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2014年4月3日木曜日

世界最古の月面地図帳

最近読書日記ばかりだったので、久しぶりに趣向を変えて。

Le Point.fr 中のシリーズ、Les incroyables tresors de l'Histoire / 歴史の信じがたい贈り物 から世界最古の月面地図帳の話を。


作成したのは Johanes Hevelius / ヨハネス・ヘヴェリウス(1611-1687) というポーランド人。同時代に生きたガリレオ・ガリレイや、ヨハネス・ケプラーにはるかに知名度では及ばないが、重要な人物だ。自宅に設置した巨大な空気望遠鏡は彼の代名詞で、名前を冠して「ヘヴェリウスの空気望遠鏡」と呼ばれていたそうだ。空気望遠鏡なるものがどんなのか、私にはわからないが、レンズの直径15センチメートル、鏡筒部分の長さ45メートルというのだから、相当のものだ。

4年の観測期を経て1647年に発表された著作は、『 Selenographia 』と題され、出版された。タイトルは月の女神 Selene / セレネの名前から。1663年、フランス滞在の折に、自らの著作をルイ14世に献呈した。その書物が今もフランスのBNF(Bibliotheque Nationale de France / フランス国立図書館)に現存する。


動画を見る限り、非常に美しい書物だ。もちろんただ美学的見地からでなく、科学的にも非常に価値の高い作品として、今も大切に保管されている。

ヨハネス・ヘヴェリウスの生涯については、ja.Wikipedia よりも.fr. のほうが詳しい。おそらくポーランド語ではより詳細に書かれているのだろう。こんなのも、ものの見方を変えてくれる、小さいけど大切な瞬間だ。

Au revoir et a bientot !

 参照URL:Le plus ancien atlas de la Lune publié en 1647 par le Polonais Hevelius. © Le Point.fr

2014年3月19日水曜日

雨に濡れた土の匂い

出川哲郎の持ちネタのひとつに、「切れたナイフ」ってのがあるじゃん?他の芸人たちに散々弄られたあげく、たまりかねたように昔の呼称を持ち出して、「オレはなぁ、昔切れたナイフって言われてたんだよ!」ってやつ。どんな意味やねんと周りから突っ込まれ、本人も満足げに笑っている。あれ、こんなんだっけ?

テレビでこの場面を見るたび、大江健三郎の小説で出てきた「ナイフ / naif」を思い出す。どの小説だったか、忘れてしまったけれど。日本では「ナイーブ」と表現する人間を、「ナイフな」奴と高校生同士、原語の発音に忠実にありながら評するという、作中の挿話のひとつだ。

日本で「ナイーブ」といえば、素朴さや純粋さを表し、やや肯定的に捉えられることが多い。この意味合いは、フランス語では古風であり、現在ではほとんど使われない。naif の今現在の意味は「お人よしの、馬鹿正直な」ってところだ。

そう考えたとき、「切れたナイフ」って呼称は面白いよね。だって「ついに馬鹿が怒ったぞ」といわれてるようなもんじゃん。まさにそのままの状況。赤いものを見て「赤いぞ!」といったにもかかわらず、「意味がわからない」と否定する周囲と、それを受容してニタニタ笑うだけの本人。そこはかとなく哀れみを感じてしまう。

まあそれはさておき、今日の本題。Isaac Bashevis Singer / アイザック・バシェヴィス・シンガー『Gimpel le naif』 をフランス語で読んだ。あとで調べたところ、日本語訳も存在し、タイトルは「バカのギンペル」と訳されていることが多いようだ。発音しずらい名前だが、これでも1978年のノーベル文学賞受賞者だ。

最近ユダヤの作家を集中的に読んでいるのだが(以前に紹介したAmos Oz もその一人)、この人にはある意味裏切られた。なんつーか、ヨーロッパの匂いが強いのだ。それも、中央ヨーロッパの匂い、ドストエフスキー的に言うならスラブの匂いといえばいいか。

それもそのはず、生まれは1904年ポーランド。1935年には兄を追って渡米。その後1943年に米国籍を取得し、1991年マイアミで死去している。シオニズムとは距離を置き、母語であるイディッシュ語を使って、イディッシュ民話に深く関係した物語を書き続けた。1978年のノーベル文学賞受賞は、もちろん、イディッシュ語の作者としては初だった。

イディッシュ語は高地ドイツ語のひとつ、一方言とされ、標準ドイツ語にヘブライ語やスラブ語を交えたものらしい。「イディッシュ」とは「ユダヤ語」の意味であり、それはそのまま使用者の帰属先も示す。

文学的内容は、ヘブライ語で書く後世のユダヤ作家、Amos Oz Aharon Appelfeld よりも、同時代の中央ヨーロッパの作家たちにはるかに近しい。ボフミル・フラバル(1914-1997)やヤロスラフ・ハシェク(1883-1923)などは、民族的背景は異なりながらも、同じような土台がある。それは民衆に根ざしていること、「因果応報」だとか、「信じるものは救われる」とかいった、上から押し付けられた規範に捉われない理不尽さと、性的開放感が作中に充溢する。それは、雨に濡れた土の匂いだ。

もちろん、このあたりの作家と比較する以上、同じように中央ヨーロッパに生を受けたユダヤの作家、フランツ・カフカ(1888-1924)と比較しないわけにはいかないだろう。だがそれは、また別の話。

全然関係ないけど、飲料水「evian」を反対から読むと「naive」。そんなとこから、気取って水を買うような人間のことを「ナイーブな(バカな)やつだなぁ」と嘲るのも、フランス人の一種の楽しみだ、ということにしておこう。

まったくまとまりのない文章だが、今日はここまで。
Au revoir et a bientot !


2014年1月6日月曜日

野球フランスリーグ、今年の参加チームを発表

先月、野球フランスリーグの Classement Elite、サッカーで言うところの1部リーグに参加する8チームが発表された。

Chartres-French Cubs, Rouen-Huskies, Senart-Templiers, Beaucaire-Chevaliers, Paris UC, Savigny sur Orge-Lions, MVC-Barracudas, Toulouse-Tigers, 以上の8チームで2014年のチャンピオンシップは争われる。

各チームの名前は前半部分が地名、後半部がチーム名になっていて、それぞれカタカナに直すと、

シャルトル・フレンチカブス
ルーアン・ハスキース
セナール・テンプリエ
ボウケール・シュヴァリエ
パリ・大学クラブ
サヴィニー・ライオンズ
モンペリエ・バラクーダ
トゥルーズ・タイガース

となる。

で、FFBS(Federation Francaise de Baseball et Softball / フランス野球&ソフトボール連盟) の公式ホームページを見たんだけど、やる気なさすぎ!

まず参加しているチームの情報がどこにあるか、全然わからないし、ようやく見つけても情報そのものが少なすぎる。誰が所属しているのか、去年の成績がどんなものなのか、ぱっと見れないってのはいかんでしょ。

ちなみに2013年の結果を見ようと思えば、FFBSのホームページ→Championnats Baseball Division 1 → CNSB Archives-Championnats 2013 → Calendrier,resultats と経由すれば見ることができる。ね、簡単でしょ?

