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2014年4月25日金曜日

バリアフリー 2014

ガルシア=マルケス死去のニュースを聞いてから、追悼文を書こうと思いつつ、早一週間。もうちょいしたら書く予定なんで、もうしばらくのお待ちを。

久しぶりに福祉の話題を。

4月の17、18、19と大阪のインテックス大阪ってところで、「バリアフリー 2014」なる展覧会が開催された。職場の同僚に勧められて(ごり押しされて?)、片道1時間半かけて行ってきたのであります。

このいかにも福祉してる名前の通り、様々な福祉用具が展示されていたのだけれど、そんなん関係なしに面白い。展覧会ってやつのお祭りの雰囲気ムンムンで、出店がたくさんあって、出展者は売る気満々で、「福祉」よりも「資本主義」を強く感じる現場。これまでの福祉にはない、「金を稼ぐ」ことを前面に出したこの空間に、好感を持った。

個人的に一番印象的だったのは、ベッドや車椅子の進歩よりも、そうした企業の本気度具合だった。いやー、トヨタやホンダが本気できとるやん。食品業界でもキューピーなんかが参入してきていて、これからの福祉業界にどれくらい金が入ってくるか、まざまざと見せられることとなった。

こんな風に競争が激化すれば、これまで法外な値段設定をして安穏としてきた、福祉用具業界の尻に火がつくだろう。消費者としては、ありがたい限りだ。その一方で、これだけ大企業が進出してくると、中小の企業にはかなり厳しいだろう、と推測も立つ。まぁ、多少事情が異なるとはいえ、介護の現場も他人事ではないだろうが。

団塊の世代が高齢者になって、福祉も新しいフェイズに移行したなと感じる。これまで社会の一隅に押し込められてきたものが、社会の中心に位置する。人口における高齢者の割合を考えたとき、これは当然の動きだろう。この動きがどこまで加速していくか、注目したい。

その一方で懸念もある。同じ福祉に属していても、身体障害者や精神障害者はこの流れの恩恵を受けられるだろうか?これまで以上に社会から置き去りにされないだろうか。高齢者福祉に携わる身でありながら、そんな危機感と不安がぬぐえない。

それにしても…どんだけ「福祉」言うねん!

Au revoir et a bientot !


2014年4月24日木曜日

スペインと昭和の貧しさ

今って平成何年だっけ?24年、それとも25年?え、26年?ha ha ha 、面白い冗談だ。

なんにしろ、これは確かだ。もうしばらく前から新入社員は平成生まれが当たり前で、昭和生まれの新卒なんて、ほとんどいない。そして、これからこれからもそうだ。時間の逆行はありえない。昭和を経験したものはみな、若者でなくなってしまった。昭和生まれの若者なんて、もういない。

昭和が街から消えてどれくらい経つのだろう?昭和50年代後半に生まれた私が、正確に測ることはできない。私の中に残っているのは、昭和の汚さだ。平成はキレイだ。潔癖に近い清潔さに私はしかし、少し居心地悪く感じてしまう。

時代の大きな転換点、というものは実際にあって、日本ではそれが1950年代後半(昭和30年代)に訪れた。家電の三種の神器と呼ばれたテレビ、冷蔵庫、洗濯機の登場は、人々の暮らしを根底から変えた。

どれぐらい変わったかって?応仁の乱(1467-1477)以来、大きく変更されなかった生活様式が変わったのだ、といえばその激変ぶりが理解できるだろう。人々が使用する道具は、幾度も改良が成されたとはいえ、基本的に同じものだった。これはつまり、1950年代の主婦が1500年ごろにタイムスリップしたとして、多少の戸惑いはあるにしても、普通に生活できるということだ。これってすごくね?

平成と昭和の境目が、これほどの大変動であるかは、後世の検証を待つ必要があるが、小変動であったのは確かだ。平成生まれが昭和に戻って生活できるか?平成生まれを貶すのでなく、それだけの変化があった、ということだ。

ミゲル・デリーベスの『ネズミ』を読んだとき、同じような時の断絶を感じた。

舞台は1955-56年のスペイン。カスティーリャ地方の一寒村。石ころだらけで作物もまともに育たないこの土地で、主人公のニーニ少年は、おじさんの「ネズミ捕り」と一緒に洞窟で暮らしている。川のネズミを捕って生計を立てている彼らの生活のみならず、他の村人たちの暮らしもおしなべて貧しい。村には電気もガスもなく、あぜ道を未だロバが闊歩している。そのロバでさえ、特権者の証だ。

死が暮らしのすぐそばにあって、その暗い深淵を覗かせている。人々はそこを覗き込み、自分のほうを見つめ返す深みからの眼を感じながら暮らしている。現実からは目を背ける。他に方法がないからだ。その局面を打開するための、財も、策も、才覚も、なにもない。貧に縛られ、人々はただ、死に頭を食いちぎられるのを待つ。それすらも救いの一種だと捉えかねない諦念とともに。

このような貧しさは、現在の日本では見られない(おそらくはスペインでも)。先進国では貧しさは、別の次元に移行した。全員が平等に叩き落され、よじ登る見込みのない底なし沼のような貧困から、やっかみと嫉妬の渦巻く、ところどころに開いた落とし穴に。落とし穴に巻き込まれる途中幾度も、普通の暮らしをおくる人々の姿が見えて、それがいっそう自分の陥った悲惨に自覚的にさせられる。人は他人をひがみ、自らを卑下する。現代の貧しさは心を蝕む。『ネズミ』はそれ以前の、貧しさの中にも高貴さを保った人が(も)いた、そんな時代の物語だ。

Au revoir et a bientot !

2014年4月12日土曜日

ヴァンセンヌの新しい動物園

もっと野生的に、もっとディズニーランドから遠く離れて。

4月12日、5年間の改修工事を経て、パリ近郊の都市、ヴァンセンヌの動物園が再開する。

約15ヘクタールの土地は大きく5つのゾーンに区分けされている。パタゴニア、スーダン、ヨーロッパ、ギアナ、マダガスカルの5つだ。それがさらに細かく180に分類される。

注目すべきは、その「展示」方法だ。

20世紀の動物園の目的は「コレクション」だった。博物館や美術館と同様に、動物園もまた珍奇なもののコレクションとして、より多くの動物を見る=鑑賞することが優先された。

21世紀の動物園が目指すところはなんだろう?日本では北海道旭川市の旭山動物園が有名だ。行ったことがないので、具体的に語ることはできないが、ニュースなどで見た限りでは、いかに「見せる=魅せる」かに重点を置いているように思える。動物園もエンターテイメントのひとつとして位置付けようという試みだ。

一方、ヴァンセンヌの動物園において、動物たちはより自然な環境に身をおく。そこでは動物が本来生活している環境をできる限り再現している。ゆえに欠点もある。入園者たちは動物を探さなければならず、もしかすると見えないこともあるかもしれない。それでいいのだ、というのがヴァンセンヌ動物園の考え方だ。

園長のThomas Grenon 氏の目的は、動物園をただの娯楽施設でなく、教育の道具とすることにある。来園し、限りなく自然に近い環境で暮らす動物たちを見て、自然保護の必要性を自覚する。そうなれば素晴らしい、と彼は言う。

どちらがいい、悪いの話ではない。ただ、これからの動物園はより差別化されたものが必要だ、ということだ。もちろんそれは、動物園に限ったことではない。植物園や水族館などの公共施設しかり、遊園地やデパートなどの民間施設しかり。そして、ブログのような個人的情報発信サイトも、また。

Au revoir et a bientot !

