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2014年3月31日月曜日

記憶が僕を… / L'oubli me pousse et me contourne

記憶が僕を… / L'oubli me pousse et me contourne

記憶が僕を押しやり、忘れ去る
その滑らかな両脚で。
忘却もまた沈黙のほうに押しやられ
互い違いに取り囲む
お互いの考えは知り尽くしていて
今この瞬間を犠牲にし
互いの輪郭を取り違え
競い合ってやり直すのは
今この時を解きほぐす試み、
完璧な明晰さに近づけようと。
それらの試みすべてが心を重くし、
歩みを止めさせる。
ほら、ほら、また!また冷たくして!
それが彼らのやり口。
あぁ、遥か彼方に輝く星の
その脚に触れられぬものか。

前半から中盤にかけてがこの詩の主題を成す。もちろんテーマは忘却であり、ときにそれに伴い、ときに相反する沈黙である。忘れたから黙っているのか、あるいは覚えているから喋らないのか。この二つのあいだの差異を、表現しようとしている。

といっても、翻訳が上手くない。全体の意味がきちんと取れておらず、詩にまとまりが感じられない。これは勿論、私の反省点。

「語られないもの」のテーマは、次回 『不死身のバートフス』 でも取り上げる。今回はここまで。

Au revoir et a bientot !

2014年3月17日月曜日

LA TERRE / 大地

LA TERRE / 大地

たくさんの果物に目移りして
昼も夜も気が散ってしまう
オレンジがひとつほしいなら、
ここにはオレンジの木ばかりだし、
苗木が一本ほしいなら
果樹園だからよりどりみどり。
君はバラを摘みとろうと
手を伸ばした
大地はそれに無関心で
君は不問に付された。
彼女が胸のうちに思うのは
新しいバラのこと、
泥だらけの栄光の中には
幾千の色が隠れていて
そこでは未来の花々が
まだ色づかぬままに眠っている。

前回の『La Planete』 と同様、こちらも同名タイトルの詩がほかにも存在する。『Gravitations 』 とその前作 『Debarcaderes / 船着場』 に収められた2作は、それぞれに趣が異なって面白い。後者は短いので翻訳して、こちらのブログで紹介できるかも知れない。

この詩にも、シュペルヴィエルに忍び寄る老いの影、死の影が感じられる。11行目、「彼女」とあるのは、もちろん大地のことだ。大地 la terre は女性名詞。前回の惑星も女性名詞であるがゆえに、「彼女」と受けるところがあった(翻訳では生かしていないが)。永遠に生と死を繰り返す大地=惑星に対し、一度きりの人生の終着点に差し掛かっている自分の対比。詩人自身が感じたに違いないであろう心境を、残酷なまでに美しく切り取っている。

Au revoir et a bientot !

2014年3月16日日曜日

LA PLANÈTE / 惑星

LA PLANÈTE / 惑星

大地は行ってしまう 僕らの下で
その速度を感じたまえ
僕らを置いてどれほど早く
行ってしまうことだろう。
窓から眺めようとしても、
誰かが鎧戸を下ろしてしまっている。
別の窓を開けようとしても、
すでに日は沈んでしまった。
こっそりと軌道から逸脱して
僕らを巧みに避ける君よ、
動かない振りを決め込んだのが
より大きな過ちだった。
死んだ振りをしていた雌ギツネが
突然、前脚を使って
僕らを穴に突き落とす
すべての非は僕らにある。

Planete / 惑星 と題した詩を、シュペルヴィエルは詩集『Gravitation / 万有引力』に収めている。1925年出版の同作と、1949年出版の『Oublieuse memoire』に収められた上の詩を比べてみてほしい(以前にこのブログで翻訳しているのでよければ参考に 『Planete / 惑星』)。

「惑星の運行」は、若かりし頃の詩人にとって酩酊や興奮のミューズであったが、年を取るにつれ、それは流れ行く時間の宿命から逃れんとする、人とのどうしようもない距離を感じさせる存在となっている。ここで詩人は朽ちゆく自らの肉体と、永遠を感じさせる惑星との懸隔を、否応なしに感じている。

ちなみに、最初のバージョンでは最後の4行は以下のようになっている。

そして僕ら水から出た魚のように
真空の中で喘いでいる
漏れやすい空気が
墓石になると思っているのか。

Au revoir et à bientôt !