4割打者が誕生していたり、ホームランが1本も出ていなかったり、突っ込みどころは満載だが、ひとつのスポーツがある地域に根ざしていく、その過程を体験しているようで実に楽しい。

週に1度、一年で28試合しかなかったり、チームの本拠地もほとんどが人口10万前後の地方都市だったりと、まだまだ発展途上のフランス野球だが、もともと潜在的にスポーツ好きな国民性。サッカーやロードレースばかりが取り沙汰されるが、ラグビーもようやく根付いてきた。野球がフランス人の気質に合わないと誰が言い切れるだろう?今後の展開に注目だ。

Au revoir et a bientot !
私は今年もオリックス・バファローズを応援しています。
参照URL: FFBS 公式サイト

2013年7月2日火曜日

ホット・チョコでドーピング!? UCI に相談だ !!

煙突掃除夫がツール総合優勝者になるなんて、今後二度とないだろう。

どんな分野でも黎明期はべらぼうに面白い。そもそもどんなふうに楽しむか、ルールすらまともに決まっていない中で、みんなが思い思いのことをする。やがて様々なものが整備され、淘汰されて、不都合は排除され、プロとアマチュアは分離し、再び混じり合うことはない。

6月29日。記念すべき100回目のツール・ド・フランスがコルシカ島をスタート地点に開催された。21世紀の現在まで、幾度の中断を経ながら脈々と続いてきた物語にも、始まりはある。これはそんなツール創成期の物語だ。

1903年7月1日。パリ郊外の町、モンジュロン / Montgeron にあるカフェ Au Reveil Matin の前のスタート地点に、60人の選手が並んでいた。6ステージで総走行距離2428km を数える、実に過酷な挑戦が始まろうとしていた。

パリ(近郊) - リヨン間を結ぶ467km(!) の第一ステージを制したのは、当時32歳の煙突掃除夫、モーリス・ガラン/ Maurice Garin だった。2位に55分もの大差をつけ、17時間45分をかけて走り抜けた彼はそのまま、7月19日には記念すべき第一回のツール総合優勝者となった。栄光のマイヨ・ジョーヌを着ることはできなかったけれど(採用は1919年から)、賞金6,075F (現在の価値で約54,000€ = 約¥7,020,000) を獲得し、歴史に名を刻んだ。

平地がメインだったとはいえ、変速機もブレーキもない重さ14kg の自転車で、2500km 近くの距離を平均時速 25.6km/h で走り切ったところをみるに、ただの煙突掃除夫でなかったのは間違いない。それは、他の選手たちが気付け薬に赤ワインや安ブランデーを飲んでいたのを横目に、好物だからという理由だけで、ホット・チョコを飲んでいたというエピソードからも推し量れる。

過酷さでいえば、今よりもはるかにすごかったろう。1ステージの平均走行距離は400kmを超し、ときに道端で寝ることを余儀なくされた。日当を出してまでかき集めた79名の参加予定者のうち、当日スタート地点に現れたのは60人にすぎず、ゴールラインを越えたものはわずか21人だった。ツール史上最初のランタン・ルージュ(最下位の選手)、Milocheau がゴールしたのは、ガランに遅れること65時間、およそ3日後の出来事だった。

牧歌的な時代は終わった。今やレース中にホット・チョコなど飲もうものなら、ドーピング検査に引っ掛かってしまう。名声は一瞬にして地に落ち、流したすべての汗は否定される。

いや、そもそもが後世から振り返ってみた懐古的な幻想にすぎないのだろう。どれだけ機材が貧しかろうと、そんなことに構わず出場した選手たちはベストを尽くした。そこに名誉の付随するのが周知されたとき、悪もまた蔓延る。

モーリス・ガランは第2回のツールにも参加した。Saint-Étienne を抜けてすぐのところで、その地域の選手のサポーターに待ち伏せをされており、他の選手とともに石つぶてを浴びせられた。あるものは地面に押し倒され、叩きのめされた。暴漢たちを追い払うには、主催者の発砲が必要だった。

事件を受けてガランは言った、「オレは1位をとるよ。もしパリに着く前に殺されなかったらな」。宣言通り彼は2年連続2回目の総合優勝を果たす。

事件はそれで終わらなかった。同年12月、「禁止されたタイミングで食料を補給した」として告発され、順位格下げの憂き目にあう。別の者は彼が、途中列車を使ったと主張した。以降二度とガランはツールに出場しなかった。

1957年に没するまで、ガランがどのように生活していたのかは明らかでない。以前のように、煙突掃除の仕事に戻ったとも考えられる。煙突掃除は彼を裏切らないことを、経験上知っていたのかもしれない。

Au revoir et a bientot !
モーリス・ガラン
参照URL

2013年6月15日土曜日

薔薇は萎れてしまった

物事には時機がある。

時機の則した、していないは非常に重要な問題である。なぜならそれは物事の運命を決定づけるものであるから。より宿命論的に言うならば、時機に則して物事を行う(書く)ことは、それを宿命と寄り添わせるようなものだ。逆に時機を逃すことは、宿命と添い寝する機会を逸するようなものだといえる。それはある種、神に対する予期せぬ反逆だ。

ここにそんな袋小路に落ち込んでしまった一編がある。

『Altera Rosa 運命に翻弄された街で薔薇と踊る』 と題したこの article は、本来なら一月前にアップされるべきものだった。先月にアヴィニョンで行われた「バラ祭」の映像と、旅行で訪れた思い出を、かの地にまつわる歴史と絡めて書く、書いたつもりだった。

今では時機を逸してしまい、それはほとんど色あせて見える。けれどもこのまま棄ておくにはもったいない。だってまだ使えるだろ?――そんなわけで、私の37の悪癖の一つ、自己引用でもってなんとか再構築を試みる次第である。


Avignon / アヴィニョン。パリからTGVで3時間40分ほど、快適さ、近隣に散在する街へアクセスする利便性、そしてなにより街自体が持つ魅力が、この街を忘れがたい存在にしている。

Avignon / アヴィニョン。この街は私にとって縁深い。滞在期間の長さがこの執着の形成に一助を買っているのは当然として、その文化的背景や最近お気に入りの作家、Henri Bosco 生誕の地という付加価値が、より一層執着心を煽り立てる。パリがフランスの首都であることに異論はないが、私にとってフランス第二の都市は、マルセイユでもリヨンでもなく、この街なのである。

なによりも教皇庁によって有名なこの街には、他にも有名なものが多々存在する。イベントに限れば今年も演劇祭が行われるし、この時期には"Altera Rosa" と呼ばれるバラの祭りが催されている(協賛には日本でも有名な香水会社 L'Occitane / ロクシタン も名を連ねる)。

祭りの見どころはバラもさることながら、教皇庁を巨大なスクリーンとして使用する映像芸術だ。なるほど、今の時代YouTube でいつでもどこでも見ることができる。しかしながら実際に体験するとなるとやはり、現地に赴くより他に方法はない。

とりあえず、なにも考えず言ってみよう。今年第9回目を数えるAltera Rosa / バラ祭 の開催期間は5/9 ~ 5/12 まで。

って、終わっとるやないかい!!



…まぁ、あれだ。つまり最初に書いた時点ですでに時機を逃してしまっていたわけだ。間にあうもあわないもない、後出しでやった失敗。

いいさ、季節外れの花もまた、見る人の心によっては美しい。萎れた薔薇にも使い道はあるだろう。萎れた薔薇を胸に挿して、街を歩こう。宿命の角を曲がるとき、同情くらいはひけるだろう。

Au revoir et à bientôt !