2014年2月17日月曜日

アニメの台頭とテレビの復権

やべぇ、時代に乗り遅れてるわ。

先日、職場の後輩たち(20代前半~後半)と話をしていて、彼らにとってアニメを見ることが、ごく当たり前の娯楽になっているのを知り、衝撃を受けた。

いや、もちろん私の世代(30代前半)でもアニメを見ている層は一定数いた。だがそれは、あくまで「オタクな」趣味に位置づけられていて、あまり公然と口に出して言えるようなものではなかったように思う。

それが今やどうだ。私が「アニメは見ない」と言っただけで、アンチ・アニメと認定され、宗教裁判にかけられて、現代日本の異端思想家と位置づけられる有様だ。アニメはもはや日本のメインカルチャーとなりつつある。

とはいえその非難の仕方には、これまで日陰者扱いされていたもの特有の、歪んだ感情も表れている。曰く、アニメは「不当に過小評価されている」という思い込み。私はアニメを見ないという選択をしたのではなく、ただ軽蔑しているのだというパラノイア的妄執はどこからくるのか?

現在の状況を概括してみよう。めんどくさいから平成生まれとそれ以前でわけて考えると、平成生まれの世代はそれ以前の世代(といってもここでは私と同世代=30代前半に限っている)と比べ、TVを見ている人が多いようだ。一方で現在の30代の関心は未だ、テレビではなくネットに向けられているように思う。

ごめん、ここまで書いてきたけど正直弱いな。ネット論や若者論などは、およそ自分に似つかわしくない。つーか、そんなもんが書けるほどこのことについて考えたことがないんだから、当たり前だよね。

つーわけで、途中を省いて結論にいっちゃうと、問題はメインカルチャーが他の分野に向ける視線はいつも、冷ややかで、軽蔑的で、排他的だ。アニメもまた、メインカルチャーに躍り出たことで、これまで自分たちに向けられていた眼差しを送り返すことになった。これほど意地の悪い喜びを味わうことは、そうそうできないだろう。

ぐだぐだになってしまったがこれだけは確信を持って言える。海外文学に情熱を向ける私のような人間はいつの時代もはみ出し者として生きざるを得ない。殊にフランス語でイスラエル文学を読もうとするような人間は。だからお願いだから、私をそっとしておいてくれ。

Au revoirt et a bientot !
バルセロナ、もしくはマドリードの地下鉄

2014年2月15日土曜日

言葉を越える――『延安』

「越境文学」なるジャンルが好きだ。

この語の定義を明確にしようとするとじゃあそもそも日本文学ってなによ、って話になってしまうので今は便宜上「自分の母語以外の言葉で語りながらも、母語を忘れないこと」を条件としておこう。

リービ英雄はその代表的な存在だ(もちろん日本国内外に他にもたくさん越境文学者は存在するが、今回は触れない)。アメリカで生まれ、多感な青年期に大江健三郎や安部公房を読んで過ごし、『星条旗の聞こえない部屋』で日本の文壇(古い!)にデビューし、現在も主に日本語で作品を発表し続けている作家だ。

『延安』は彼が北京オリンピックの少し前に現代中国を訪れた話だ。英語を母語とし、日本語で書く作家が、中国語主に話される大陸を旅する。彼は北京語はある程度マスターしているが、それでも延安で聞く言葉はまた別の方言だ。彼は通訳を連れ旅をするが、時に言葉は彼のなかで本来の意味を成さぬままに変容し、あるときはとどまり、またあるときは通り過ぎていく。

彼の本を読むたびに感じるのは、言葉への(無意識の)信頼と、その脆さだ。言葉を使うこと、聞くことにひどく意識的にならざるを得ないのだ。英語、日本語、北京語、延安地方方言とのあいだにそれぞれ存在するズレが、われわれが普段使っている言葉と事物のあいだにあるズレを露わにする。

たとえば「イヌ」と聞いた場合に、様々な処理が脳内で行われているのがわかる。イヌ→居ぬ?、イヌ→犬→イメージ化…。そこに母語への翻訳作業が加わる(→dog)が加わると更に困難となる。そしてもし、翻訳先が見つからなかったら?あるいはそもそも音が意味を形成しないとしたら?

普段なにげなく跳び越えている溝を、リービ英雄は日の光の下に曝け出し、見せつける。ときに人はそこに嵌まり、迷い、困惑する。そのときに気づくのだ、これまで言葉に寄せていた信頼はひどく根拠のないものではなかったか?と。

かくて人は言葉への信頼を失い、あげくは物それ自体への認識をも疑うことになる。世界は千々にくだけて、名付けようもないものに変わってしまう。

実際そうならずに済んでいるのは、ひとつに常識の鈍さがある。それが、ときに揺り動く言葉の大地を事物に繋ぎ止める錨の役目を果たしているのだ。

揺らぐ言葉の大地の上で、今日もぼくらは安穏と過ごす。越境文学者は大地の裂け目から深く海中に潜り、水底に沈んだ錨を揺さぶる。一見無謀で無益な試みにどう応えるか、それはいつもぼくら次第だ。

Au revoir et a bientot !
フランスとスペイン国境の町。名前は知らない

2014年2月10日月曜日

パンデミック!! ――狂気の笑い

笑いはいいものだ。それは日々のストレスを忘れさせ、心を軽くする。だがもし笑いが――それもいわゆる馬鹿笑いが、数週間、数ヶ月と続くとしたら?もはや笑いごとでは済まされないだろう。

1962年1月30日、はじまりはアフリカの小さな村だった。タンザニカ(タンザニアの一地方)のKashasha 村で、3人の少女が笑いの発作に襲われた。少女らは身をよじって笑い、地面を転げ回った。ついには痙攣を起こし、涙を流したが、それでも止まらなかった。

やがてそれは他の子どもたちにも感染した。はじめはまじめに取らなかった教師たちは叱りつけ、止めさせようとしたが無駄だった。6週間後の3月18日、学校の159人の生徒のうち、95人までが発作に取り付かれていた。

不思議なことに、大人たちにその症状は現れなかった。ただし、一部のまったく教育を受けていない者を除いて。ずいぶん示唆的な話ではないか!

地域いったいが大混乱に陥った。政府はパラノイアになって、「ジハード主義者の細菌兵器による攻撃だ」とまで宣言した。感染者の血液が採取され、ヨーロッパまで送られた。

鑑定の結果は――もちろんシロだった。いかなる毒性物質も、いかなるウィルスも、そこからは検出されなかった。

発生から6ヶ月後、事件は思わぬ形で終息した。始まりと同じように、終わりにもまた、いかなる前触れもなかった。昨日まで馬鹿笑いに取り付かれていた子どもたちが、まるで何事もなかったかのように、ぴたりと笑うことを止めたのである。14の学校を閉鎖に追い込んだこの「感染症」はこうして収まった。

この話を読んで私が最初に思い出したのは、高校の頃のエピソードだ。
国語の授業で、生徒が順番に音読をすることになっていた。先生は教育実習で来ていた新米の男性(自分がその当時の彼の年齢をはるかに過ぎているのを思うと愕然とする)で、ただの音読にゲーム性を持たせようと次のような制約を課した。「噛んだり、詰まったりしたら次の人に交代」

結果は想像の通りだ。最初の一人が一行目で詰まって交代すると、その後何人も同じく一行目で詰まってしまい、先に進まなかった。それは一人の生徒が流れを無視して淡々と読み進めるまで続いた。

アフリカの世紀の只中にあったタンザニアと20世紀末の日本で同じ現象が起こる。明日、同じことが起きないと断言できるだろうか。そのとき頼りになるのは、周りに流されない空気の読めない大人だ。

Au revoir et a bientot !