2014年3月3日月曜日

ソネット ――妻に

ソネット / SONNET
―― Pilar に

永遠を一人で過ごさぬために
君のそばで未来の伴侶のことを考える
いつになれば涙は瞳なしに流れ、僕らは生活を楽しみ、
互いの誠実さの上で、安らうことができるだろう。

冬や夏を切望せずに済むように
巨大な郷愁に押しつぶされないように
今ここで、新たな生を耕そう
僕らの怠け癖のある雄牛を駆り立てよう

どうやって入れ替わるのか、確かめよう
友が、フランスが、太陽が、子どもたちが、果実が
そして頑固な夜がどうやって 素敵な朝に変わるのか

目を使わず見て、指を使わず触って、
言葉も、声も使わずに話して、
身動きもせず、少しだけ場所を移して。

妻である Pilar に贈った詩。ここにはシュペルヴィエルらしい小宇宙と、愛の発露がある。ここにはシュペルヴィエルの小宇宙の中を共に漂う、夫婦の姿がある。

最終段落は「確かめよう」という動詞が隠れている。3段目で「どうやって(様々なものが)入れ替わるのか」と問いかけ、4段目で「こんな風に確かめよう、二人一緒に」と妻に語りかける。

夫婦といえど人間同士、隠し事や失敗もある。ときにお互いを疑い、信じられなくなることもある。それでも二人、共に生きていこう、永遠を一人で過ごさぬために。う~ん、ロマンティックすなぁ。

Au revoir et à bientôt !


2014年2月24日月曜日

その日太陽はいつもより深く沈んで / Le jour en profondeur...

その日太陽はいつもより深く沈んで / Le jour en profondeur bien plus que de coutume

その日太陽はいつもより深く沈んで
一人で夢の中の空ろに入り込んだ
そこでは移ろう紺碧だけが見えて
束の間の空は僕らを探し歩いた
それは僕らが定めた空の境界の、あちら側での出来事で
遠すぎたから、むしろ怖くなったんだ
だから僕ら目を伏せて、裸足のつま先で
惑星の振動を感じていたんだ

いかにもシュペルヴィエルらしい詩、という印象。ciel / 空、planète / 惑星、などは初期の詩集から繰り返し現れているモチーフだ。ここでもシュペルヴィエルは、一人の人間のミクロコスモスと彼を取り巻くマクロコスモスとが重なり合う瞬間を描くいているように思う。それは彼の、昔から追求してきた主要なテーマだ。

Au revoir et à bientôt !


2014年2月23日日曜日

夢に見るんだ / Je rêve que je rêve ...

夢に見るんだ / Je rêve que je rêve et je suis là pourtant

夢に見るんだ 君を あぁ、若さの極みにある女よ
ぼくは夢の中 君の前にいる
でも君は、現実の時の中にいて
誰かが君に言い寄り、ぼくは忘れられる
靄のこちら側で、明かりも場所もないところで
ぼくは見るんだ まじまじと、君の視線がこちらに
ぼくのほうに向かってくる、それは秘密の小舟のように
からっぽで、ぼくの心だけ乗っていて、体は乗せられないんだ。
*
君は人生のように美しい
その君が今隣の部屋にいる
扉の鍵はかかっているけれど
君の動く物音は聞こえるんだ。
廊下を歩く君の行き先が
僕らのとこでないのはわかってるけど
廊下に擦れるその足音が
忘却が消しゴムで消すような
きれいな消しゴムで全部消し去るような
君の足音がよく聞こえるんだ。

前々回の詩より、『EURYDICE』をはさんでこの詩。二行目「ぼくは夢の中 君の前にいる」は別のバージョンでは「ぼくは夢の中 君のそばにいる」 (Devant vous → Près de vous )となっている。こちらのほうが日本語としては収まりがいい気がする。

後半部は特に意訳した部分が大きい。シュペルヴィエルの詩は(彼に限らないだろうが)、韻を踏むことを重要視していることもあって、主語や動詞が抜けていることが多い。その部分を自分なりに補っているため、詩人の意図したところと大きく意味が変わっている可能性もある。

Au revoir et à bientôt !

2014年2月18日火曜日

君を想っている Je vous rêve ...

君を想っている / Je vous rêve de loin, et, de près, c'est pareil...