2013年5月9日木曜日

オランピア、母に会う

オマージュとパロディ、盗作の境界線は曖昧だ。とりあえず、どれもすべて元となるネタが存在するが、それに対し、密やかな目配りをするのがオマージュ、それなしには成立しないのがパロディ、もはや元ネタと区別がつかないのが盗作としておこうか。

とりわけ小説や美術の世界で、それらは活発だ。いや、そもそもこれらの呼称が芸術作品にのみ使われている、というのが正しい。優れた作品は優れた後継者を生み出す。それはひとえに真似ぶ力だ。

4月末、歴史的な邂逅がなされた。マネの傑作、『オランピア』が、歴史上初めてフランスを離れ、16世紀の画家ティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』とヴェネツィアの地で出会ったのだ。

世界一美しい二人の女性は、同じ壁に並んで飾られ、各々に自らの美を主張する。ミシェル・レリスが夢見た一生に一度あるかないかの奇跡が、21世紀になって実現した。

この二人を共に「世界一美しい」と表現するのは、矛盾を孕んでいるようでいて、そうではない。なぜなら、『オランピア』は、『ウルビーノのヴィーナス』の直系の子孫、更に言えば母と娘の関係にあたるのだから。

マネが初めて『ヴィーナス』を見たのは25歳のとき。彼女は既に有名人であり、1775年にはマルキ・ド・サドを悩殺し、「高級娼婦」と揶揄されていた。美の女神は1863年、31歳のマネの手によって正式に娼婦へと格上げされる。

『オランピア』の中でマネは、偉大なる前任者にオマージュを捧げつつ、7つの違いを描き出している。モデルの女性がサンダルをはき、首に紐を巻いていること、忠実さのシンボルである犬が、黒猫に変えられていること。もちろん猫は気ままさのシンボルであり、同時に姦淫の象徴でもあり、その証拠に尻尾は性器を象っている。

あの『草上の昼食』よりも当時過激とされたマネの作品。その本質にあるのは、平凡さの中に潜む不遜だ。裸体画とは本来、あるいは建前として「美」を崇めるためのものであり、好色な目的のものではなかった(とされていた)。

マネの前では建前の仮面はいとも容易く剥ぎ取られる。オランピアの率直な、鑑賞者をじっと見据える眼差しによって。

そういえば、ニュースでは『オランピア』搬入時の様子も報じられていた。それによると同作は、ごく平凡なトラックに乗せて運ばれてきたという。トラックの荷台に『オランピア』を乗せる不遜さ、この行為もまた、マネの作品のオマージュ、といえるかもしれない。

Au revoir et à bientôt !

 

2013年5月7日火曜日

世界で一番良い仕事 !?

オーストラリアは身近だ。

高校の頃、留学といえばオーストラリアだったし、ワーホリの行き先でも、一番人気だ。

もちろん実際に身近かといえば、決してそんなことはない。時差はほとんどないけれど季節は真逆だし、そもそも飛行機で9時間はかかる。文化的背景も日本とはひどく異なる。

初めて西欧文明が到達したのが1606年、1788年からは独立したアメリカに代わって流刑植民地としてイギリス人の移民がはじまる。1828年に全土がイギリスの植民地に。1901年に独立を果たすが、その後もイギリス国王に忠誠を誓っていた。当然のように先住民たちの文化が無視されるのが西欧の帝国主義が世界に広めた「歴史」だ。

それはともかく、身近な国と思わせるのにはそれなりの努力が必要で、オーストラリアは国を挙げて実施しているのが大きい。その文化的背景を有効に生かして、日本を含むアジアの各国には西洋文明への憧れを、ヨーロッパ文化圏には共通の価値観をチラつかせながら、適度に加減されたオリエンタリズムを提供する算段。実にしたたかである。

そんな国を挙げての取り組みの一つに、「世界最高の仕事」プロジェクトがある。
カンガルーを起こすこと、イルカと一緒に泳ぐこと、コアラを抱くこと、そしてオーストラリア国内の魅力的なバーやレストランを発掘すること、といった一般的な仕事のイメージとは程遠いものばかりで、毎年世界各国から数万人が応募している。

応募には30秒のアピールヴィデオの製作が必要になるが、今回選ばれたフランス人のElisa さんが作った動画がこちら。他にもFacebook 上で1000のいいね!を獲得するために奔走する姿を撮った動画などもアップされている。


なんのためにこんなプロジェクトを?もちろん、オーストラリアの魅力をもっと世界に知ってもらうためだ。なるほど、広告費に較べれば人間一人の人件費など知れたものだ。現在の一個人の発信力に着目した、21世紀型マーケティングの成功例といえるだろう。

観光大国を目指す日本の手本が、こんなにも身近なところにある。

Au revoir et a bientot !
オーストラリア。じゃなくて、おーじどうぶつえん。
 参照URL:
 

2013年4月19日金曜日

印象派の誕生

雨の日のパリ、薄暗い室内にはモネ、ルノワール、シスレー、ドガ、ピサロ、セザンヌ…錚々たる面々の165の絵画が、サイズごとに展示され、訪問者を待っている。

Capucine 大通り35番地にある展示場は、今日も人の気配はない。部屋の隅っこでは髭面の男が、不ぞろいな脚の椅子にふらふらしながら、新聞を手に座っている。

広げられた新聞を肩越しに覗くと、1874年当時、パリのブルジョワや画壇の反応を見ることができる。

" l'ecole des impressionnistes / 印象主義者たち"
 
今や敬意を含んで語られるこの言葉も、風景画家兼ジャーナリストの Louis Leroy が初めて用いた時には軽蔑的な意味合いが強かった。「印象だけで物事を語り、真実を表していない」。これが彼の論旨だった。
 
この論評、というより酷評が一番こたえたのは、髭面の男、ほかならぬクロード・モネその人だったろう。画壇の他の主流派の面々もほとんどが彼らの絵を嘲り、一笑にふしていたが、とりわけこの批評は、自らの作品『印象 日の出』を名指しで批判しているのだからそれも当然だろう。
 
加えて、嘲るように付けられた「印象派」のレッテルが、彼自身の創意ではなく、オーギュスト・ルノワールの弟、エドモンドによって付け加えられたものであるだけになおさらだ。ルノワールの作品が一定以上の評価を得ていただけに…。
 
複雑な思いを抱きながら、モネは窓の外を見る。ショーウィンドーの向こう側では、雨に煙ったパリの街角を、急ぎ足に行き過ぎる人々の姿がある。その一瞬の動き、瞬間の風景を瞼をシャッター代わりに切り取って、頭に残った印象を描きとめようと、急いで鉛筆を紙の上に走らせる…。瞬間の芸術がカメラの発明と時を同じくして生まれたのは、決して偶然ではない。
 
1874年4月15日に開催された第一回印象派展は3500人の人を集めただけに終わった。一世紀後の今日、同様の展覧会がグラン・パレで開催されようものなら、入場者数は100万人をくだらないだろう。だが当時、彼らは未だ著名でなく、地盤も固まっていなかった。公的なサロン展から締め出された彼らにあるのは、自分たちの手法に対する信念と、若さだけだった。
 
その後の彼らの活躍はもはや語るまでもない。絵画を日常の場に持ち込んだその功績は、今も色あせることなく、作品を鑑賞する人々に強烈な印象を残し続けている。
 
Au revoir et a bientot !
更新が遅くなってスイマセンでしたー!!