2013年7月23日火曜日

お前らはエコロジストを名乗ればいい

インターネットには様々な側面がある。世界中の情報をリアルタイムで知ることができるのもひとつ。2013年ツール・ド・フランスでなんの波乱もなく、クリス・フルームが優勝なんてつまらない記事も、レース終了直後に手に入る。いろんな人の意見を読むことができるのもひとつ。たとえ匿名の仮面をかぶっているとしても、ほとんどの意見が感情まかせに吐き出されたクソみたいなものだとしても。それでもきちんと時間をかけさえすれば良い意見も見つかるし、自分では思いもよらなかった新たな側面から、物事に光を当ててくれることさえある。声の大きさは大小あれど、画一性からはまだ逃れている。

で、気づくんだ。「マスコミってのも案外大したことないな」って。

ニュースを提供する媒体としての存在価値は未だ持ち続けているにせよ、オピニオンを発信する存在としては、もはや死に体だ。新聞やテレビで彼らの呟く言葉を聞くたび、むしろ発せられなかった言葉の大きさにたじろいでしまう。誰もがわかりきっている意見をしたり顔で語る表情の裏側に隠された、数々のタブー。もうタブーしかないじゃん、ってみんなが好き勝手言ってるネット上からふと戻って見るとそう思う。

で、なんの話がしたいかって?そら、自転車よ。

ここ1,2年の自転車をめぐるマスコミの言説は凄まじい。そのほとんどが自転車を批判する体のものである。いわく、自転車事故が急増している、マナーが悪い、放置自転車が多い、あげく景観を損なっている、歩行者にとっても車の側からしてもあぶない…などなど。

正直、マナーの悪い自転車が多いのは事実だ。私だって何度か無灯火で逆走してくるチャリンコに命を奪われそうになったし、歩道を我が物顔で走ってきてはベルを鳴らされたこともある。

でも考えてみてほしい。そんな状況を作ったのはどこのどいつだ?交通ルールを子供のころから叩きこまなかったのは?自転車の走る道がどこにもないのは?自転車道があってもその上に車が駐車してるのは?駐輪しようにも駐輪場がないのは?全部自転車乗りが悪いのか?なんでその事実を報道しないのか?頭悪いのか?バカなのか?権力の犬なのか?

結局その全部なんだろう。自転車よりも明らかに死亡事故の多く、車線をひとつ潰して停車して、景観をはるかに損なっている車について、なんにも言わないのは。

自動車産業の声は大きく、自転車のそれは小さい。世界中でシマノのコンポーネントが使われていようと、この事実は変わらない。これからも当分、自動車は日本の主要な輸出製品であり続け、ガソリン、もしくは電気を使うのにエコだと言い続け、定期的な買い替えを迫るだろう。その一方で自転車は、乗る人の汗と筋力だけで動く魔法の乗り物、否ケンタウロスの下半身は、地球環境にも人間の文明にも優しくない、野蛮な乗り物として、反社会性の権化として白眼視され続けるのだろう。

この状況がすぐに変わることはないだろう。なら草の根で活動してやろう。生育してアスファルトをも突き破る雑草を見習って、チャリンコ乗りがペダルを踏んで地球を回そう。

それに、彼らの言うことにも一理ある。マナーは各々で意識して改善すべきことだし、ママチャリは確かにダサい。街中で一台一万円もしない中国製のママチャリがずらっと並んだ様は確かに醜悪だ。まずはここからだ。

さあみんな、GIOS に乗ろうぜ。

Au revoir et à bientôt !
My GIOS 今年で6年目。総走行距離約20,000km
 

2013年7月12日金曜日

les Blues 15年前を懐かしむ

あれからもう15年が経つのか。

1998年7月12日、サッカーフランス代表(愛称 les Blues )は世界の頂点に立った。
スタッド・ド・フランスで前回大会優勝のブラジルと対戦したレ・ブルーは、この大会で英雄になったジネディーヌ・ジダンの前半2ゴールもあって、3-0 で勝利。自国開催のワールドカップで、見事初優勝を飾った。

日本代表はこれがはじめてのワールドカップ出場。アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカとのグループリーグで一勝もできずに敗退。それでも決して悲観的にならなかったのは、当時はワールドカップで勝つ以前に、出場権の獲得そのものが快挙だったからに他ならない。

ちなみに、当時の日本代表のFIFAランキングは22位。同年2月には歴代最高の9位を記録している。最新のランキングで37位であることを考えれば、異例の高さだ。もちろんこれには理由があって、当時のFIFAランキングは、対戦相手に関係なく勝てば3点、引き分け1点だった。要はとにかく試合数をこなせば(とりわけ弱小国と対戦して勝利し続ければ)順位が上がる、実際の実力を反映したとは到底言い難いものだった(それでも、当時一位はブラジルだったのだけれど)。

正直、当時はまったくサッカーに興味がなかった。

高校生だった私を熱狂させていたのは、38年ぶりの優勝に向けて驀進している横浜ベイスターズであり、マシンガン打線であり、その中核を担った鈴木 尚典とロバート・ローズの3,4番コンビだった。世界はまだ狭く、未踏の地に溢れており、フランスは名前しか知らない異国で、金星と同じような位置づけだった。私の世界文学彷徨はまだはじまったばかりで、カフカの『変身』に端を発した読書熱は、ドストエフスキーやトルストイによって何度もかき消されそうになりながらも、惰性のごとく続いていた。

サッカーフランス代表に話を戻そう。
自国開催のワールドカップで優勝した後、les Blues は黄金期を迎える。2000年のユーロでも勢いそのままに優勝すると、好調を維持し2002年の日韓合同ワールドカップでは、ブラジルを押しのけ、優勝の大本命に挙げられた。

しかし、その大会で一勝もできないどころか一点もとれないままにグループリーグ敗退を喫すると、歯車が狂いだす。緩やかな、しかし確実な衰退がはじまろうとしていた。2004年のユーロでは、準々決勝でギリシャの前に敗退。2006年W杯では、一度引退表明をしたジダンを呼び戻すなどして、準優勝の好成績を収めるが、その決勝の舞台では永遠に語り継がれるであろう、ジダンの頭突き事件が起きてしまった。2008年のユーロ、2010年のWカップと続けてグループリーグで敗退する。2004年以降、10年で7億ユーロ以上を投じ、現在黄金期を築いているドイツとは対照的だ。

とはいえ、結局は選手の力がものをいう。1998年当時、フランス代表のスタメンに名を連ねていたのは、所属クラブでも圧倒的な実力を持つ選手ばかりだった。バルデズ、ブラン、アンリ、トレゼゲ、テュラム、ジダン…。
今は違う。ベンゼマはレアル・マドリーで確固たる地位を築いたとは言えず、ナスリはマンチェスター・シティで時折試合に出るだけだ。グルキュフに至っては、ここ2年のあいだまともな働きを見せていない。唯一満足なパフォーマンスを見せているのは、リベリだけだ。これでは勝てるはずがない。

フランス代表がふたたび輝きを取り戻す日は来るのか?そして日本代表がワールドカップで優勝する日が来るのか?――そんなことには大して興味がない。今語るべきなのは、ナショナリズムとスポーツの異常なまでの癒着だろう。それも、堅いメディアが語るのではなく、スポーツメディアが正面切って取り上げる、そんな時代がくるだろうか?私にはそっちのほうが大切だ。

Au revoir et à bientôt !
Number とかが特集を組むとか。

2013年4月28日日曜日

Kamikaze 精神を継承する原理主義者たち

「神は死んだ」 と19世紀にニーチェはいった。「もし神が存在しないのなら創り出さねばならない」 と18世紀にヴォルテールはいった。現在は21世紀、神の実在は未だ実証されていない。神は本当に存在するのか?いるとして神は必要なのか?

