、『三島由紀夫あるいは空虚なヴィジョン』が有名か。2002年に白水社からユルスナールコレクションが全6巻で販売されたが、現在は絶版中。2011年から自伝的三部作が同じく白水社から順次発行されている。

ごめん、ここまで概要を書いたけど名前しか知らない。

読んだことのない作家について、あれこれ知ったような口を利くのはよくない。機会があれば実際に読んで、それから再度彼女についての物語を書くことにしよう。ちょうど、家に唯一あるユルスナールの作品、『とどめの一撃』(岩波文庫)を見つけ出したところだ。これを読んで、それから三部作や他作品に手を出すか、決めるのもいいだろう。

さて、今回はそんな彼女の死後25周年を記念して、フランドル美術館で10月13日から催されている『Marguerite Yourcenar et la peinture flamande / マルグリット・ユルスナールとフランドル絵画』展についての、空想のレビューを。

この展覧会、作家と絵画、どちらに比重が置かれているのか。美術館で、展覧会。なのに作家のほうに重心を傾けているのは間違いない。「絵画は言葉へ向かう」。コンセプトはこれだ。フランドルの画家たちは、作家の創作過程を彩る、色鮮やかな花弁だろう。

しかし、その花の美しさこそが、フランドル美術の底力だ。油絵の技法を編み出し、イタリアを中心とした文化圏が、神の世界や王侯貴族を描いていた同じ頃に、平然と農民の生活を描いていた無体さは、ヨーロッパ絵画の歴史上、特異な位置を占める。フランドル絵画について語るためには、最低でもこのブログ3年分が必要だ。

ユルスナールに同様の地域性が見られるか、なんて問いは論点をずらしてしまう。この展覧会の主眼は、いかにして作家が見るものを言葉に変えたか、ということだ。

Les albums de Marguerite Yourcenar © Laurence Houot / Culturebox

Une exposition étonnante au musée de Flandre à Cassel propose un dialogue entre toiles et romans et montre comment cet immense écrivain, première femme à entrer à l'Académie française, a su déceler ce qui constitue la singularité de la peinture flamande et en extraire l'essence, aussi bien qu'elle a nourri son œuvre, incessant va-et-vient informel entre les images et les mots.

絵画と言葉、そのあいだを絶え間なく行き来することにより、ユルスナールはフランドル絵画の特異性を見抜いており、その本質を取り出し、自らの作品の糧としていたのだった。

A force de contempler ces tableaux, de travailler son regard, elle réussit à pénétrer la singularité d'une œuvre.

それらの絵について熟考を重ね、飽くことなく視線を注ぐことで、彼女は作品の特異点に達することができたのだ。

絵画の中に主題を探し求める姿勢。そんな抽象性よりも私には、旅行する先々で美術館を訪れ、ポストカードを買って行ったという、ユルスナールの姿のほうが、親しみやすく、好ましい。そう、その姿こそ、『世界の迷路』を手さぐりで彷徨い歩いていく、人間らしい姿だから。

Au revoir et à bientôt !


Marguerite Yourcenar le 15 décembre 1980
Marguerite Yourcenar le 15 décembre 1980 © Sam Bellet / La Voix du Nord

参照URLhttp://www.francetv.fr/culturebox/des-images-aux-mots-marguerite-yourcenar-et-la-peinture-flamande

2012年11月1日木曜日

Toussaint / 諸聖人の日

まるで Manga だな。

現在大阪の国立国際美術館で開催されている 『エル・グレコ展』 を見にいった感想がそんなものだからといって、なめてはいけない。それこそがグレコのよさなのだ、と言い張ろうじゃないか。

なるほど、彼の描く作品は肖像画を除けばほとんどが宗教画だ。だが、画布に顕れているのは、人間の「聖」なる部分ではなく、むしろ「俗」のほうだろう。

確かに、ある種の聖人たちの表情には神聖さがあふれている。だが画家は、その聖性をまるで、狂人のそれであるかのように、醒めた目で見ている。抑えきれない卑俗さが、彼らの皮膚の下を這いずり回っているのがみえる。

熱狂とそれを客観視する冷徹さ。一人の人間の中に相反する性質を併せ持つ近代的自我を、16~17世紀の画家の作品に見るのは、現代に生きるわれわれの眼が成す幻想に過ぎないのだろうか。

当時ヴェネツィア共和国支配下にあったクレタ島に生まれたこの男は、その後イタリア各地を遍歴し、最終的にはスペインのトレドにたどり着く。西洋とビザンティンの文化、宗教的にはカトリックとギリシャ正教の双方を身近に感じてきた男が、最盛期のスペイン(それはつまり、プロテスタントに対抗するカトリック王国、ということだ)、トレドで生涯を終える。異邦人でないわけがないだろう。