2013年3月25日月曜日

愛は貴族主義

持つものにはより多くが与えられ、持たざるものは奪われる。ここでは平等主義も民主主義も意味をなさない。恋愛の世界の規則はただ一つ、より魅力的な人間がすべてを得る、過酷な世界だ。

障害者の性的支援が話題になっている。あろうことかスタンダールが『恋愛論』を書いた国、フランスで、だ。

内容を詳しく見てみよう。
Essonne 県の県議会において提案はなされた。現在は違法である、障害者に対する性的支援を合法化しよう、というのがSAVS(services d’accompagnement à la vie sociale) の訴えだ。とりわけ、「自分では身体を思うように動かせない」障害者に対する性的支援を、と訴えている。

実はこの法律、すでに採用されている国がいくつかある。麻薬の吸引も合法な尖った国オランダを先兵として、隣国ベルギー、永世中立国スイスに、幸福度ランキングで常に上位の福祉大国デンマーク、加えてアメリカのいくつかの州でも採択されているようだ。うーん、このメンツよ。

 もちろん、障害者支援を行っている組織はこの提案に賛成だ。一方で、コメント欄を見る限りでは、一般の人は反対意見が大勢を占めている。そこに税金が投入される可能性があることもひとつだが、それ以前のモラルの問題が大きいようだ。

ここで議論されている主な論点は、「性的支援は売春か否か」 にある。なぜならそれが合法か違法かの、現在のところ明確な境界線だからだ。だがこれは同時に、あまりに不明瞭な一線でもある。セックスをしなければオーケーなのか?それはもっと突っ込んでいえば、ペニスをヴァギナに入れなければいい、ってことだ。まるで、「先っちょだけ、先っちょだけだから!」みたいなノリだ。

この提案に納得いかない人も多いだろう。全国推定6000万人の恋人いない歴=人生の男たち(女たち)よ。これは嫉妬だ、ちょうど働かずに金を得ている、生活保護受給者に感じるそれと同じ感情だ。

でもたぶん、この提案が通ったからといって、心の空白を埋めることはできない。性的支援が法的に認められて、そのついでに売春も合法になって、「性感マッサージ師」の国家資格ができて、男女とも大っぴらに売春宿に通うことができるようになっても、根本のところで問題は解決していない。「国民の健康のため」なんて皮をかぶってはいるが、結局のところ、お前らみんな、愛されたいんだろう?

障害があるから無理?知らねえよ、そんなこと。頼りになるのは自分自身の魅力だけ。あんたに恋人がいないのは、身体の一部が動かないからでも、欠けているからでもない。ただ、魅力がないだけだ。

恥も外聞もかなぐり捨てて、手に入れたいのは一時的な性的快楽なんかじゃない、愛だろ?
――なら勝負だ。限りなく貴族主義的で、平等主義も福祉の精神も埃にまみれて打ち捨てられたこの土俵上で、がっぷり四つに組んで。

Au revoir et a bientot !

2013年3月21日木曜日

Far West !! 21世紀パリのウェスタン

「すでに監視カメラの映像は手に入れた。犯人たちの特定に、そう時間はかからないだろう」

うん、遅すぎる。事件があったのは土曜の夜だぜ。
それからもう5日が過ぎた。便りのないのは良い知らせ、とは言うけれど、続報のないのは捜査の遅滞しか意味しない。

くそっ、ついてねえな、と乗客の一人は思った。久しぶりにパリに出たら、帰りにこんな事件だ。でもパリとその周縁(L'île de France )の地下鉄、RERで起こる事件の数は年間約55000 件一日にあたり150件の計算だ。なにも出くわさないほうが、むしろ幸運な奴だ、と言えるだろう。

「一般的に」とSNCF(フランス国鉄)の広報は言う、「RERのD路線は他の路線に較べて特別危険、というわけではない。どんな交通機関においても平等に、窃盗事件は発生している。むしろ統計的には、窃盗の被害件数自体は減少している」――そんな数字や言葉が被害者にとってなんの慰めになろうか。被害者にとって唯一重要な事象は、自分が財布を暴漢にとられた、ということだけだ。

やつら手慣れていやがった。突然拳が飛んできた、女連れの男が述懐する、かと思うと催涙ガスで目をやられた。彼女の持っていたバッグをひったくり、気がついたときには胸ポケットにしまっていた財布がなくなってたんだ。迅速で凶悪。組織的な犯行だ。

Corbeil-Essonnes 方面の電車に乗っていたんだ、と学生が説明する、電車が Grigny 駅の構内に入るのとほぼ同時に、騒音と叫び声が聞こえた。電車の走る騒音がかき消されるくらいの音さ。それから、プラットホームを減速する車両と並行して走る若い男たちの姿が見え、あとはそう…見てのとおりさ。

まるで野蛮人さ。休日出勤の会社員が愚痴る、若者の集団が見えたとき、車両から車両へとさざめく、恐怖の波が見えた。西部劇に出てくるインディアンのように、蒸気機関車に馬で並走して、雄たけびを上げて自らを鼓舞する褐色の男たち。手に持った槍の穂先を使って、手慣れた動作で自動ドアをこじ開けて、次から次へと車両に飛び乗る。乗っているのは正義のガンマンじゃない、経済破綻寸前の国のビジネスマンだ、銃なんて持ってない。そこかしこで一方的な略奪が始まる。幾人かは抵抗するが、数の暴力には逆らえない。喧騒の後、奇妙なまでの静けさが支配する車内に、男たちが髪飾りに使っていたきれいな鳥の羽が飛び散っている――俺らみんな、毛をむしり取られたニワトリみたいだろ?

3月16日土曜日、夜10時頃、パリ郊外のGrigny-Centre 駅で、顔を隠した20~30人ほどの若者が、RER D線の乗客を襲う事件が発生した。組織だった行動で、目につく相手――とりわけ旅行者を狙って――強盗を働いた。被害者は10人以上に上るとみられる。

「まるで現代社会に対する反抗 / 犯行だ」と事件を担当する警官の一人が自分の意見を述べ、しばらく黙考した後に付け加える、「でもこれは違う」、まるで他人の意見に同意するように頷きながら、「こんなのは普通じゃない」。

Au revoir et à bientôt !
 
今回の記事も上記のニュースに拠りながら、必要に応じて手を加えている。どれくらいかって?7割だな。


2013年3月5日火曜日

死の11か月前にルイ16世がやったこと

ルイ16世の肖像画
ルイ16世を知ってるかい?