君を想っている 近くにいても離れていても変わらずに
しっかりものの君はいつだって 返事をしないけれど
ぼくの穏やかな眼差しの下で 君は音楽に変わる
目で見るように、耳で君の存在を聞こう。

君は贈り物の、美しい鼓動のハートを持っているから
目の前にいるように、ぼくの中に居座って
君が、こめかみの中でそっと、脈打つのが聞こえるんだ、
君が、ぼくの中にそっと、滑り込み、消えていくのが。

表題なし。久しぶりに Jules Supervielle の詩集 『Oublieuse mémoire / 忘れがちな記憶』 から。プレイヤード叢書によると、1946年、第二次大戦後シュペルヴィエルがウルグアイからパリに戻ったあとに書いたとされる晩年の作品。

ここで出てくる「vous / 君(本来なら「あなた」が適当か)」は女性名詞。単純に思いを寄せている(いた)女性に対する詩としてもいいが、第二次大戦中、ウルグアイに逃れていたシュペルヴィエルが、フランス( la France )に向けていた郷愁を読み取るのも面白い。

Au revoir et à bientôt !

2012年12月23日日曜日

月刊、なんて言わずに全集

去年の12月には『月刊 万有引力』と銘打って、シュペルヴィエルの詩集の翻訳をしていたものだが、今年はなにやら忙しさにかまけて、うやむやに終わってしまいそうだ。
 
そこで今日は、Gallimard 社から発行されている Bibliothèque de la pléiade / プレイヤード叢書 に収められているシュペルヴィエル全詩集を少し紹介しよう。
 
そもそもプレイヤード叢書とはなにか。まずそこからはじめよう。
 
一言でいってしまえばそれは、「世界文学名作全集」である。国籍を問わず優れた作家はすべて、この叢書に収められているといってもあながち過言ではない。
 
もちろんフランス語に翻訳されている、という制約は付きまとうが、それでも作家としてこのシリーズに名を連ねることは、アカデミーフランセーズ会員になることより名誉であると言え、また、ノーベル文学賞?たかが一ダイナマイト技術者の作った賞なんていらないね――なんて一笑に付すことだってできる(かもしれない)。
 
この叢書は翻訳の際に底本として使われることも多い。それはこれがしばしば死後確定された決定稿としての扱いを受けていることを意味するとともに、異同のある別稿の有無についても触れている点において他を凌駕しているからでもある。
 
さて、シュペルヴィエルの全詩集にざっと目を通すと、このシリーズの面白さがよくわかる。
 
ひとつひとつの詩に解釈が付けられ、巻末にある索引を使えば、同名の詩の存在や類似したテーマの詩を調べることができる(Offrande / 贈り物 と題された詩を生涯にいくつ書いているか、君は知っていますか?)。
 
つまりは作者の持つ語彙の幅や嗜好をよりよく知ることができるツールなわけだ。
 
まあ、ここまで書いていうのもなんですけど、この前自分の誕生祝いとして購入し、その勢いのまま嬉しげにこのブログを書いた、というわけ。
要は自慢したかっただけだろう?――そうですが、なにか?
 
Au revoir et à bientôt !

写真編集ツールを使用してみた。

2012年11月26日月曜日

サンディ島の謎を追え!

どうやってその集落は浮かんでいるんだろう?どこの船乗りが、どんな建築家の助けをかりて、大西洋のど真ん中、水深六千メートルの海上に、このようなものを建てたのか?

Jules Supervielle / ジュール・シュペルヴィエルの短編小説、"L'enfant de la haute mer / 沖合の少女" は、大西洋の孤島に一人住む、12歳の少女の物語だ。

これまで他の人間を見たことがない少女は、水平線上に船が現れると、猛烈な睡魔に襲われて寝入ってしまい、それとともに集落はその姿を波間に隠す。それゆえ船乗りは誰もその姿を見たことがない。だがある日、少女は船を見つけて…。というお話。

こんな風にあらかじめ、幻想小説の体をとっていれば、我々もすんなりと受け入れられるのだが、現実はそう、甘くない。

オーストラリアとフランス領ニューカレドニアとのほぼ中間、南太平洋上にあるとされているサンディ島(英:Sandy Island 仏:L'ile de Sable )Google Earth にもその存在が記載されているが、今月22日、オーストラリア地質学チーム「サザン・サーヴェイヤー(Southern Surveyor)」の調査過程で、実在しないことが明らかになった。

なんでもこの島、古くは1792年にはすでに文献に記載されていた、というから、この幻の島は200年以上も地図上に存在し続けたことになる。

もはや完全にシュペルヴィエルの世界だ。

島が作られたそもそもの理由が過失によるものなのか、あるいは意図的なものなのか、今となっては知る由がない。「あると信じられていたものが実は存在しない」という考えは、人間にとって実に馴染み深く、同時に畏怖の対象である。サルトルならそれを、「実存の孤独」と呼ぶだろう。シュペルヴィエルはそこに、他者との繋がりを見出す。

沖合の少女はどのように生まれたのか?