日本では「自爆テロ」と呼ばれる行為は、海外では "kamikaze" と一般に呼ばれている。もちろん語源は日本語の「神風」にある。

第二次大戦中の「神風特攻隊」がその元となっているのは言うまでもないが、さらに遡るならば、そもそもその特別攻撃隊の名称が、元寇を追い払った暴風雨に端を発していることぐらい、日本人なら容易に理解できるだろう。

だからといってその精神性まで理解できるわけではない。太平洋戦争末期に採用されたその決死攻撃が、それだけで戦況を覆すことができる決定打となるはずもないことは、いかに愛国的軍国主義者であろうとも、容易に想像できただろう。

もし事実、二度の元寇の時と同様に、連合軍を壊滅させる働きを期待されて名付けられたとすれば、決死攻撃の結果ではなく、特攻隊員たちを供犠にして、神風が吹くのを、つまるところ奇跡が起こるのを祈っていた、とするのが適当ではないだろうか。

言葉には不思議なところがあって、意味を正しく理解せぬまま輸出・輸入された語が、母語とは異なる環境下で変質を遂げて、むしろその後の本質を表す、といったことがある。

kamikaze もまた、そうした語のひとつなのだろうか。

神風特攻隊の狂気じみた精神ゆえに、世界的に自爆テロを指すものとして認知されるようになったこの言葉は、それを唆す主導者たちの、ねじ曲がった祈りの用語となった。

それは現実的でない変革を訴えて人身御供を捧げ、「神」の威力に期待する、非現実的な原理主義者たちの祈祷の言葉だ。

さて、最初の問いに対して、2009年全米No1 ヒット、94% の観客の共感を得たという映画のタイトルをもじってこう答えよう。

「そんな神なら棄てちゃえば?」
 
Au revoir et à bientôt !
 

2013年4月20日土曜日

ライ・ミュージック

フアン・ゴイティソーロ。なんとも呼びにくいこの名前を最初に知ったのは、小説『戦いの後の風景』の作者として。その中で彼は、パリ移民地区の朝、パリっ子はわが目を疑った。町の看板や標識が見慣れない文字に書き替わっている、そんなポストコロニアルな風景を見事に描き出している。

ポストコロニアルで複視的。もちろんこのスタンスは彼のルポルタージュ作品群にも共通してみられる。私が読んだのは『パレスチナ日記』『嵐の中のアルジェリア』の2作。有名な『サラエヴォ・ノート』の著者でもある彼は、これらの作品中で西欧文明に蹂躙された苦い記憶・歴史を持つ地域に寄り添いながら巡る。

フアン・ゴイティソーロ(1931 - ) Wiki より
西欧文明の中にありながらも長い内戦とフランコ政権下の独裁を経験した国、スペインを出生の地とし、異邦人としてパリに居を定める作者の視点が、西欧文明(その拡大を主導した帝国主義)に批判的なものでありながら、民主主義に何よりの信頼を置く、コスモポリタンの典型であるのも、ごく自然なことだろう。

『嵐の中のアルジェリア』は、1991年に始まったアルジェリア内戦を取材したルポだ。暗黒の10年 / La décennie noire」とも、「テロルの10年 / La décennie du terrorisme」、「残り火の時代 / L'années de braise」とも呼ばれるこの時代、誰が敵で誰が味方かもわからず、亡くなった死者の数すら正確に把握されていない混乱の中で、ライ・ミュージックは人々にとっての希望であり続けた。

起源を1920年代のオラン地方に発するこの音楽は、「自由で教義に囚われない素材の寄せ集め」にとどまらない。先祖代々の生活様式の解体によって生まれ、あるいは壊されたさまざまな現実、移民、故郷喪失、都市の磁力、文化の衝突、そういったものすべてを表現する言葉なのである。

ゴイティソーロはモノローグ的世界をよしとしない。アルジェリアの本質だと筆者の考える文化の混交と、それを成り立たせている雑多な色彩を持つ少数派がすべて抹殺され、浄化された世界よりはむしろ、豊かなスーフィーの精神世界を基盤とした、新たな折衷文化の誕生を望む。文化の多様性を尊び、混交してこそ文化は豊かになるのだという確信が、著者をライ・ミュージックへの傾倒へと向かわせる。

この本の中、意外な箇所で「日本」という単語が出てくる。イスラムと言っても、決して画一的なイスラムがあるわけではない、と述べた後にこう続ける、

一般に「保守派」は、技術・物質・科学の進歩を擁護しながら、だからと言って、西欧的なものに一切汚染されていない宗教・文化アイデンティティーへの回帰を忘れるな、という立場をとる。そしてこの一見すると相反するように見える両者を調和させている例として、しばしば引用されるのが日本である。(p.69)

西欧的なものに一切汚染されていないかどうかは疑問が残るとはいえ、確かに日本は西欧文明の良い点と自国文化の良い点を両立させることにある程度成功した国だといえるかもしれない。

その一方で、日本列島も本来は多民族の住む地域であるにもかかわらず、単一民族国家だと自称している。大多数を占める人々が、少数派の意見を抹殺し、浄化する。民主主義の原則に多数決がある。なるほど確かにそうだ。だがそれは決して、少数意見を抹殺することもよしとするわけではない。
清潔を第一とするこの国で、ポリフォニックな音楽が街頭から聞こえてくることはあるだろうか。

1,2,3 Soleils - Abdel Kader 1998年、パリでのライ・ミュージックコンサート
 
参考書籍:嵐の中のアルジェリア / フアン・ゴイティソーロ みすず書房 1999年初版


2013年3月13日水曜日

戦後30年続いた戦争

「幻想文学とは」とトドロフはその著書『幻想文学論序説』で言う、「現実と想像のあいだで読者に「ためらい」を抱かせるもので、それは「恐怖」と「驚異」の中間にある」 ものである、と。


モロー作 『オイディプスとスフィンクス』
幻想、さらには幻想文学がどんなものであろうと、もっとも怖ろしいのは現実から少しだけずれた非現実=幻想だ、というのをかつて読んだことがあるが、これは理解しやすい。少しだけ、というのがミソで、このあるかなきかの違和感こそが、恐怖の感情を引き起こすトリガーになっているのだろう。

SF作家のフィリップ・K・ディックが1962年に発表した作品、『高い城の男』はまさに幻想文学の範疇にある作品だ。

第二次大戦の勝敗が逆転した世界を舞台に、現実と虚構とのあいだの微妙なバランスを描いたこの小説世界のなかで、登場人物たちは、さらにその逆の世界(つまり連合軍が枢軸国に勝利する)を描いた小説に読みふけっている。

これだけならばよくある入れ子構造の作品に過ぎない。この小説の面白みは、「現実/リアル」、それも小説内のそれでなく、我々の生きているこの「現実/リアル」との連関性にあるだろう。