王妃のマリー・アントワネットのことは知っていても、旦那のほうには興味がない。そりゃあそうだ、ただ王族の血を引いているだけの、愚王とまではいかなくとも凡君だった。でも彼は生涯ただの一人も側室や愛人を持たなかったんだぜ?そうした側面を見る限り、少なくとも良き夫ではあったのだろう。

だからというか、それだからこそというか、彼の行いはエレジーに満ちている。

アイロニーだって?違うね、彼の言動の節々から漂っているのは、エレジー(哀歌)でペーソス(哀愁)だ。

ルイ16世とマリー・アントワネットが断頭台の露と消えたのは、1793年のこと。ルイ16世の処刑された1793年1月21日のおよそ11か月前、1792年3月2日に、この愚王はある提案をした。

そうだ、ギロチンをもっと効率的なものにしよう。

後世から見るとアイロニーに満ちたこの行為の、なんとも言いようのない可笑しみ。もちろんそれは下った時代にあるものだけの特権であり、本人は自分がその刃の下に頭を置くことになるとは、微塵も考えてはいなかった。犯罪者を見せしめに殺すこの道具が、王族の首筋を寒からしめることがある、と考えるのは確かに革命的思考ではある。

ギロチンはその演劇性に注目が向きがちだが、本来はそれ以前の死刑執行に伴う残虐性の軽減が主な役割だった、はずだ。その意味で、ルイ16世のこの判断は間違っていない、と言える。滑り落ちてくる刃を三日月形から斜刑に変更することで、より人道的になったわけだ。

ルイ16世は自らの発案のおかげで、以前に較べて苦しみが少なくて済んだ。そうだ、彼は自らをも含めた死刑受刑者たちの、守護天使なのである…。



Au revoir et à bientôt !

 

2013年2月15日金曜日

人肉 馬肉 あるいは猫肉

なんの小説だったか、必死に記憶を手繰り寄せても思い出せないが、馬の肉を食べた男の裁判が開かれる場面から始まる物語があった。あったはずなんだが、思いだせないぜ。

今ヨーロッパで馬肉の偽装問題が日々大きく報じられている。

「牛肉100%」と表示された加工食品の一部に、様々な比率で馬肉が混じっていたらしい。中には「馬肉100%」の肉もあったとか、なかったとか。

もちろんここで問題になっているのは、偽装表記の問題であって、「馬を食べる」ことの道義性ではない(はずだ)。だが、馬を食べることを禁忌と思う文化がヨーロッパ圏にはあることも、われわれ日本人は知っておいて損はない。あくまで推測だが、彼らにとって馬肉を食すことはすなわち、ペットの犬や猫を食べることに限りなく近い行為なのではないか。

Le Point.fr のC'est arrivé aujourd'hui がそれに関連してかしないでか、面白い記事を載せている。

1779年の2月14日はイギリスの海洋探検家、James Cook / ジェームズ・クックがハワイ島で命を落とした日だそうだ。そしてその死骸は、原住民たちによって肉が骨から削ぎ落とされ、焼かれた。

最終的に乗組員らの懇願によって、遺体の一部は返還され、海軍による正式な水葬に伏されたようだが、では婉曲に表現された残りの肉は、となるとおそらく、原住民によって食されたのであろうと推測される。

だからといって彼らを野蛮だとか、文明人でないとか非難するのは間違いだろう。それに反論するには、カニバリズムが人類の誕生から地球上のあまねく土地で行われていた(もちろんヨーロッパ大陸も例外ではない)習俗であることを指摘してもいい。

一つの文化で禁忌であるからといって、別の文化でもそうであるとは限らない。当然のことだが、一つの文化圏でしか生活していないと、その当たり前が見えてこない。中国の一部に存在する猫食文化を「野蛮」だと非難するのも的外れだろう。スイスの農村でも普通に食ってるみたいだぜ?アルプスの聖少女ハイジやペーターも食べてたかもしれないな。おじいさん?彼は間違いない、顔を見ればわかる。だからといって、それが「ハイジ」のアニメ化を阻止するものにはならないのだ。

だからといって、馬肉を牛肉と偽ることが許されるかって?それとこれとはまた別の話だろう。

Au revoir et à bientôt !
おし~えて、おじいーさん!――なにをだい、ハイジ?――ネコの食べ方をさ!
日本語のニュースサイトでも「馬肉」「偽装」で検索すればヒットする。適宜参照させていただいた。
 

2013年2月12日火曜日

DEEP BLUE / ディープ・ブルー

――一つ忠告してもいいですか?
――どうぞ。
――チェスで黒が先手を取るのはルール違反ですよ。

『Le Club des Incorrigibles Optimistes』 が面白い。800p近いヴォリュームの、まだプロローグと第一章しか読んでいないが、この雰囲気、会話、文章のリズム。大好きだ。2009年の高校生が選ぶゴンクール賞を受賞したこの作品、あらすじを簡単に紹介すると、

1959年、パリ。 12歳になる Michel は、パリのカフェやビストロで、親友の Nicolas と共に、ベビーフットに熱狂する毎日を送っていた。 学生相手には無敵の強さを誇る Michel-Nicolas のコンビは、気が向くと、Denfer-Rochereau 広場にある、大人達がたむろするBalto という Aubergne 地方の料理を供するビストロに、足を運ぶ。 Balto の常連には、1対2で、相手をしても決して負けたことのない、ベビーフットの名手の Samy がいたからだ。  
Balto の奥には、ビロードのカーテンがかかったドアがあり、時折、中年の男達がドアの向こうへ消えて行ったが、Michel のベビーフット仲間に、その部屋で、何が行われているのかを知る者は、いなかった。

ある日、飲み物を給仕したウェーターの Jacky が、ドアを開け放しにした折に、Michel は、ドアに近づく。 カーテンをめくるとドアに、『Le club des incorrigibles optimistes』と書かれた札が、掛けられていた。 好奇心に駆られ、その部屋に足を踏み入れた Michel は、チェスを挟み向かい合った男達の中に、ジョゼフ=ケッセルとジャン=ポール サルトルの姿を認める。
その部屋は、鉄のカーテンで遮られている東ヨーロッパ共産圏の国から来た、亡命者達が集る、チェスクラブだったのだ…

(『フランス語の本の読書記録』さんから引用させていただきました。URLは一番下にあります)

物語のスイッチは、12歳の早熟な少年 Michel がそのチェスクラブで受け入れられ、亡命者達からチェスを教わりながら東の話を聞くことで入れられる。チェスが物語の様々な場所で重要なファクターとなっているのを見るにつけ、またチェスと深い関わりのあったヴラジーミル・ナボコフのような亡命作家のことを思うにつれ、東ヨーロッパとチェスの深い相関性に思いを馳せずにいれない。

ガルリ・カスパロフ
さて、今日も Le Point.fr の『C'est arrivé aujourd'hui 』から。

1996年2月10日はIBMが開発したチェス専用スーパーコンピュータDeep Blue / ディープ・ブルー が、当時のチェス世界チャンピオンGarry Kimovich Kasparov / ガルリ・カスパロフを破った日である。もっとも、最終戦績はカスパロフの3勝1敗2分。人類の頭脳が1秒間に2億手の先読みを行うスーパーコンピュータに勝利したわけだ(翌年はディープ・ブルーがカスパロフに勝ち越している)。

この記事を読んで、Wikipedia でいろいろと調べていたのだが、これが面白い。カスパロフの経歴もとんでもないし、世界最強のコンピュータチェスプログラムを作ろうという試みは、ヒドラプロジェクトとして続いているらしい。チェスの世界ではプログラムが人間に負けることはほとんどないところまで来ているようだ。

あるいは将棋の世界では、プログラムはまだそこまでで強くない。取った駒を使用できる性質上、打つことのできる手がチェスに較べて圧倒的に多く、その分プログラミングにも複雑性が要求される。だが、そう遠くない未来に、機械が人間を凌駕することだけは間違いないようだ。

Deep Blue
特に面白かったのが、ディープ・ブルーの先駆者 Deep Thought / ディープ・ソートの名前の由来(これについては後日書く機会があるだろう)と、ディープ・ブルーの出現が、Arimaa / アリマアと呼ばれる新しい遊びを人間が創り出す契機となったこと。

アリマアの面白い点は、可能な手を端から検索するなど、いわば「力技」ともいえる従来の方法は通用せず、強いアリマアプログラムを作成するためには違ったアプローチが必要になると考えられる点にある。つまり、これまでのチェスプログラムとはまったく発想の異なるアプローチをしなければ、人間の頭脳を打ち負かすことはできない。

そう、これは新しい思考の発見であり、人間とコンピュータの新しい可能性の発見である。なんともわくわくする素敵な挑戦ではないだろうか。



Au revoir et à bientôt !
 