物語の最後に示される説明ではこうだ。少女は、四本マストの帆船アルディ号に乗っていた Charles Liévens というステーンヴォルド出身の水夫によって生み出された。彼は12歳の娘を亡くしており、航海中もたびたび彼女のことを思っていた。ある夜、ある場所で(ご丁寧にもシュペルヴィエルはそれが北緯55度、西経35度の位置だと指定する)、彼が亡くした娘をあまりにも強く、長く思い続けた結果、沖合の少女は生まれたのだ、と。少女はある人物の想像の産物なのだ。

さて、それではサンディ島はいったい、誰の想像の産物なのだろう?そして我々は?

Au revoir et à bientôt !
Google Map 上のサンディ島
 
*日本のニュースではあまり紹介されていない様子だが、Wikipedia 上に記事が存在する。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E5%B3%B6_(%E5%B9%BB%E5%B3%B6)

2012年7月12日木曜日

ASCENSION / 昇天

ASCENSION / 昇天

飛翔する死の森が通り過ぎた雲は
己の起源を取り戻し、
恒星の霧氷の下で、
天球軸にそっと触れる。

まるで地上に並んでいるような
ポプラの亡霊
君たちは堂々と居並ぶために
一本の川を探している。

この低木、あの灌木は
でこぼこ道に必要なものだった、
空はその下で
地球の骨格をまねている。

その影は残っているのか
生の記憶の中に、
そしてそこに残っていた不安の糸を
断ち切るのだろうか?


おはようございます。

久しぶりの翻訳なのですが、うーん、雑。全体にもっと訳語を練らないといけませんね。

タイトルから想像されるように、ここでは死後の世界がイメージされているようです。おそらくは、上方(天界)から見下ろした地上(下界)の景色。それで本来は上に見えるものが下に見え(雲)、下にあるものが上に見える(ポプラの亡霊)。

上にあるからといって幸せなのではなく、本来のあるべき形を求めている、その姿はあくまで現実世界を生きる我々と繋がっており、そのか細い繋がりを断ち切ることが、できるのだろうかと尋ねる詩人の声は反語的で懐疑的であり、生が根源的に抱えている不安こそが、不格好ながらも「理想的」存在であることの、条件なのでしょう。

ちょっと、詩の解釈めいたことを書いてみました。こうやって書くと、なんとなくわかった気になるから不思議なものですね。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
セーヌ川と並木道。




2012年6月1日金曜日

Planète / 惑星

PLANÈTE / 惑星

金星の上に日が昇る
かすけた物音がするこの星に。
眠りほうけた湖の上を
漕ぎ手のないボートは渡るだろうか
地上の思い出はふらつきながら、
この星まで来るだろうか
一輪の花は茎の上のその顔を
光さす方に傾けて
鳥たちのいない葦の茂みで
人気のない空気を華やかせるだろうか?


おはようございます。
昨日は休日で、翻訳を二つやったので、二回に分けて掲載しています。
もはや翻訳ついでに書くことがなく、同じことばかり書いている、かもしれませんがあえて言おう、私は視覚的作品が好きだ、と。草や花、馬といった、触れられる世界、ミクロな世界のものを通して、マクロな世界観を描く、シュペルヴィエルはなんと私好みなんでしょう。

ついでにいってしまえば、傑作『三枚続きの絵』で、草むらに横たわったバイクの、タイヤのホイールの隙間から伸び出す草を、細密に描写したクロード・シモンが私の最高にお気に入りの、作家であることは、むべなるかな。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
管制塔。 Sky High!