おそらく1962年当時のアメリカの人々は、敗戦後、世界史上他に例を見ない高度経済成長を遂げていた日本に対して、ある種の危機意識を持って見ていたに違いない。それは国力を取り戻した日本が再び戦争への道を歩む、という恐怖よりはより具体性を持った、経済的にアメリカを上回り、支配するのではないか、という危機感だったろう。そのような感情が『高い城の男』の中にも見てとれる。

2010年代の日本でこの本を読むことにはまた別の意味があるだろう。日本が戦争で勝利した世界を描いたアメリカ発の小説を、敗戦の記憶もない日本の若者が読む――人によって感じるところは様々だろう。私にとっては、軍国主義の高揚感を共有しない、という点で第二次大戦当時の日本との隔絶を再確認する契機だった。

軍国主義の思想に戦後30年近く忠実だった日本人もいる。

小野田寛郎。終戦後も29年の長きに渡ってフィリピンにてゲリラ戦を継続していた軍人、と聞けば多くの人は、「ああ」と納得されるだろう。戦後の約30年のあいだにも彼は、そのゲリラ行為によって30人以上のフィリピン警察軍、在比アメリカ軍の兵士を殺傷した。

彼が日本の状況をまったく知らず、戦争が続いているものと思っていたかといえばそうではない。当時の日本の情勢についても、手に入れたトランジスタラジオその他によってかなりの情報を得ていたようだ。捜索隊はおそらく現在の日本の情勢を知らずに小野田が戦闘を継続していると考え、あえて新聞や雑誌を残していったのだが、皇太子成婚の様子を伝える新聞のカラー写真や、東京オリンピックや東海道新幹線等の記事によって、小野田は日本が繁栄している事は知っていた。士官教育を受けた小野田はその日本はアメリカの傀儡政権であり、満州に亡命政権があると考えていた。

人間は自分の思考に合わせて現実のほうを捻じ曲げる。彼のことを「立派な軍人」だとか「軍人の鑑」だとか賞賛することは容易い。だがその一方で、自分の信じた思想を批判し、疑うことをしない危うさを指摘しないことは、片手落ちになってしまう。彼の頭の中に引かれた無意味な国境線が、必要ない死者を生みだしたことに違いはない。彼の生きていたのは実際の世界とは僅かに異なる別の世界線、パラレルな幻想文学の領域なのだ。

彼にとっての終戦は1974年3月9日。そう、この文章はその日に合わせて書くつもりだったのさ。

Au revoir et à bientôt !
 
 参照URL:Wikipedia 小野田寛郎
 

2013年3月10日日曜日

はなくそまんきんたんに見る地方性

以前に「はなくそまんきんたん」は物事を始める魔法の言葉だ、と書いたが、どうやらその魔法は地方限定のようだ。

ブロガーにはトラフィック機能がある。拙ブログに来てくれた奇特な方々が、どのような言葉を検索したかわかる便利な機能だ。

この一週間、少なからぬ人が「はなくそまんきんたん」の検索結果として、拙ブログを訪問してくれていた。そこを遡っていくと、そこには「はなくそまんきんたん 宮崎弁」という、思いもよらぬ結果が表示されていた。

調べた結果、「はなくそまんきんたん」と「だるまさんがころんだ」の代わりとして使用するのが宮崎弁、ということだ。

そもそも「だるまさんがころんだ」には地方性がかなりあって、「インド人の黒ん坊」「インディアンのふんどし」といった、かなりきわどいものまで含まれている。「はなくそまんきんたん」もその変種だと考えることができる。

一度情報を整理してみよう。そもそも「はなくそまんきんたん」とは、正確には「鼻くそ丸めて万金丹薬に対する不信感を表明する諺とされている。
んで、その諺のもととなっているのが、
「越中富山の反魂丹 鼻くそ丸めて万金丹 それを飲むやつあんぽんたん」
の歌である。

問題は、どのようにしてその歌、言葉が全国に伝播したのか、ということだ。富山の薬売りが全国を行商して回ったのはよく知られているが、彼らが自らの売る薬を卑下する歌を歌いながら売り歩いていた、とは考えにくい。それはちょっとシニカルすぎて、売上の向上は見込めなかったろう。

…と思っていたのだが、どうやら間違いのようだ。

これだけ全国に広まっている理由は、富山の薬売りが歌い歩いたからに違いない。それは間違いではないが、問題は反魂丹と万金丹の区別だろう。

反魂丹は腹痛によく効く富山の名薬として、昔から広くその名を知られていた。一方、万金丹はといえば、こちらは和歌山、伊勢のほうで売られていた後発商品、つまりは二番煎じ、似て非なるものなのだ。「白い恋人」と「面白い恋人」の関係、といえばわかりやすいだろうか。そりゃあ、白い恋人側が怒るのも当然さ。

つまるところ、富山の薬売りは自らの薬の効果を宣伝しつつ、ライバルの薬の効果をけなす、そのような歌を歌って全国を回っていたわけだ。そもそも富山の薬売りは別名「反魂丹売り」とも呼ばれていたようだ。

とはいえ、謎は未だ残る。なぜこれだけ各地に広まった言葉が、宮崎においてだけ「だるまさんがころんだ」と結びあわされることとなったのか。そもそもそれが宮崎に限ることなのか、それすらわかっていない。

はなくそまんきんたんの深淵は、どうやらまだまだ深そうだ。

Au revoir et à bientôt !
フランス最大の地方都市、リヨン
 

2013年2月10日日曜日

Mariage pour tous

君の家(部屋)の隣に男が一人引っ越してくる。彼は礼儀正しく、快活な青年で、君は一目で彼のことが気にいる。人当たりもいいが、近所付き合いを良くわきまえており、必要以上に干渉してくることはない。君たちの近所関係は極めて良好だ。

ある日、青年の家にもう一人別の男がやってくる。無愛想で挨拶もまともに交わさないこの男は、一日だけの短期滞在者かと思いきや、それからずっと隣の家に住みつく。男が君に危害を与えることはないが、家の前ですれ違っても、挨拶はおろか会釈すら交わさない。どうやら仕事もしていないようだ。ときおり隣からは怒声のような声が聞こえるようになる。君は青年に警告する、「あんな男と付き合うのはやめたほうがいい」。青年は苦笑する。

隣人の居候の存在にも慣れたころに、二人が揃って君のところにやってくる。青年は改めて居候のことを紹介する、「僕の婚約者です」と。


これが Mariage pour tous / すべての人に婚姻を の概要だ。

フランスでは昨日、火曜日から始められた110時間に及ぶ議論の結果、同性同士の結婚を認める法律を採択した。今後様々な困難が予想されるが、一度進めた針が元に戻るようなことはないだろう。

もちろん反対もある。パリでは連日、賛成派、反対派それぞれのデモが何万人の単位で繰り広げられている。デモの行列に子供が混じって、大人たちと同じように旗を振る光景には違和感がある。

だが大事なことは議論することだ。現在、アメリカ、イギリスでも同様の議論は喧しい。多くの国では同性婚を認める方向で議論されているようであるが、ソドムとゴモラを悪徳栄える都市とする宗教が大勢を占める国々のことだ、どうなっていくかはわからない。

かたや日本では、同性愛の存在は無視されている。多くの人にとって同性愛者はテレビで見る「オカマ」に分類され、半ば公然と嘲笑の対象とされているようにみえる。それは決して自分に身近な話題、議論に値することだと考えられていない。もし隣人が同性愛者だったら、という仮定は、荒唐無稽なものとして受け取られる。