参照URL:  Wikipedia 各ページに名前から飛ぶことができます。
フランス語の本の読書記録 日本語でのフランス現代文学紹介はここが一番では?というくらい充実しています。オススメ。 

2013年2月10日日曜日

Mariage pour tous

君の家(部屋)の隣に男が一人引っ越してくる。彼は礼儀正しく、快活な青年で、君は一目で彼のことが気にいる。人当たりもいいが、近所付き合いを良くわきまえており、必要以上に干渉してくることはない。君たちの近所関係は極めて良好だ。

ある日、青年の家にもう一人別の男がやってくる。無愛想で挨拶もまともに交わさないこの男は、一日だけの短期滞在者かと思いきや、それからずっと隣の家に住みつく。男が君に危害を与えることはないが、家の前ですれ違っても、挨拶はおろか会釈すら交わさない。どうやら仕事もしていないようだ。ときおり隣からは怒声のような声が聞こえるようになる。君は青年に警告する、「あんな男と付き合うのはやめたほうがいい」。青年は苦笑する。

隣人の居候の存在にも慣れたころに、二人が揃って君のところにやってくる。青年は改めて居候のことを紹介する、「僕の婚約者です」と。


これが Mariage pour tous / すべての人に婚姻を の概要だ。

フランスでは昨日、火曜日から始められた110時間に及ぶ議論の結果、同性同士の結婚を認める法律を採択した。今後様々な困難が予想されるが、一度進めた針が元に戻るようなことはないだろう。

もちろん反対もある。パリでは連日、賛成派、反対派それぞれのデモが何万人の単位で繰り広げられている。デモの行列に子供が混じって、大人たちと同じように旗を振る光景には違和感がある。

だが大事なことは議論することだ。現在、アメリカ、イギリスでも同様の議論は喧しい。多くの国では同性婚を認める方向で議論されているようであるが、ソドムとゴモラを悪徳栄える都市とする宗教が大勢を占める国々のことだ、どうなっていくかはわからない。

かたや日本では、同性愛の存在は無視されている。多くの人にとって同性愛者はテレビで見る「オカマ」に分類され、半ば公然と嘲笑の対象とされているようにみえる。それは決して自分に身近な話題、議論に値することだと考えられていない。もし隣人が同性愛者だったら、という仮定は、荒唐無稽なものとして受け取られる。

そうじゃないだろう。これは消費税が上がる、というのと同じくらい身近な問題だ。政治家が議論しないのなら、市井の人で話し合おう。日本で同性婚が議論されないのは、同性愛者が少ない、いないからではなく、「臭いものに蓋」の国民性で、見ないふりをしているだけだから。

「父親(母親)しかいないのは、子供の成長にとってよくない」なんて、ただのキレイごとだ。――本当は自分が尻の穴を掘られるのを恐れているだけなんだろう?父親しか、母親しかいないながらも立派に育った子供はたくさんおり、それ以上に父母がいながらダメ人間になった子供の数は多い。上手くいっている夫婦もあれば、上手くいかない夫夫もあり、教育熱心な婦婦もあれば、そうでない夫婦もあり。逆もまたしかりだ。


君の家の隣に、男が一人引っ越してくる。彼は好青年で、同性愛者だ。君たちは上手くやっているが、ある日やってきた彼の婚約者はならず者だ。二人が君の家を訪れ、同性愛関係を告げる時、君が浮かべるのは事実を否定する苦笑いだろうか?あるいはすべてを受け入れたうえで、あえてこう忠告するだろうか、「もっといい男を探しなさい」と。

Au revoir et à bientôt !
Deux femmes s'embrassent lors d'une manifestation en faveur du mariage pour tous, à Paris le 27 janvier 2013 Kenzo Tribouillard afp.com
 
参照サイト:「Mariage pour tous」で検索すればフランスの様々なサイトがヒットする。今回はいつものように 20minutes.fr の記事 を主に参照させていただいた。

2013年2月6日水曜日

決闘の様式美――プルーストの場合

先日AKB48の峯岸みなみ丸刈り騒動に対するフランスでの反応を紹介した。そのうちの何人かが、彼女の行動を「名誉(あるいは面目)」の観念と結び付けており、中にはそれがフランスでは失われた観念だ、と皮肉たっぷりに述べているのもあった。

それじゃあ君たちは名誉をどんなふうに考えているのか。一つ見てみようじゃないか。

Le Point.fr に"C'est arrivé aujourd'hui" という記事がある。毎日歴史上で起きた同日の出来事を振り返るもので、要はフランス版「今日はなんの日?」だ。

それによると1896年のこの日、若きプルーストがMoudon の森で決闘をした。

相手のJean Lorrain は当時42歳の批評家兼劇作家で、19世紀末フランスデカダンスの代表的人物であったようだ。その筆先は鋭く残酷で、それが因果でこれまでにも何度か決闘沙汰を起こしたことがある。うん、うぬぼれ屋の完璧なステレオタイプだな。

事の発端はこの批評家がプルーストの同性愛について記事の中で言及したことにある。

ジャン・ロランはLe Journal 誌上で、プルーストの最初の小説、『Les plaisirs et les jours / 喜びと日々』をこきおろしている。

その中で彼はプルーストのことを「弱虫」だとか、「希少種」などと揶揄しているわけだが、それが決闘の理由ではない。彼はプルーストの次作にアルフォンス・ドーデーが序文を書いたことに対して、「(ドーデーの)息子のリュシアンのために断れなかったのだろう」と書いている。これは読む人が読めば、プルーストとリュシアン・ドーデーとの同性愛関係の仄めかし、と了解される。

これにプルーストが激怒した。決闘は規定通り二人の介添え人とともに夜明け前に行われた。

ところでなぜ、ロランはそうまでプルーストに突っかかったのか?――最も可能性の高い仮説は、プルーストに対する嫉妬だ。

プルーストは Robert de Montesquiou という紳士から庇護されており、対してロランはといえば、相手にされず、あろうことか軽蔑されていたのだ。そのことに彼は嫉妬していたのだという。

…くだらないぜ。実にしょうもない、どうでもいい話だ。ニュースのタネとしては、先日の丸刈り騒動と同等、あるいはそれ以下の価値しかない。

さて、決闘はおよそ文学的な結末に終わった。二人はお互いにピストルを地面に向けて打ち合うことで同意(!)し、その後プルーストに至っては、仲直りの握手さえしようとしたのだ!