2012年5月31日木曜日

Chemin de ronde / 円状の小道

CHEMIN DE RONDE / 円状の小道

大地は道を張りめぐらせて
己の思考に捉われ、めぐる
けれど多くの畑、街、庭は
不動の姿勢を崩さない。

雲は慌ただしく往き過ぎる
散り去るのを怖れるから。


毎月恒例の翻訳詩です。ずっと詩集『Gravitations / 万有引力』から訳しているのですが、この章タイトルが面白い。「Le Cœur Astrologue」なのですが、直訳すると「占星術師の心(臓)」。うーん、如何にもシュペルヴィエルらしい。

今日はこれだけです。では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
セーヌ河の流れ。去年の今頃フランスに行ってたんだなぁ。懐かしい

2012年4月12日木曜日

Offrande / 捧げもの

OFFRANDE / 捧げもの

あらかじめ用意された微笑みは
いずれ死者になるであろう僕らのためのもの
テーブルの上の僅かなパン
家の周囲に。
長い一本の遊歩道は
南を出迎える
それはまるで微動だにしない未来に対する
移ろいやすいオマージュみたい。
島々の果実を摘み採るために
僕らが海の上を
ブラジルのほうへと伸ばした腕は
地上のすべてを要約する、
僕らがいずれそうなるであろう死者に
それは僅かな土くれにすぎないだろうけど、
今なら前もって愉しんでおける、
僕らの知性と
死に対する恐怖、
死の甘美さをごたまぜにして。


おはようございます。

毎月恒例のようになった、シュペルヴィエルの翻訳詩です。今回から原文を省略してみましたが、いかがでしょうか?今まで読みにくいなぁと思いつつ、誰かが誤訳を指摘してくれるのではという儚い望みを抱いて原文も表記していたのですが、どうやら夢は夢のまま終わりそうです。

今回の詩のタイトルは『Offrande / 捧げもの』。「贈りもの」と訳すこともできたのでしょうが、ここではいずれそうなるであろう死者に対する Offrande と解釈しました。

この詩の特徴は語の反復と対比でしょう。私の拙い日本語訳でもなんとなくわかってもらえると思いますが、「僅かな」や「あらかじめ、前もって」、それに「いずれそうなるであろう~」といった語が繰り返されています(あらかじめ、と、前もっては別の語ですが)。
また「微動だにしない」と「移ろいやすい」、「すべて」と「僅かな」などの対比も目立ちます。
マクロな世界をミクロな事物の中に見出す、実にシュペルヴィエルらしい詩だと思います。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
ノーコメント。

2012年3月14日水曜日

Le revenante / 死者の霊

LE REVENANTE / 死者の霊

Les corbeaux lanceraient de leur bec les nuages             嘴で雲をズタズタにしたカラスたちは

Emportant des lambeaux,                  切れ端を咥えたまま、
Coulant a pic vos angeliques equipages,                         天使が乗った移り気な船に直下して、
Versatiles vaisseaux.                                                      船を沈める。

Les cerfs a voix humaine emplissaient la montagne         アカシカは人の声で山を満たす
Avec de tels accents                                                     白いバラに満たされ
Que l'on vit des sapins s'emplir de roses blanches          横向きに倒れた
Et tomber sur le flanc.                                                   モミの木々を強調して。

Jurez, jurez-le-moi, morte encore affairee                      誓ってくれ、それを誓ってくれ、
Par tant de souvenirs,                                                    死んでもなお数多の思い出に苦悩する、
Que ce n'etait pas vous qui guettiez a l'oree                    前世との狭間で待ち構えていたのは
De votre ancienne vie,                   お前ではなかったと。

Et que la dechirure allant d'un bout a l'autre                   明けそうもない夜の
De la nuit malaisee                                                        始めから終りまで広がっている裂け目
N'etait votre oeuvre, o vous qui guettiez jusqu'a l'aube   それはお前の作じゃない、おぉ、
L'ame dans la rosee.                                                     夜明けまで待ち続ける薄バラ色の魂よ。



おはようございます。月に一度の翻訳です。
ブログには上げていませんが、今もぼつぼつと翻訳を続けています。
現在はモーパッサンの短めのエッセイを翻訳中。フランス語ではわかってるつもりでも、日本語に訳してみると全然意味が通じない、ってことがよくあります。言語の互換性は意外と低いのかもしれませんね。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!