さて、本日11月1日はカトリックの La Toussaint という祝日。日本語に直せば、「諸聖人の(祭)日」。

5世紀にはすでに祝われていたという、非常に息の長い祭日だが、同時に非常におおらかな祭日でもある。なにしろ、列聖された聖人以外の、民間信仰の対象やその他諸々まで一緒くたにして祝ってしまおうというのだから。

祝祭のそうした影響だろうか、この日フランスでは亡くなった親族のために花をささげるのが習慣となっているようだ。要は日本で言うところのお盆だが、これなどキリスト教とは起源の異なる先祖崇拝の例だろう。

ちなみにアメリカ合衆国で祝われるハロウィンは前日10月31日だが、これはもちろんこの日と大いに関係する。だが、まあそれはいいだろう。ここでは翌日11月2日、「死者の日」のほうをクローズアップしよう。

日本ではこの1日、2日をそれぞれ「万聖節」、「万霊節」と訳していたが、これなどいかにも明治の訳語らしく物々しくも格好いい。

現実はもっとポップだ。それはメキシコの死者の日の一日を描いたマルカム・ラウリーの最高傑作、『火山の下』を読めば一目瞭然だ。

フランスではこの期間は学校が長期の休みになるようだ。les vacances de la Toussaint 。聖人の名を借りた長期休暇。それをも笑って許してもらえる懐の深さが、この祝日にはある。

さあ、ヴァカンスを愉しもう。聖人、俗人、カトリック、先祖崇拝、すべてが入り乱れたカオスな祭日を。この日ばかりは鉄網の上で焼かれて殉教した聖ラウレンティウスも笑ってこういえるだろう、
「片面が焼けたので、どうぞもう片面も」と。

Au revoir et à bientot !
モンパルナス墓地

2012年10月6日土曜日

ルーヴル3時間の旅

お久しぶりです。

二週間以上このブログを放置していたことにきちんと触れず、いきなり本題に突っ込むのはいかがなものかと思いますが、今日からフランスに行ってきます。

思えばこのブログを始めたのも、前回フランスに行ったのが機でした。

前回は二回目ということもあり、初めてのときには見えなかったフランス、改めて感じた日本の良さといったものが私にとって書く原動力となりました。果たして今回はどんな発見があるのでしょうか。

さて、出発が5時間後に迫っている今、あえてブログを更新してるのにはちょっとした理由があって、それが表題なわけです。

「ルーヴル美術館をいかに巡るか」これは美術好きがフランスを旅するにあたって、フランスを旅する、というメインテーマに準ずる位置を占めている、といっても過言ではないでしょう。

三十数万点を超える膨大な収蔵作に加えて、現在も継続中の改修工事、世界各地の企画展に貸し出される作品群。「ルーヴルは一日では回れない」とはよく言われることですが、一日はおろか、一年かかってもその全貌をうかがい知ることはできないのではないか。そう思わせる圧倒的な量と質。

にもかかわらず、今回の旅行では3時間しか予定をとっていないなんて、ふざけるのもいい加減にしろ、と叱責されても仕方がないところです。

限られた3時間をいかに使うか、それが今回のテーマです。

私が自らに課したテーマは、「フランス絵画、特に印象派前までを歴史を追って見る」ということです。

具体的に名前を挙げていくならば、フォンテーヌブロー派からプッサン、クロード・ロラン、ラ・トゥール、ロココ芸術を経て新古典派&ロマン派へ。と、なんともエロティシズム溢れるラインナップとなっています。

とりわけ今回絶対観たいと思っているのが、プッサンの『アルカディアの牧人』とクロード・ロランの作品群。この二つは前回完全に見逃していたので、凝視してきたいと思います。

果たして私は計画通りに作品を見ることができるのか?結果は帰国時に・・・。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
行くぜ、ルーヴル!
 

2012年7月24日火曜日

縦に、横に

おはようございます。

実家に帰ったついでに、倉敷の大原美術館に行ってきました。

1930年に創設されたこの美術館は、その前年に逝去した児島虎次郎の業績を記念するものです。

この美術館の傑出しているところは、常設展が非常に充実していることがあげられます。特に19世紀後半から20世紀前半の西洋美術のコレクションは、日本の美術館で見られる最高のものが揃っている、といっても過言ではないでしょう。

モネやゴーギャン、さらにはエル・グレコの『受胎告知』など、挙げればきりがありません。

さて、今日は「絵画の見方」について。といってももちろん絵画の専門家ではないので、私がどんな風に楽しんでいるか、です。

美術館に普段行かない人によく、「絵を見てなにが楽しいの?」と聞かれます。

もちろん、一つ一つの絵を見て、きれいだなあと思ったり、面白い構図だと思ったりすればいいのです。しかし、それだけでは物足りない。必要なのは自分の中に比較対象となるストックを持つことでしょう。