そうじゃないだろう。これは消費税が上がる、というのと同じくらい身近な問題だ。政治家が議論しないのなら、市井の人で話し合おう。日本で同性婚が議論されないのは、同性愛者が少ない、いないからではなく、「臭いものに蓋」の国民性で、見ないふりをしているだけだから。

「父親(母親)しかいないのは、子供の成長にとってよくない」なんて、ただのキレイごとだ。――本当は自分が尻の穴を掘られるのを恐れているだけなんだろう?父親しか、母親しかいないながらも立派に育った子供はたくさんおり、それ以上に父母がいながらダメ人間になった子供の数は多い。上手くいっている夫婦もあれば、上手くいかない夫夫もあり、教育熱心な婦婦もあれば、そうでない夫婦もあり。逆もまたしかりだ。


君の家の隣に、男が一人引っ越してくる。彼は好青年で、同性愛者だ。君たちは上手くやっているが、ある日やってきた彼の婚約者はならず者だ。二人が君の家を訪れ、同性愛関係を告げる時、君が浮かべるのは事実を否定する苦笑いだろうか?あるいはすべてを受け入れたうえで、あえてこう忠告するだろうか、「もっといい男を探しなさい」と。

Au revoir et à bientôt !
Deux femmes s'embrassent lors d'une manifestation en faveur du mariage pour tous, à Paris le 27 janvier 2013 Kenzo Tribouillard afp.com
 
参照サイト:「Mariage pour tous」で検索すればフランスの様々なサイトがヒットする。今回はいつものように 20minutes.fr の記事 を主に参照させていただいた。

2013年2月4日月曜日

そんな名誉は犬の糞みたいに持ち帰れ

コンセプトは「腹を切れるアイドル」。

AKB48の Minami Minegishi / 峯岸みなみ が先日、恋人との一夜をスクープされ、l頭を丸刈りにして謝罪する動画をネットにアップし、話題になった(2/4 付けで削除)。

――って、誰だよそれ!

ごめん、私はまったく知らなかった。ニュースによると、AKB48の最初期から在籍しているメンバーなのだそう。へぇ。テレビを全く見ない私と比較するのもあれだが、一部のコアなファンを除けば、一般の人の反応はそれよりも少しまし、くらいなもんだろう。

自分がまったく知らない・興味のない分野のニュースにぶっ込むのも、このニュースがフランスでも配信され、少なからぬコメントがついていたからだ。やや軽めのニュースサイト、20minutes.fr 2/4 付けでFacebook のいいね!を791と、同ページ上で33のコメントがついている。
参照:20minutes.fr Une popstar japonaise se rase la tête après avoir passé la nuit avec son boyfriend

これは、先日北海道の十勝地方で観測した震度5強の地震に対するコメントが0、安部総理の隣国に対する断固たる姿勢を報じたニュースに対するものが1しかないことに較べれば、いかにフランス人の興味をそそったか、よくわかる数字だ。

報道内容と反応を見ていこう。

「L'acte de contrition ultime. / 悔恨の究極の形」と題し、彼女が丸刈りにした理由を述べている。
AKB48内では恋愛が禁止されており、それに違反したことに対する謝罪として、「誰にも相談せず」頭を剃ったのだという。
「Au pays du seppuku / 切腹の伝統がある国で」、13歳の頃からアイドルとしての活動を始めた彼女が、このような公的な辱めを自ら選んだのにはどのような脅迫観念が存在していたのか。
プロデューサーの秋元康は金曜日、彼女のメンバー降格を言い渡した。これは比較的マシな処置だという。同様の状況において、多くの少女たちがこの冷酷な男によって追放された。

この「吐き気を催す」行為に対する反応として至極当然なのが、「20歳の女の子に恋愛禁止なんてありえない!」というものだ。おそらく、多くの日本人もこれに同意するだろうし、そもそも彼女らが恋愛していようがいまいが、どうでもいいことだ。

あるいは「machisme / 男性優位主義、男尊女卑」の観点から見たコメント。恋愛禁止といった馬鹿げた規則を作った人間の「machisme」が非難している。その一方で、「アイドルは大衆の理想像であるべき存在。男性アイドルであってもそれは一緒」といった、悟ったような意見も見られる。

気になるのはこれを「日本人の国民性」だと解したコメントが少なくなかったことだ。

いや、日本人から見ても異常です。記事自体が「seppuku / 切腹」を引用しミスリーディングを誘っているところもあるが、この行為を日本人の「l'honneur / 名誉」の観念としているコメントも多い。中には、「フランスではこのような名誉の観念は失われて久しい」と嘲笑的ととれるコメントもある。

こんな吐き気を催す名誉の観念が、今も日本に残っているのか?表に出ることは少ないが、やはりあるのだろう。道端で犬の糞を見かけることは少なくなったが、犬が糞をしなくなったわけではないように、日本人の精神性を読み解く上で欠かせない、裏の文脈として生き延びているのだろうか?私にはわからない。
なるほど、日本人にも理解しがたい精神性が、パリの街中至るところに落ちている犬の糞(merde du chien)を踏んづけて、「Merde ! / クソがっ!」と叫ぶフランス人に、理解できるはずもない。

Au revoir et à bientôt !
パリは脱糞天国。
 

2013年2月1日金曜日

自由をドングリと引き換えにして

妻が家を買う気になっている。

確かにそろそろ家を買うのもいいかな、なんて話をした。ネットでいろいろ調べて、あれがいい、これがいいとか言いはした。でもあくまで購入は2,3年後の話であって、今はそのために必要な資金を貯めるのが先決だと思っていた。

――どうやら、私の思い過ごしだったようだ。今やすっかり今年中、いや3ヶ月以内に購入しようという勢いになっており、先日はついに物件を見に行きさえした。この案件はもはや私の手から離れてしまった。もうどうしようもない。私はただ唖然として、成り行きを見守るだけだ。

もっとも個人的には、風雨をしのぐ壁と天井があって、本を収納するだけの十分なスペースがあれば、それ以上はなにも言うつもりはない。投げやりなのではない、精神の自由を保持し続けているだけだ。

人間の居住への執着心には驚くべきものがある。これが古来からのものなのか、といえば居住に関してはそうかもしれないが、定住に関してならNon だ。

『古代文明と気候大変動』の著者、ブライアン・フェイガンによると、人間の生活スタイルは気候に大きく左右されているという。これまで幾度となく大小寒暖様々な気候の波が地球上に押し寄せ、そのたびに人類はその生活形態を改めてきた。

人類が本格的に定住生活を始めたのは前13000年以降、2000年に渡って降雨量が飛躍的に増加した結果である。急速な温暖化に伴い大型動物の多くがこの期間に絶滅した(マンモスなどはその最たる例だ)。代わりに、ドングリやピスタチオといった食用可能な実をつける樹木が勢力を拡大し、人類は安定した食料となるそれらを求めて、森林の近くに居を構えた。

安定した食糧源を得る代償として、人々はそれまで最大の長所だった能力、すなわち環境に合わせて移動する柔軟性や社会の流動性を失った。ドングリを食用とするには、膨大な時間を加工作業に割かねばならなかったのだ。人間はドングリと引き換えに自由を失ったのである。

先日日本の東京で、4000年前の縄文時代の人骨が発見されたとニュースで報じられた。そのニュースの報道の仕方が、あまりに現代東京史上主義であったのには思わず笑った。「およそ4000年前の東京人。縄文時代の骨が見つかったのは都会のど真ん中…」と言ってのけるには、よほどの厚顔さが必要だろう。4000年の昔から、そこには高層ビルが建ち並んでいたようだ。
(引用:テレ朝NEWS 4000年前の生活は?新宿区で縄文時代の人骨発見