2012年2月9日木曜日

Point de flamme / 炎の指先

POINT DE FLAMME / 炎の指先

Tout le long de sa vie                       長い一生を通して彼は
Il avait aime a lire                             一本のろうそくをたよりにして
Avec une bougie                              本を読むのが好きだった
Et souvent il passait                          しばしば彼は
La main dessus la flamme                 炎の上に手をかざしては
Pour se persuader                            確かめようとしていた
Qu'il vivait,                                       生きている、
Qu'il vivait.                                       生きているんだと。
Depuis le jour de sa mort                  死んだあの日から彼は
IL tient a cote de lui                          火のついたろうそくのそばに
Une bougie allumee                          繋ぎ止められているけれど、
Mais garde les mains cachees.          両手は隠したままだ。


「蝋燭」は生の儚さを象徴するものとして、古くから使われている道具ですね。ここでは死後にも続く蝋燭の明かりが、より人の一生の短さを表現しているように思います。
表題ですが、炎の指先(先端の意味も)で間違いないはずですが、もしかすると、「指先の炎」の意味もあるのかもしれません。なわけで、舌先と訳したほうが炎という単語としっくりくるのですが、あえて指先と訳してみました。ま、後付けですが。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
説明することはなにもない。

2012年1月31日火曜日

Les yeux de la morte / 死者のまなざし

LES YEUX DE LA MORTE / 死者のまなざし

Cette morte que je sais                             彼女のことを僕は知っている
Et qui s'est tant meconnue                         現世では不遇をかこち
Garde encor au fond du ciel                      今でもまだ空の底から離れずに
Un regard qui l'extenue.                            彼女を苦しめる視線の下に曝されている。

Une rose de drap, sourde                         鉄製の茎の上の、
Sur une tige de fer,                                   羅紗作りのひそやかなバラ
Et des perles dont toujours                       真珠は今もまだ
Une regagne les mers.                              海から採取されている。

De l'autre cote d'Altair                             アルタイ山脈の向こう側で
Elle lisse ses cheveux                               髪の手入れをしている彼女は
Et ne sait pas si ses yeux                          瞳を閉じようと、あるいは開けようとしているのか
Vont se fermer ou s'ouvrir.                      わかってないんだ。


おはようございます。
一か月ぶりにシュペルヴィエルの詩集の翻訳です。
この詩は『Gravitation / 万有引力』中の「Le miroir des morts / 死者たちの映し鏡」 の巻頭詩になります。このブログで前回「ダブル」のテーマをして、鏡繋がりということで。
やはり、「生と死」という鏡の裏表は魅力的なテーマなのでしょう。この章はこのあと、「miroir / 鏡」、「Pointe de flamme / 炎の指先」、「La belle morte / 美しい死者」と続いていきます。機会があれば、またアップしたいと思います。

では、、また。
Au revoir, à la prochiane fois!
フランスの平野は本当にどこまで行っても平らですね。

2011年12月31日土曜日

L'allée / 並木道

L'ALLÉE / 並木道

Le reste a peri sous le lourd passage               荷車で運ばれたあなたの魂
De votre ame avec son charroi,                      その残りは重苦しい往来の下、息途絶えた
Il n'est demeure qu'un froissis sans age            動揺し切った並木道には
Dans l'allee au long desarroi,                           気分を害した男が一人だけ

De la nuit qui guette entre les lianes                 夜には蔓植物のあいだで動静を伺い、
Et monte au fut des lataniers,                          インドヤシの幹をよじ登る
L'embarras de l'heure, un bruit diaphane         どんづまりの時が、透き通った音が
Qui s'opposeraient a vos pieds.                      対置される、あなたの足跡に。


おはようございます。今年最後の更新になります。
今年の6月からこのブログを初めて、気がつけば半年以上続けることになりました。来年も頑張って書き続けたいと思いますので、読んでやってもいいという奇特な方々、また来年もよろしくお願い致します。
みなさんにとって来年が素晴らしい年でありますように。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
一年の終わりを Sacré-Coeur 寺院で〆。

2011年12月30日金曜日

Rencontres / 出会い

RENCONTRES / 出会い

A G. Bounoure.――G. ブヌールに

J'avance en ecrasant des ombres sur la route            僕は進む路上の影を蹴散らしながら
Et leur plainte est si faible                                         弱々しいうめき声をあげて影は、
Qu'elle a peine a me gravir                                       僕の身体をやっとこさ這い上がるけれど
Et s'eteint petitement avant de toucher mon oreille.   僕の耳に触れる前に細々と消えてしまう。