なににしてもそうですが、比較の対象がないと、そのものを評価することは難しい。これは人間の頭がそのようになっているのでしょう。そのものだけを見て、美しい、とか美しくない、とか断することができるというのは、つまり「絶対的美」の存在を肯定することになります。果たしてそのようなものがあるでしょうか。

比較する際に重要になるのが、歴史的に(縦に)見るか、同時代的に(横に)見るか、でしょう。

例えば、大原美術館所蔵のモネの『積み藁』。これを同時代、同系統の印象派の画家と較べてみる。あるいは同じフランスの画家でも時代を遡ってアングルや、あるいは進んでユトリロなどと較べてみる。そうして見ることで、これまで見逃していたギャップや、各々の特長に注目することができるのではないでしょうか。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!

2011年9月2日金曜日

日本 → フランス → アジア・アフリカ → 日本

おはようございます。

昨日から九月に入りましたね。仏検準1級試験まであと2ヶ月半です。今年は二回目の挑戦なので、ぜひ受かりたいです。というか受かります。頑張れ、自分!!

今日は雑談みたいなものです。

六月に二度目のフランス旅行に行きました。ブログの最初のほうでも書きましたが、一度目とは違ったところに目が行きました。前回は興味のなかった、Quai Branly 美術館に行ったのなども、その表れだと思います。

自分の視座の変化が大きいのでしょう。
これまでは、自分でも意識しないうちに、欧米讃歌に近い立場からモノを見ていたと思います。

それが、一昨年、今年とフランスに旅行したことでその視点がフラットになった、あるいはそういった立場が意識されるようになってきた、と。

それによって見えなかった部分が見えてくる、興味の対象が広がる。

特に大きいのが日本を含めたアジアへの興味の広がりです。

最近でも、鶴見良行氏や網野善彦氏の著作などを集中的に読んでいますが、日本をアジアの中に位置づけて読み解く作品が非常に面白い。このあたりの作者の本を読むと、自然アジアの文化にも、翻っては日本の文化にも自然と興味が湧いてきます。

さて、突然ですが問題です。「日本」という国名が決まったのは紀元何年でしょうか?正解は一番下に。

海外で日本人であるということは、そういったことにも興味を持ち、日本人の代表として、他の国の人々に自国の正しい情報を発信していく、ということではないでしょうか。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
万博記念公園。この中にある国立民俗学博物館は必見
正解:689年。詳しい話を知りたい方は、網野善彦氏の著作『歴史を考えるヒント』をぜひ。

2011年8月25日木曜日

ON THE ROAD

おはようございます。

一昨日、大阪の国立国際美術館で開催中の『森山大道写真展/ ON THE ROAD』を見てきました。

めちゃくちゃ有名な写真家なのでしょうが、全くの無知、予備知識ゼロ(一応名前だけは聞いたことがありました)。そんなんでなぜ行ったのか?

おそらく、というか間違いなく先週の『杉本博司展』の影響です。美術館は比較的良く行くのですが、写真展は皆無。それが先週見た展覧会によって、良い風に感化された、ということでしょうか。

森山大道氏の経歴を見ると、60年代、70年代から活躍しているんですね。息の長い写真家です。
作風は、と言うと見てもらうのが一番なのですが、蛇足と知りつつ、あえてまとめると、
「猥雑な日常を断片的に捉え、包括的に提示する」
といったところでしょうか。よくわかりませんね。なんにしろ、先週の杉本博司展とはコンセプトも撮る対象も対極的、全く異なる写真家でした。

以上、ここまでが長い前置き。

さて、『On the road』と聞いて文学が好きな人なら、あるいはそうでない人も、想像するのはやはり、ジャック・ケルアックでしょう。最近完結した『池澤夏樹個人編集 世界文学全集』でも、記念すべき第一回配本がこの本でした。もはや世界文学の中で確固たる地位を築いていると言えるでしょう。

しかしこの作品、万人が読んで面白いかというと、う~ん、と首を傾げたくなる。

第一にまず長い。一巻本で500頁ほどなので、それよりも長い作品はいくらでもあるけれども、文章が冗漫なのに加え、同じ出来事が何度も繰り返される。

そんなんで面白いか?と言われそうですが、二十代前半の私は「これめっちゃおもろいやん!」と感じて、3,4回読み返しました。

何がそんなに面白かったのか?――おそらくは広大さが。車で大陸を横断する苦労が読むことの困難と、アメリカの大地が本の厚みや文庫本の小ささに・・・あるところではリンクし、別のところでは反転して投影される。
本の上に広げられた広大な空間を旅する経験、これこそがフォークナーとも通ずる「アメリカ文学」を規定するものではないかと思うのです。

とまぁ、ここまで書いて読み返したくなったので家を探したものの、見つからない。むかつくぜ。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
大阪国立国際美術館。これは去年撮った写真。