プルーストの傷つけられた名誉とは一体、どこに行ってしまったのだろう?なるほど、確かに誰をも傷つけない解決法だ。だがそれならば、そんなあらかじめ了承された決闘の真似事などして、何の意味があるのだろう?そんなものははた迷惑でしかないだろう。

答えは前回の丸刈り動画と同じことだ。二つの出来事の根底には、「命を懸ける」ふりをすること、パフォーマンスとしての丸刈り(切腹の代替行為?)、決闘がある。はたから見れば愚かしいとしか思えないその行為が、意味記号(=Signe)を共有する社会の中では、立派に命がけの行為として通用する。する側と見る側の共犯関係。

プルーストはこの記号論的行為を生涯誇りにしていた。これが彼の「最も男らしかった」記憶であり、彼の名誉は、この行為によって回復されたのである…。Ha ha ha, なんて素晴らしい名誉観!

Au revoir et à bientôt !
Marcel Proust (à gauche), a provoqué en duel Jean Lorrain.© DR

参照URL:Le Point.fr C'est arrivé aujourd'hui 6 février 1897


2013年1月21日月曜日

砂漠と隣り合わせの雪景色

先日から日本のメディアが、アルジェリアの武装勢力による人質拘束事件を、執拗に報道しているのに較べると、フランスのメディアは冷静だ。

もちろんフランスのメディアも連日事件について報道している。そもそも事の発端は、フランス軍によるマリへの軍事介入によるものだといわれている。フランス軍には作戦の開始から死者が出ている。今回の人質拘束事件においても、フランス人の死者も、そこから逃げ出した人も出てきている。

にもかかわらず彼らが日本人と較べて冷静に対処しているのには、彼らにとって、これはテロリズムとの「戦争」だ、という意識を明確化しているからだろう。9・11は言わずもがな、2005年に起こったロンドンの地下鉄同時爆破事件など、彼らにはテロとの戦いが、自分の肌に迫る感覚として体験されている。また、自らの国の内に、テロ萌芽となる存在を抱え込んでいることへの自覚でもあるだろう。

対して自国が戦場となる経験が、現代の日本には欠けている。これは素晴らしいことであるが、同時に他国の対処法に対する無理解にも繋がっている。

それら戦争のニュースと並列して配信された、思わずにやりとしてしまった気候の話を。

先週末、パリでは大雪が降り、街はスキー場へと変貌を遂げた。パリジャンたちはみなスキーや橇、スノーボードなど、思い思いの道具を持って街に繰り出す。そう、パリの至るところに存在する坂という坂を滑走するために。

もちろん規則では禁止されているのだけれど、そんなことお構いなしだ。なにしろ、人一倍厳格な規則を作るくせに、

Toute règle comporte des exceptions. / 例外のない規則はない

そういって憚らない国民性だから…。

Au revoir et à bientôt !
サクレ・クール寺院前、モンマルトルの丘からジャンプ
 
参照記事: Snowboard et luge à Paris sous la neige / 20 minutes.fr ここで紹介されている動画が格好良すぎ。一見の価値あり。 http://www.20minutes.fr/societe/1084127-video-snowboard-luge-a-paris-sous-neige

2013年1月7日月曜日

映画『最強のふたり』

そこにあるのは「最強の」エンターテイメントと、「最強の」予定調和。『最強のふたり(原題:
Intouchables )』はまさしくそんな映画だ。

全身不随の白人大富豪と、パリ郊外のスラムに住む貧しい黒人。クラシックとソウル、文学とBD。ありとあらゆる定型句的な対立を持ち込んで、これまたありきたりな融合へと昇華させる。この様式美。なるほど、フランス映画なのに全世界で見られる理由がよくわかる。

かといって、それを否定するつもりはない。反対に映画館では大いに楽しんだ。いいね、予定調和、いいじゃんベタな人物像。

ただ惜しむらくは毒が足りない。それは実話をもとにしたこの映画の、実話の側には欠けることのなかった要素だ。

映画終了後のクレジットロールに少しだけ登場する実話の二人は、ヨーロッパ系とアラブ系に見えたのだが、どうだろうか?(実際に確認したところ、それぞれ、Philippe Pozzo di Borgo は父がコルシカ島出身のイタリア系フランス人、Abdel Yasmin Sellou はアラブ系だ)。

つまりこれは、本来ならキリスト教とイスラム教の対比であり、その結果としての融和の物語であり得たのである。それが黒人と白人、貧者と富者のありふれた対比に変えられてしまった(もちろんだからといって、この二つが重要でない、というわけではない)。実にもったいない話ではないか(※)。

確かにこれはデリケートで、現在進行形の問題である。一応は過去のものとなった、帝国主義時代の宗主国と植民地の関係でさえ、フランスにおいて今なお解決されているとは言い難い(日本が同様にそうであるように)。

だからこそ、そうした問題を正面から取り上げることは非常に価値のある事だったろう。

今の時代、「白黒はっきりした」わかりやすい作品しか大衆受けしないのだろうか。そんなことはないだろう。グレーな、もっといえば黄色がかったゾーンを悠然と闊歩し、なおかつ有意義な結論に達する作品が見たい、そう思う人も決して少なくはないだろう。

あるいはそんな要求をすること自体、「アンタッチャブル」な領域なのだろうか?

Au revoir et à bientôt !
『最強のふたり』のトレーラー。うーん、ベタやなぁ。
 
※後に確認したところ、ドリスの本名イドリース自体、アラブ系のよう。つまり、イスラム的要素は決してなくなっているわけではない。


2012年12月8日土曜日

愛は地球を救う、なんて嘘よりも

煙草を吸うのはカッコいい。そんな時代は終わった。

煙草を取り巻く状況は年々厳しくなっており、喫煙者たちは日々世界の片隅へ追いやられている。この傾向は他の国(特に先進国)でも変わらない。フランスでは今年10月、煙草の値段が7.6%引き上げられたばかりだ。
(フランスにおける煙草1箱の値段の変遷についてはこのサイトを参照。約20年で煙草の値段は4倍以上に引き上げられている。URL: http://www.tarif-tabac.com/statistiques_tabac

私は煙草を吸わないが、現代の嫌煙ブーム、ひいては健康志向は少し行き過ぎている、と思わないでもない。煙草を吸う人、吸わない人それぞれがお互いに配慮し、快適に過ごすことができれば、これ以上公共の場から喫煙スペースを減らし、愛煙家に肩身の狭い思いをさせる必要もないだろう。

身体に悪い?そんな考えはドブに捨ててしまおう。毎年煙草の害で亡くなる以上に多くの人が、自ら命を断っている。もし自殺を決意した一人の男が、最後に吸った一本の煙草でその決断を翻すのなら、それはどんな薬よりも有用ではないか?