Je croise des hommes tranquilles                              すれ違った物静かな男たちは
Qui connaissent la mer et vont vers les montagnes;    海を知っていて、これから山に向かうところだ。
Curieux, en passant, ils soupesent mon ame              奇妙にも、通りすがりに、彼らは僕の魂の重さを量り、
Et me la restituent repartant sans mot dire.                なにも言わずに返し、去って行った。

Quatre chevaux de front aux oeilleres de nuit            夜の遮眼帯をした四頭の馬が
Sortent d'un carrefour, le poitrail constelle.               交差点から飛び出してくる、胸に星を散りばめて。
Ils font le tour du monde                                          なにか別のことを考えながら
Pensant a autre chose                                              彼らは世界を一周してきた
Et sans toucher le sol. Les mouches les evitent.        一度も地面には脚を触れず。蠅は彼らに集らなかった。

Le cocher se croit homme et se gratte l'oreille.        御者は、自分こそその男と思い、耳を掻いた。


本日二つ目。うーん、ちょっとわかりずらい内容になってますね。最後の文で出てくる「その男」とは、一段落目の「僕」に相当すると思われます。全体でみると、三段落目だけ浮いていて意味が取りにくくなってます。特に「蠅」がなにを意味するのか、よくわからない。訳しては見たものの、表面の意味を取っただけで終わってしまってます。J'attends toujours vos corrections!

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
フランスではこういう小さな店がパリでも田舎でもいたるところで見られます。
日本ではほぼ姿を消したスタイルですね。

Echanges / 交換

ECHANGES / 交換

Dans la flaque du petit jour
Ont bu les longs oiseaux nocturnes
Jusqu'a tomber morts alentour
Au dernier soupir de la lune.

Voici les flamants de l'aurore
Qui font leur nid dans la lumiere
Avec la soie de l'horizon
Et le vent dore de leurs ailes.

夜明けの水たまりで
尻尾の長い夜鳥が水を飲んでいた
月の最後の吐息が
周りで息絶えるその時まで。

ここに暁のフラミンゴがいて
曙光の中、地平線の絹糸を使って
巣作りに勤しんでいる
そして風が彼らの翼を金色に染め上げる


前回は久しぶりの更新でしたが、今回はこれまた久しぶりの翻訳です。あと二つ、『Rencontres / 出会い』と『L'allée / 並木道』でこの『Suffit d'une bougie / 一本のろうそくで』と題された章はおしまいです。残りの二つもすでに翻訳済みなので、今年中にきりのいいところまで、上げてしまいたいと思います。しかし、この詩といい、相変わらず面白いイメージを想像していると思います。フランス語の音の流れをもっと良く理解できれば、より深く詩を楽しめるのでしょうが、まだまだそこまでは、という感じです。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
海外に行ってなによりも見るべきは建築だと思います。
絵画や音楽は輸入できるけれど、建築はその場に行ってみないとはじまらない。
その建物の建っている周辺の環境もまた建築の一部なのだと思います。

2011年12月14日水曜日

Une voix dit / ある声が Hier et Aujourd'hui / 昨日、今日

UNE VOIX DIT / ある声が

Une voix dit : 《C'est pour bientot》.           ある声が言う、「もうまもなくです」と。
Une autre : 《Je l'entends venir!》                別の声が言う、「もう音が聞こえたぞ!」と。
Je ne sais ce que veulent dire                     僕は知らない この漂流する美しい声が
Ces belles voix a la derive.                        なにを言いたいのかを。


HIER ET AUJOURD'HUI / 昨日、今日

Toute la foret attend que la statue abaisse son bras leve.
Ce sera pour aujourd'hui.
Hier on avait pense que ce serait peut-etre pour hier.
Aujourd'hui on en est sur, meme les racines le savent.
Ce sera pour aujourd'hui.

森の全てが待っている、銅像が振り上げた腕を下ろすのを
きっと今日だろう。
昨日、それは昨日起こるんだと思っていた。
今日だ、間違いない、根っこだって知っている。
きっと今日なんだ。


今回も短いのを二つ。
この二つのイメージはわかりやすい感じがします。
二つの詩をあえて共通の単語で表そうとすれば、「期待」でしょう。フランス語では 'attente' 、もとの意味は「待つこと」、そこから派生して「期待」の意味が生まれています。日本語でもフランス語でも「待つ」ことが期待することなのだ、という共通の感覚が伺えます。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
欲望と期待の渦巻く passage