ここには今に腰を据えて安住する傲慢さがあるだろう。40万~25万年前まで遡るホモ・サピエンスの進化史や、約7万年前から住んでいたと考えられる日本列島民の存在はここでは考慮されておらず、最大限遡行しても江戸時代からのたかだか400年の歴史を中心に据えた、狭隘な視界しかない。

誰だって生まれる時代や場所を選ぶことはできない。だが大人になれば、どこに視座を置くかは自由だ。その位置すら固定してしまったら、それこそ人間に残された最後の長所すら、自ら放棄することになる。ホモ・サピエンスが最後まで持ち続けてきた心の自由すらも、精神的保守主義と交換してしまうのか?それは、ドングリと交換された移動の自由よりなお悪いだろう。

移動の自由は失ったとしても、考える自由までは手放さない。今に腰を据えて安住せず、どこまでも歩いて見て回る。そうすれば気候の変化も狩の獲物も、ドングリだって見つかるだろう。そんな風に自分の足で頭で考えて見て回る、それが大人になるということだ。

Au revoir et a bientot !
エズの街並み。人類はこんなところにも住むんです
参考文献:『古代文明と気候大変動』ブライアン・フェイガン著 河出文庫 2011年第7版

2012年12月13日木曜日

Retour au Japon / 愛だって?ただの無知だろう


10/12 15:35 Paris L'aeroport de Charles de Gaulle - 10/13 15:35 関西国際空港着

「夜にはパリ郊外にある Stade de France で、サッカー日本代表のおよそ9年ぶりとなる対フランス戦親善試合が行われるというのに、今帰国の途に就こうとしている」
そう、書いたのは乗継地のドバイに向かう飛行機の中で、さて代表戦は内容はさておき 1-0 で日本の勝利に終り、私は無事日本に戻って早二ヶ月が経とうというのに、このブログの旅行記は未だ、明確な着地点を見いだせていない。

うん、もういいだろう。旅は終わった。そう認めることも必要だ。フランスに行っていたのは過去の話で、今は毎日職場に向かい、同じようなルーティンワークを日々こなしているところだ、と。おそらく今後は、フランスに行く機会もそうそうないだろう。二十代の終わりは同時に、夢の終わりでもあるのだろうか。

フランス語の勉強を最初に始めたのは21歳の頃で、考えてみるとそれからもうすぐ10年が経とうとしている。もちろんその間ずっと勉強していたわけではなく、25歳すぎるまでは基礎をやっただけで、ほとんど手をつけていなかったから、まともに勉強をしているのはこの5年ということになる。

その間にフランスには3度行き、通算で30日ほど滞在していた。

はじめてフランスに行ったときは見るものすべてが新鮮で、衝撃的だった。私にとってそれがはじめての異文化体験だったのだから無理もない。とにかくなにもかもが日本とは違い、そしてその違いが素晴らしく思えたものだ。

二度三度と行くに従い、嫌なところも見えてきた。日本の良さもわかってきた。以前は、「こんな国」と思っていたが、今では、まあ日本も悪くない、と思えるようになってきた。なにより飯がうまい。

だからといって、「生まれ変わっても日本人になりたいか?」 という問いに安易に「はい」と答えるほど、愛着がある、いや、無知ではないつもりだ。
 
「86.4%の人が生まれ変わっても日本人になりたい」URl:http://article.home-plaza.jp/article/trend/111/

実際には「今あなたが国籍を選ぶとしたら日本を選びますか?」という問いと同義のこの質問。これだけ見れば日本人の日本への愛情が伺えるが、裏を返せば他の国に対する無関心が表明されているともいえる。

この調査の一番の問題点は、おそらく調査の対象となった多くの人が、他の国を愛せるほど十分に知っていない、ことだろう。知らない国の国籍をとる?ごめん、そんな無茶が通用するのは笑い話としてだけだ。

カッコよくいえば愛には二種類の要因があり、ひとつは無知、もうひとつは熟知だ。前者は憧れと変換され、後者はときどき惰性といわれることもある。

ここでカギとなる単語は「それでも」だ。

たとえば君の彼女が他の子と較べて顔が悪いとか、おっぱいが小さいとか、私服がダサいとか、いろいろあるとしても、それでも、その子と一緒にいるのは、惰性ではなく、まごうことなき愛情だ。

周りも見ずに、良いところだけを称揚するのは愛ではない。他と比較し良いところは素直に褒め、悪いところを認める。それでもいいといえるのが愛だろう。

日本国の隅々まで行き渡った利便性は世界の他のどの国に行っても手に入れることはできないだろう。しかしそれが、歴史性や他のなにかと引き換えに得ているものであることは、おそらく外に出なければわからない。他の国と比較し、自国の良い点・悪い点を客観視して、それでもなお、日本が良い、といえる人がたくさんいるとしたら、日本は本当に素晴らしい国だといえるのだろう。

さあ、私も日本に戻ってジタバタしようか。

Au revoir, et à bientôt !
グッバイ、ドバイ。
 

2012年12月8日土曜日

愛は地球を救う、なんて嘘よりも

煙草を吸うのはカッコいい。そんな時代は終わった。

煙草を取り巻く状況は年々厳しくなっており、喫煙者たちは日々世界の片隅へ追いやられている。この傾向は他の国(特に先進国)でも変わらない。フランスでは今年10月、煙草の値段が7.6%引き上げられたばかりだ。
(フランスにおける煙草1箱の値段の変遷についてはこのサイトを参照。約20年で煙草の値段は4倍以上に引き上げられている。URL: http://www.tarif-tabac.com/statistiques_tabac

私は煙草を吸わないが、現代の嫌煙ブーム、ひいては健康志向は少し行き過ぎている、と思わないでもない。煙草を吸う人、吸わない人それぞれがお互いに配慮し、快適に過ごすことができれば、これ以上公共の場から喫煙スペースを減らし、愛煙家に肩身の狭い思いをさせる必要もないだろう。

身体に悪い?そんな考えはドブに捨ててしまおう。毎年煙草の害で亡くなる以上に多くの人が、自ら命を断っている。もし自殺を決意した一人の男が、最後に吸った一本の煙草でその決断を翻すのなら、それはどんな薬よりも有用ではないか?