こんな意見をオーストラリアで表明しようものなら、異端尋問にかけられるかもしれない。同国では先日、「すべての煙草のパッケージを同一のものとする」法律が施行された。

フランスのニュースサイトRFIによると、
une loi qui oblige dorénavant tous les paquets de cigarettes vendus en Australie à être identiques : c'est-à-dire dans un emballage d'une couleur vert olive sombre, recouvert d'avertissements sur les dangers du tabac, avec des photos chocs de malades. Et ce, quelle que soit la marque, car seul le nom des cigarettes pourra changer.
オーストラリアで販売されるすべての煙草は同一のパッケージでなければならない。暗いオリーブグリーンをベースに、喫煙の危険性を警告した文章、肺がん患者のショッキングな写真つき。唯一ブランド名だけが変更可能…というもの。

まったく、喫煙者でなくとも「どうかしてるぜ!」と言いたくなるだろう。君が昨日買った豚肉に、その豚の成長過程の写真や趣味・特技が書かれていたら、あまりいい気はしないだろう。誰だってそうだ。私だってそうだ。

巷では喫煙者にとって嫌なニュースばかりが流れ、白眼視され、精神的に追い詰められ、ひいては死に至る、なんてことのないように、私が処方箋を用意しよう。

メキシコの研究者が発表したところによると、鳥たちは煙草の吸殻を巣作りの材料にしているらしい。吸い殻が鳥のヒナたちを害虫から守るからだという。これは煙草に含まれるニコチンが蚤や虱に対し効果があるからで、スズメのように市街地に住む鳥がよく使用している。もとよりある種の鳥たちは芳香性のある素材を好んでいたようで、吸い殻は殺虫剤の一種として鳥たちの間で知られていた。

これを読んでよし、"Fumer sauve les oiseaux / 喫煙は鳥たちを救う" を煙草のパッケージにしよう、と考えたのはどうやら私だけではないらしく、すぐ後に研究者自身、「スズメを救うために肺をダメにするには及ばない」と断言している。

しかしながらこの研究報告による限り、愛よりも吸い殻のほうが間違いなく鳥たちを救っているわけで、このニュースを喫煙者が読めば、多少は心安らかに煙草を吸うことができるのではないだろうか。調子に乗って、オーストラリアの法律に対抗して、上記のスローガンと一緒にスズメの写真を配した煙草ケースを販売してはどうだろう?あるいは喫煙所の目印として、鳥の巣を模したものを採用するのはどうだ?――どうも今の日本では顰蹙をかうだけで終わりそうだ。

喫煙を擁護することはもはやタブーのようになっているが、それでもこういったユーモア、寛大さこそが、喫煙者と被喫煙者がお互い気持良く生きていくための、最上の解決策だと思うのですが、どうでしょうかね?

Au revoir et à bientôt !
最近スズメってあまり見なくなりましたよね?これも禁煙の影響?――それは、言い過ぎ。
 


2012年12月2日日曜日

Louvre 別館号 金沢 - SANAA - ランス

もう少しだけ、ルーヴル美術館の話をしよう。

12月4日、ルーヴル美術館の別館がフランス北部の炭鉱都市、 Lens / ランスの街に誕生する(一般開放は12日から)。

この分館にいわゆる常設作品はなく、パリの本館から借りだす形をとるようだ。ジョルジュ・ドゥ・ラトゥールやフラゴナールといった面々の他にもなんと、フランス革命の精神をそのまま描き出したといえる、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』までもが貸与されるという。これは、事件だ。

最初の構想が練られたのは今から約10年前の2003年。当時の文化相 Jean-Jacques Aillagon が首都パリに一極集中した諸機能を地方に移譲する政策の一環として発表。当時は7つ(後に6つ)あった候補地の中から最終的にランスが選ばれたのが2004年。

2005年にはコンペティションが実施される。このコンペで見事優勝したのが日本の建築家ユニット、SANAA。Sejima and Nishizawa and Associates の略であり、妹島和世西沢立衛の二人からなる彼らは、金沢21世紀美術館の設計でも知られる。

21世紀美術館ができた当時、私は金沢に住んでいて、街のど真ん中にできた円形の美術館と、その集客力に大いに魅了されたものだ。

それから10年近く。その間に日本ではより東京一極化が進んだように思われる。毎年金沢には友人を訪ねているが、そのたびに閉店したまま埋まらない空き店舗が目についていた。

しばらく前から政治の上で「地方分権」は叫ばれているが、どうも当面実現しそうにない。今回の衆議院選でも、主要な議題でないのは明らかだ。

フランスもまた、ヨーロッパでは特に中央集権が顕著な国として知られている。それでも、ここ4年のあいだに3度フランスを訪れ、その都度地方都市の活気を肌で感じてきた。それには、中央に集められた権力の側が、たとえ上からにせよ、その権力を委譲しようと積極的な働きかけを行ったからに他ならないだろう。Louvres-Lens はその最たる例といえる。

政治家はよく、「日本再生」などと声高に唱えるが、それには東京だけが繁栄し、地方は衰退する一方の今の形が好ましくないのは自明だろう。今回のルーヴルの取り組みも、政府主導で行って、実現までに10年を費やしている。日本で似たようなニュースが紙面を賑わすことになるのは、果たして何年後の話だろう?

Au revoir et à bientôt !

Le public défile devant "La République guidant le peuple" de Delacoix au Louvre Lens
© PHILIPPE HUGUEN / AFP
 
 

2012年11月26日月曜日

サンディ島の謎を追え!

どうやってその集落は浮かんでいるんだろう?どこの船乗りが、どんな建築家の助けをかりて、大西洋のど真ん中、水深六千メートルの海上に、このようなものを建てたのか?

Jules Supervielle / ジュール・シュペルヴィエルの短編小説、"L'enfant de la haute mer / 沖合の少女" は、大西洋の孤島に一人住む、12歳の少女の物語だ。

これまで他の人間を見たことがない少女は、水平線上に船が現れると、猛烈な睡魔に襲われて寝入ってしまい、それとともに集落はその姿を波間に隠す。それゆえ船乗りは誰もその姿を見たことがない。だがある日、少女は船を見つけて…。というお話。

こんな風にあらかじめ、幻想小説の体をとっていれば、我々もすんなりと受け入れられるのだが、現実はそう、甘くない。

オーストラリアとフランス領ニューカレドニアとのほぼ中間、南太平洋上にあるとされているサンディ島(英:Sandy Island 仏:L'ile de Sable )Google Earth にもその存在が記載されているが、今月22日、オーストラリア地質学チーム「サザン・サーヴェイヤー(Southern Surveyor)」の調査過程で、実在しないことが明らかになった。

なんでもこの島、古くは1792年にはすでに文献に記載されていた、というから、この幻の島は200年以上も地図上に存在し続けたことになる。

もはや完全にシュペルヴィエルの世界だ。

島が作られたそもそもの理由が過失によるものなのか、あるいは意図的なものなのか、今となっては知る由がない。「あると信じられていたものが実は存在しない」という考えは、人間にとって実に馴染み深く、同時に畏怖の対象である。サルトルならそれを、「実存の孤独」と呼ぶだろう。シュペルヴィエルはそこに、他者との繋がりを見出す。

沖合の少女はどのように生まれたのか?

物語の最後に示される説明ではこうだ。少女は、四本マストの帆船アルディ号に乗っていた Charles Liévens というステーンヴォルド出身の水夫によって生み出された。彼は12歳の娘を亡くしており、航海中もたびたび彼女のことを思っていた。ある夜、ある場所で(ご丁寧にもシュペルヴィエルはそれが北緯55度、西経35度の位置だと指定する)、彼が亡くした娘をあまりにも強く、長く思い続けた結果、沖合の少女は生まれたのだ、と。少女はある人物の想像の産物なのだ。

さて、それではサンディ島はいったい、誰の想像の産物なのだろう?そして我々は?

Au revoir et à bientôt !
Google Map 上のサンディ島
 
*日本のニュースではあまり紹介されていない様子だが、Wikipedia 上に記事が存在する。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E5%B3%B6_(%E5%B9%BB%E5%B3%B6)