こんな意見をオーストラリアで表明しようものなら、異端尋問にかけられるかもしれない。同国では先日、「すべての煙草のパッケージを同一のものとする」法律が施行された。

フランスのニュースサイトRFIによると、
une loi qui oblige dorénavant tous les paquets de cigarettes vendus en Australie à être identiques : c'est-à-dire dans un emballage d'une couleur vert olive sombre, recouvert d'avertissements sur les dangers du tabac, avec des photos chocs de malades. Et ce, quelle que soit la marque, car seul le nom des cigarettes pourra changer.
オーストラリアで販売されるすべての煙草は同一のパッケージでなければならない。暗いオリーブグリーンをベースに、喫煙の危険性を警告した文章、肺がん患者のショッキングな写真つき。唯一ブランド名だけが変更可能…というもの。

まったく、喫煙者でなくとも「どうかしてるぜ!」と言いたくなるだろう。君が昨日買った豚肉に、その豚の成長過程の写真や趣味・特技が書かれていたら、あまりいい気はしないだろう。誰だってそうだ。私だってそうだ。

巷では喫煙者にとって嫌なニュースばかりが流れ、白眼視され、精神的に追い詰められ、ひいては死に至る、なんてことのないように、私が処方箋を用意しよう。

メキシコの研究者が発表したところによると、鳥たちは煙草の吸殻を巣作りの材料にしているらしい。吸い殻が鳥のヒナたちを害虫から守るからだという。これは煙草に含まれるニコチンが蚤や虱に対し効果があるからで、スズメのように市街地に住む鳥がよく使用している。もとよりある種の鳥たちは芳香性のある素材を好んでいたようで、吸い殻は殺虫剤の一種として鳥たちの間で知られていた。

これを読んでよし、"Fumer sauve les oiseaux / 喫煙は鳥たちを救う" を煙草のパッケージにしよう、と考えたのはどうやら私だけではないらしく、すぐ後に研究者自身、「スズメを救うために肺をダメにするには及ばない」と断言している。

しかしながらこの研究報告による限り、愛よりも吸い殻のほうが間違いなく鳥たちを救っているわけで、このニュースを喫煙者が読めば、多少は心安らかに煙草を吸うことができるのではないだろうか。調子に乗って、オーストラリアの法律に対抗して、上記のスローガンと一緒にスズメの写真を配した煙草ケースを販売してはどうだろう?あるいは喫煙所の目印として、鳥の巣を模したものを採用するのはどうだ?――どうも今の日本では顰蹙をかうだけで終わりそうだ。

喫煙を擁護することはもはやタブーのようになっているが、それでもこういったユーモア、寛大さこそが、喫煙者と被喫煙者がお互い気持良く生きていくための、最上の解決策だと思うのですが、どうでしょうかね?

Au revoir et à bientôt !
最近スズメってあまり見なくなりましたよね?これも禁煙の影響?――それは、言い過ぎ。
 


2012年9月6日木曜日

本屋さんの明るい未来

おはようございます。

前回の話の続きをしよう。

優秀な本屋さんにとって、自分の担当する分野の本について、知り過ぎる、ということは決してない。

これはどの分野で働く人間にとっても言えることだろう。自分の職業に関する知識を得過ぎてなにかを失った、ということはないはずだ。もっともそれに執心するあまり、家族やその他大事なものを失う、なんて話は通俗的にありふれたテーマだろう。

話を本題に戻すと、では知るべき知識をすべて知り得るか、というとおよそそんなことはあり得ない。

あり得ないのであれば選択しなければならない。

そう、なにかを得るためにはなにかを捨てなければならないのだ。

要は本の取捨選択。何を読んで、何を読むべきでないか。

肝心なのは、「読むべき」本の選択ではなく、「読むべきでない」本の見極めだ。なにしろ毎月何百もの新刊が刊行されている現在、「読むべき」本でさえ自らの手に余るこの時代、確実に不要なものを「いるかもしれない」、「なにかに使うかもしれない」とダラダラ思い悩むのではなく、「必要ない」ときっぱりと断定してしまう、その心意気こそが、ひいては読むべき本のなかでも、本当に自分の必要とする本に出会うための条件ではないか。

本屋さんの選択はそのまま売り場の棚に表れる。人は本屋を訪ね、棚のあいだを歩くことで、他人の頭の中を覗き見る。結局のところ書店は(他人の)知への入り口なのだ。それは今も変わらない。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
説明するまでもなく有名な、カフェ・ドゥマゴ
 

2012年8月31日金曜日

本屋さんに求められる資質

――昔一緒に働いた友人へ
 
 
インターネット全盛の今でもなお、書物は、ひいては書店は知への入り口である、と思い続けたい。
 
では、良い知識(そんなものがあるとして)を得るためには良い書店を、というわけで私なりの基準をあげるならばそれは、
 
・ ジャンル分けに誰にでもわかる単純明快な規則があり、なおかつ
・ その構築された分野を越境する柔軟さを持っているか、
 
この二点に絞られる。
 
一見矛盾するこの二点、現実に即してみれば実に簡単なことで要は、本のサイズ(文庫や新書、単行本)と、本のサイズで分けた後にもなお、文庫本を関連した分野の棚、たとえば哲学思想、数学、文学、に置けるかどうか、という話。
 
客からすればとりたてて無理難題でもないこの話、肝心の書店員にとってはそうではない。なぜか。
 
売り上げが違うのである。
 
バーコードを読み取ると様々な情報が得られるのだが、そこに本の「分類」情報も入っている。
 
困ったことに、我々の考える分野と、バーコードの提供する「分類」とが、往々にして異なるのだ。
 
先にあげた例を持ち出すなら、同じ「哲学」分野の本であっても、文庫と新書、それに単行本とではバーコードに記載された「分類」が異なる。それはつまり、哲学書の担当者がどんなに頑張って「フーコー・コレクション(全6冊+別冊1)」や『精神疾患とパーソナリティ』を売り捌いたところで自分のところの売り上げにはならず、文庫担当者の手柄になる、、ということだ。
 
彼が売るべきはあくまで『監獄の誕生』であって『性の歴史(全3冊)』である。
 
ゆえになおさらのこと、その「分類」に縛られることなく本を売る姿勢は素晴らしい。これは販売する本の形而上下を問わない価値観だ。
 
そんなわけだから、マキャベリストを気取って弱者を切り捨てる経営者よりも、漫画とライトノベルを同じ棚に並べて売る一書店員のほうがより人類の積み重ねてきた知恵を有効に活用している、ということができる。
 
少なくとも 公正無私である、という得難い美徳のその一点において。
 
では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
サモトラケのニケ。ルーブル美術館にて
 
 


2012年7月5日木曜日

生活の幅は広がったか?

おはようございます。

今年は2012年、21世紀になってもう10年以上が経ったことになります。

10ねんもあれば、いろいろなことが代わるもので、私にとってとりわけ印象的な変化といえば、携帯電話やネット環境の劇的変化でしょうか。

後者に関していうと、今ではもはや当たり前になったネット上での動画の視聴が、10年前ではこれほど容易くなかったことを思い合わせると、まさに昔日の感があります。

また、前者に関して言えば、世紀の変わり目くらいがちょうど小中学生でさえ持つようになり、爆発的に普及した時期だと、認識しています。

これらはいずれも資本主義の恩恵、とまぁいうことができるでしょう。一方で、現在の商品交換スパンを見ていると、もはや資本主義は人間の手に負えないところまで来てしまっている、そんな印象も受けます。

そのひとつの指針として、私が提示したいのが、タイトルにもある、「生活の幅」。つまり人が生きていくうえで、どれだけの選択肢、可能性があるか、ということです。

一見すると、現代社会は無限の可能性を有した、素晴らしい社会と見えます。実際、一昔二昔前に較べると、ずいぶんといろいろなことができるようになっています。私がこんな風にブログという形で、世間一般に向けて発信することができる、というのも、昔は考えられないことでした。

その一方で、これだけ人と物とアイディアが自在に行き来する世界なのに、選択の幅が狭すぎる、ということもできるでしょう。

それは、用意されたレールの本数は増えたけれど、それ以外の道は歩行困難になった、とイメージすることができます。

携帯電話を例にとれば、今や機種変更の際、スマートフォン以外の選択肢をとることは、驚くべき困難を伴う、ということです。

もはや資本主義は人が生きるために使用するツールではなく、人が資本主義を増大させるための燃料資源なのだ、と考えてみても、あながち悲観的な意見とも思われないのです。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!